団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

亡国朝日との長い戦い

2014年11月02日 | 朝日新聞

  朝日新聞の中国報道は早くから捏造だったようです。加瀬英明さんが詳しく書いてくれています。1961年と言えば丁度大学に入った年でした。学生時代は 朝日新聞どころか新聞を読んだこともなかったし、ふすま一枚の隣の部屋の男が岡村武で、1970年にあのハイジャックを起こしたという学生運動たけなわの 時代も私には何の関係も無く学生時代を謳歌していました。

 1970年に卒業して就職、新聞なんか読む暇も意欲もなく夜遅くまで仕事に夢中になっていた頃でした。だから、朝日新聞がどんな記事を書いていたかも全く知りませんでした。関心の無いと言うことは恐ろしいものですね。


   加瀬英明のコラムより  2014/10/24 (Fri)

  日本の独立を危うくする朝日新聞の中国報道

  朝日新聞社が8月に、いわゆる従軍慰安婦について、32年間にわたって読者を騙して、虚偽報道を行ってきたことを認めて、撤回した。

  社長が逃げ隠れしていたが、何日もたった後に、謝罪記者会見を行った。

  私はもう50年にわたって、雑誌の紙上を舞台として、朝日新聞が亡国的な報道を行ってきたことを、攻撃してきた。

  昭和50(1975)年に、月刊『文芸春秋』に「最近朝日新聞紙学」という題で、27ページにわたる長文の批判を寄稿したところ、朝日新聞社が名誉毀損で、私と文芸春秋社を訴えるといってきた。裁判は望むところだった。

  福田恆存氏をはじめ保守派知識人が、私の応援団をつくってくれたが、著名な財界人が仲介に入ったために、裁判は実現しなかった。

  私にとって朝日新聞ほど、怒りを駆り立てられてきた相手はなかった。

  なかでも、朝日新聞の中国報道は、日本の独立を危うくするものだった。

  外交は内政の延長だといわれるが、国防は国内世論に依存している。

  中国で昭和41(1966)年に、人民文化大革命が、吹き荒れていた。毛沢東によって、大量の血が流され、文化を破壊した、狂気の沙汰だった。

  朝日新聞は社説で、「そこには、いわば『道徳国家』というべきものを目指す、『世紀に挑む実験』といった意欲が感じられる」と、説いた。

  昭和57(1970)年に、中国の周恩来首相が佐藤内閣による沖縄返還交渉、日米同盟堅持、防衛力強化を、「日本軍国主義復活」といって、激しく非難した。

  朝日新聞は社説で、周首相が「『日本軍国主義はすでに復活し、アジアの侵略勢力となっている』とか、『沖縄返還はペ テンだ』と主張した。われわれは、日本軍国主義がすでに復活したとまでは考えない。だが『復活』の危険な情勢にあることは、認めざるを得ない」と、論じ た。

  翌年、日米間で沖縄返還協定が調印され、昭和52年に沖縄が祖国に復帰した。

  昭和50年は、1960年に日米安保条約が改定されてから、自動延長か、改定の期限を迎えて、新聞が“70年安保危機”をさかんに煽った。

  朝日新聞は社説で、「日中関係の正常化こそ、わが国の恒久的な安全保障の条件なのであり、“選択の70年代”の課題は、対米関係の調整にたった安保条約の解消と、日中関係正常化への努力を並行して進めて行くことである」と、訴えた。

  “70年安保危機”は、警視庁機動隊員の努力によって、回避された。

  昭和47(1972)年に、日中国交正常化が行われた。

  この時の朝日新聞の「日中新時代を開く田中首相の訪中」と題した社説も、憤飯物だ。

  「日中正常化は、わが国にとって、新しい外交・防衛政策の起点とならなければならない。日米安保条約によっ て勢力均衡の上に不安定な安全保障を求める立場から、日中間に不可侵条約を結び、さらにその環をソ連にもひろげる。あるいはアジア・極東地域に恒久的な中 立地帯を設定する。そうした外交選択が可能となったのである」

  朝日新聞は、中国報道も検証してほしい。

   凄いですね、私が何にも知らずに自分の事だけしか考えていなかった50年も前から朝日の胡散臭さを攻撃されていたんですね。良く叩き潰されなかったものです。
  それにしても、間に入ったと言う財界人って誰なんでしょうね。財界人はやはり経営に忙しくて朝日の売国には気が付いていなかったのでしょうか。それとも、知っていて利用したのか。
  いずれしても、こんなに早くから気が付いて警鐘を鳴らしてくれていたにも関わらず国民は朝日に騙され続けてきたのですから、マスコミって本当に怖いですね。
  これだって、ネットが無ければ今も私もそうですが殆どの人が気づかず、今頃は完全に韓国によって乗っ取られていたのじゃないでしょうか。
  というか、まだまだこれからが勝負です。朝日・NHKを解体し、特亜の人達を日本から追放し、国交断絶まで行かないと本当に安心できる日本を取り戻すことは難しいのじゃないでしょうか。

