写真撮影日:2016/6/30
写真上:「菅尾石仏」 高さ約1.5~2mでほとんど丸彫りに近く、
鮮やかな朱色が特徴的
石製とは思えないほど、柔らかくてふっくらした雰囲気
最終日、小雨模様の中「菅尾石仏群」がある豊後大野市三重町に向かいます。偶然手にした冊子の「豊後大野ジオパーク」情報を読み、どうしても拝見したくなってしまいました。
まずは国道の案内「犬養(いぬかい)石仏」に従って細い道に入りました。山道の先にはそそり立つ岩壁と小さな木造の「覆屋(おおいや)」があり、なぜか見ただけで心が動いてくるのを感じます。中は薄暗くて仏さまのお顔もはっきり見えないですが、この「不動明王」は天台宗系で平安時代末期から鎌倉時代初期の作とされています。いい感じです。
さらに「菅尾石仏」の情報を得ようと「道の駅 みえ」で買い物をしつつ、お店の方に道を尋ねていると、「私はガイドをしているので、よかったら道案内します」と男性が声をかけてくださいました。男性は「保存会でボランティア活動をしている」とのこと。おりから雨足も強くなったので大変助かりました。
ここにも約100段の石段があり、フウフウ言いながら登りつめました。すると目の前にやはり岩壁があり、朱色が美しい4体の「千手観音」「薬師如来」「阿弥陀如来」「十一面観音」が静かに座り、端っこにやや雰囲気の異なる「多聞天」、この一体だけが立ち姿です。
地元では「岩権現」とか「五所大権現(ごしょだいごんげん)」と呼び、篤い信仰で大切にされています。それぞれ丸彫りに近いような柔らかくてふっくらとした身体に、穏やかながらくっきりとした目鼻立ちで、「これが石仏?」と思ってしまいます。
特徴はもちろん鮮やかな赤の彩色で、平安後期の作と推定されていますが保存状態がとても良いのでしょう。犬養石仏にも赤い彩色が残っているのだそうです。
また両方に共通するのは「9万年前の阿蘇山の巨大噴火の跡」です。噴火による火砕流がこの地域まで流れてきて、先端部分の火砕流とそれ以前のもともとの地層がくっきりと層になっているのです。
阿蘇山までは約80km、同心円状に火砕流が広がったとすると、九州の中部地域全体ともいえます。やがて火砕流は「阿蘇溶結凝灰岩」となり、比較的加工しやすいこの岩石を利用して「石仏・岩石遺跡文化」が広まったとされているのです。この地域にはそのほかに「大迫磨崖仏」はじめ興味深い岩石文化遺跡が多く残っています。
写真上下:「菅尾石仏:千手観音像」
写真下:ひとり立ち姿で微妙に腰をくねらせた「多聞天像」
写真上:「犬養石仏」岩壁に覆屋。
写真下:平安後期の作と推定される。
欠損もなく当時の面影を伝える貴重な石仏
写真:9万年前の阿蘇山巨大噴火時、火砕流の先端部分
もともとの地質にかぶさって層になっている
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