団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

世襲

2009年05月02日 | 日本再生

  第240話の竹下元首相、第275話の小渕元首相、第1994回の堤氏などで世襲批判を書いてきましたが、最近は諦めの境地になってしまったのか暫く取り上げることもなくなっていました。

  ところが、このところ民主党や自民党の一部から議員の世襲制限の声が上がってきています。何となく選挙対策くさい胡散臭さを感じますが、議論が無いよりは良いのかも知れません。
  この話題に関する記事も増えています。その中でも何時ものサイト巡回の 
「国際派時事コラム・商社マンに技あり!」に共感させられました。

  「世襲制限」でなく「身内候補制限」と言うのが適切

  ・・・略

  親が作ってくれた基礎を生かして次のより高いステップを目指すというのは、人間のひとつの基本なのだから、むやみな「世襲」批判は不当だ。

そもそも国会議員は「世襲」ではない。

選挙を経ているのである。

たとえば江戸時代の大名は世襲だが、もし仮に選挙で(それも朝鮮式の100%マンセー型ではなく、与野党拮抗の選挙で)当選することでようやく親と同じく大名の地位を得るのであれば、それを「世襲」と呼ぶか?

歴史学者・社会学者に聞いてみたい。

ことばの定義として、それは「世襲」であるか。

2代目、3代目の議員が、選挙運動のあらゆる面で断然有利なのは事実だが、それを「世襲」と呼ぶのは選挙民を愚弄する行為と言わねばならぬ。

「世襲制限」ではなく、「身内(みうち)候補制限」ないし「親族候補制限」と呼ぶべきだ。

世襲批判の隠された核心的意図は、じつは皇室批判だろうとわたしは勘ぐっている。

  第1451回でクライン孝子さんの殆ど2世議員がないのは周りがそれを許さないというドイツの事情などを見ると、日本の本当の問題は議員を利用することが目的の取り巻きにあることがわかります。

  政治家の程度も低いが、それを自分の利益のために利用しようとする日本人の有権者の程度の低さこそが問題でしょう。
  この体質は、金正日の体制を支持する取り巻きの幹部連中と同じであると言っても間違いなさそうです。本当に醜悪です。

 そして政治家には、第378話で取り上げた石橋湛山氏の言葉「民主政治は往々にして皆さんのご機嫌を取る政治になる。国の将来のためやらなければならなぬと思っても、多くの人から歓迎されないことだと実行を躊躇する、あるいはしてはならないことをするようになる。こういうことが今日、民主政治が陥りつつある弊害である。総理に指名された時、最初に党で申した言葉がこれであります。私は皆さんのご機嫌を伺うことはしない、嫌がられることをするかもしれないから、そのつもりでいてもらいたいと申した」 を送りたいと思います。

こんな政治家はもう出てこないのか!