これからの地球のエネルギーは太陽光発電で賄うべきと言うのは私の信仰のようなものです。
最初に太陽光発電なるものを知ったとき、「これだ!」と思ったのは何の根拠もありません。その後、いろんなメリットの中で一番気に入ったのが当然無公害というのもありますが殆どメイテナンスフリーと言うところです。
我が家にも付けたいものだと思いながらも先立つものが無く諦めていました。丁度早期退職をして新しい職探しをすることになったとき、「太陽光発電の業界に勤めればもしかしたら自分で設置する機会にも恵まれるかも」なんて考えで販売会社に就職しました。お陰で、実現しましたが、業界の販売不振もあって退職にはなってしまいました。
それでも、今も太陽光発電の未来を信じていますし、我が家に取り付けた(尤も、支払いはまだ10年以上残っています。)ことには後悔はしていません。
しかし、太陽光発電に疑問を持っている人も多いのは間違いありません。何時も巡回している。武田邦彦 (中部大学)先生もそうです。
今回は、直接太陽電池を取り上げていました。
・・・略
実は、このようなことは日本でも日常茶飯事に起きている。ほとんど無数にあるが、その一つの例が「太陽電池の補助金」である。
太陽電池の開発と製造は、日本を代表するようなビッグな会社がやっている。彼らは潤沢な資金を持ち、判断力を有しているから、太陽電池が有望なら自らの経営判断でやるだろう。
もし、大企業が自らの判断でやめるようなものなら、国がやる必要は無い。特に太陽電池のようにすでに何10年も開発し、製造しているものを国が口を出す必要など無いのである。
それに税金を投入するというのは、太陽電池の値段が高いからだが、環境学から言えば、「お金がかかる」ということは、それだけ「資源」を使っているのだから、環境に良いはずもない。
そして、太陽電池に補助金を出すということは「貧乏な庶民から税金を取って、お役人がそれを大企業に配り、天下り先を確保する」ということ以外になにものでもない。なんと言っても、太陽電池を作っている大企業の社長は、庶民とはかけ離れたデラックス生活をしている。
補助金を出す前に国会で証言してもらい、その時に「まさか、専用高級車で国会に来なかったでしょうね。地下鉄ですか?」と質問するべきである。何しろ、その企業の社長さんは、庶民の税金をもらわなければならないほど生活に困っているのだから。
でも、太陽電池の会社は補助金を受け取るだろう。それは自分が乞食になったことだが、それには気がつかずに高級車にのって、高級料亭に行っているのに。
ゆがんだ社会では乞食が威張っているようだ。(平成20年11月21日 執筆)
なかなか辛辣です。補助金が悪かどうかは立場によって考え方も違って来るのでしょう。私は、今補助金(本当はドイツ式の方が良い)を使ってでも一日も早いコストダウンを計るべきだと思っていますが、そうでない考え方もあるということでしょう。
今後何十年か経ったときにどちらが正しかったかの結論も出ているかもしれません。それでも私は今のところ太陽光発電こそ未来の地球エネルギーを救うと信じています。
結果を見たいものです!