  桜チャンネルが頑張ってくれています。ここでも次世代の党が挨拶してくれています。

  朝日新聞を糺す国民会議


ソーラークリニック

2014年11月02日 | 太陽光発電

  第 5488回に次いで太陽光発電 診断 ソーラークリニックに9月分の診断結果が発表されています。

   8月の記録的な発電量422kWhから9月もどうなる事かと心配していましたが、537kWhと例年並 みの発電量に戻りました。これを見ても、如何に今年の8月の天候が異常だったかが分かるのじゃないでしょうか。
  その割に、心配していた程、米など農作物への影響は大きくはなかったようです。もともと、家庭菜園の趣味も無く芝生 しか植えてない我が家にとっては、 今年の夏の冷夏と雨は大助かりでした。去年は水道代を節約するために水遣りをしなかったところかなりの被害が出たので、 今年は、夏にも水遣りをする予定に していたのですが、結局殆ど必要ありませんでした。それでも芝生は例年以上に青々と茂っています。

  大雨の被害を被った方には申し訳ないですが、今年の冷夏は、私にとっても、芝生にとっても恵みの冷夏でした。
  
     登録名はそのまま「マア小父の発電所」です。

    月間 発電量(パネル1kWあたり):     
     
      2014 年     8 月                     1832/1929          76.7kWh/kW

     2014 年     9 月                     1534/1892         97.6kWh/kW 

     月 間日射量比ランキング
 
      2014年    8月                     1880/1929          0.649

          2014年    9月                     1806/1892           0.692

     年 間発電量:(パネル1kWあたり)    
 
     2013年    9月~ 2014年     8月    1418/1641     1072 kWh/kW

          2013年   10月~ 2014年     9月    1414/1625     1069 kWh/kW

    年 間日射量比ランキング:   
 
     2013年     9月~ 2014年     8月         1558/1641            0.698

          2013年    10月~ 2014年     9月         1540/1625            0.7

   ランキングも少し上がっているようですが、どうも参加者が減っているのもあるようです。相変わらずの低 位置をさまよっています。
 

 さて、来月 は!

  


東レはシャープの徹を踏むのか

2014年11月02日 | 日本的経営の崩壊

  第 253回の「売国奴経団連」で東レの 会長が経団連の会長になることにどうも胡散臭いものを感じたことを書きました。
  前の会長も胡散臭かったですが、今度の方が韓国との密接な関係がありそうで心配でした。大 津いじめ自殺の影にも東レがあるようだし、何と「ハングルの授業」をさせていたのもこの東レの意向だとの話 もあるそうです。
  
  その胡散臭さの正体が解るブログがありました。ソース元は日経ビジネスオンラインの ようです。兎に角、読んでいたら余りの売国奴振りに呆れ果てました。今時こんな会社があるんですね。
  かなり長いですが、日本の将来に関わる記事なので全文を取り上げます。リンク元のコメントもこの東レの考え方に呆れ 果てている人がほとんどのようです。
 
  厳選!韓国情報より  20141028

   「親 韓とか嫌韓なんて関係あらへん。韓国で作るのが東レにとって最善の選択やったからそこに決めただけ」 東レ・日覺社 長、国内の反発の声にもひるまず韓国に生産拠点を設置 

  今や東レの売上高全体の半分近くを占める海外事業。1027日 号特集「東 レ 勝つまでやり切る経営」で紹介したように、危機に直面したマレーシアの現地法人は、欧米アパレル メーカーが集う“情報発信地”として変貌を遂げた。海外の 現地法人がそれぞれに自律的な成長を模索するのが、東レの強みになっている。その中でも、繊維やフィルム・樹脂から 炭素繊維、水処理膜まで幅広く手掛ける 「ミニ東レ」とも言える際立った拠点がある。韓国だ。

  ソウルから高速鉄道と車を乗り継ぎ、3時 間余り。韓国の中央部に位置する工業団地の一角に、子会社の東レ尖端素材韓国(TAK) の主力工場が広がる。日覺昭廣社長が「東レの成長を支える最重要拠点」と語る場所だ。

 韓国を代表する電子メーカーであるサムスン電子とLGディ スプレーの工場が隣接。東レ尖端素材韓国は地の利を生かし、ここで両社のスマートフォン向け素材を一括生産してい る。韓国国内での光学フィルムのシェアは35%に迫る勢いだ。

  サムスン先代の遺言

  「末代まで東レに足を向けて寝るな」。サムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長は、グループ創業者で父親の故李秉喆(イ・ビョンチョル)氏から何度も こう言われた。

  東レとサムスン。両社の関係を紐解けば、1972年 まで遡る。

  李秉喆氏はサムスングループの祖業の1つ である繊維事業強化のため、同年にポリエステル繊維などを生産する第一合繊を設立した。その際、同社に共同出資 した上で、合繊の基本技術や生産設備を提供したのが、東レだった。サムスングループは合繊での成功を足掛かりに、電子や機械、金融などに事業を拡大。韓国 最大の財閥にのし上がることができた。いわばそのお膳立てを東レが担ったことになる。

  第一合繊はその後、サムスングループから分離。経営を引き継いだ韓国セハングルー プが1999年に経営難に陥ると、東レは同社に出資 し、合弁会社の東レセハンを設立した。

  当時はアジア通貨危機で韓国経済が打撃を受けた時期だったが、中興の祖である故前 田勝之助会長(当時)が「苦しい時期にこそ新規投資すべき」と社内の慎重論を押し切り、最終決断を下した。

  社員の4割はサムスン出身者

  その判断の正しさはすぐに証明された。サムスン電子がスマートフォンで成功するのに合わせ、TAKの 業績も好転。競合のLGディスプレーからも引き合い が強まり、TAKIT素 材事業は2002年度に67億 ウォンだったのが、2013年には50倍 の3459億ウォンに急拡大した。

  「ソウル市近郊に先端材料研究センターを新設。そこでサムスンとLGの 両社員とスマートフォンの共同開発を進めることができたため、新製品の情報をいち早く手に入れられるようになっ た」。TAKの李泳官会長はこう振り返る。

  顧客との二人三脚の研究・開発・生産体制を整えられた素地に、サムスンの東レへの 恩義があったのは間違いない。だが過去の話ばかりではない。実は、 TAKの 社員約1200人のうち4割 に相当する約500人はサムスンとの合弁会社の時代に入社した 元サムスン社員。李会長もその1人だ。

  現在、サムスンから厳しい値下げ要求を受けているが、「それぞれの社員がサムスン と人的なネットワークを持っており、良好な関係は簡単には崩れない」(李会長)という自信につながっている。

  東レは2008年にセハングルー プの持分を追加取得し、完全子会社を実現した。

  「韓国で炭素繊維の生産工場を作ります」。20111月、 日覺社長がソウル市で開いた記者会見の内容に、世間は驚愕した。

  批判噴出の炭素繊維・韓国工場

  炭素繊維はミサイルや戦闘機の素材に使われる可能性があるため、外国為替及び外国貿易法(外為法)で厳格な輸出規制が敷かれる重要先端素材だ。

  韓国で生産すれば、技術流出してしまうのではないか。外交問題から日韓関係が悪化 した時期にも当たり、国内の一部から「売国企業」「敵に塩を送るな」などの厳しい批判が東レに寄せられた。

  東レ社内でも慎重論が広がった。東レセハンへの出資を決めた前田氏ですら当初は懐 疑的だったとされる。さらに経済産業省からも何度か再考を促されるが、日覺社長は最後まで首を縦には振らなかった。

  「『親韓』とか『嫌韓』とか関係あらへん。韓国で作るのが東レにとって最善の選択 やったから、そこに決めただけ。誰に文句を言われる筋合いもない」。後に、日覺社長は淡々とこう語っている。

  国内世論の反発を顧みず、なぜ日覺社長は韓国での工場新設を断行したのか――。

  炭素繊維は高機能のアクリル繊維を高温で焼成し、炭化して生産する。韓国の炭素繊 維工場はこのうち焼成工程の設備を置き、原料となるアクリル繊維は日本 から輸入する予定だった。「独自技術の固まり」(東レ担当者)である炭素繊維向けアクリル繊維の生産工程は現地に移 植しないため、中核技術が流出する可能 性は低い。この点から日覺社長は批判を見当違いの感情論だと見なしていた。

  50年間無償の地代

  それだけではない。最も大きいのは「40年 かけて東レのマインドがしみ込んだ優秀な人材が育っている」(日覺社長)点だった。一から人材育成を始めるより、ゼ ロより効率的に工場を稼働できる。信頼する社員に任せるため、技術流出リスクも最小限に抑えられる。

  韓国政府と自治体による優遇措置も決め手となった。炭素繊維の新工場の敷地は50年 間無償で借りられる。さらに、法人税を7年間、地方税を15年 間免除され、3年間は関税も減免される措置まで付いていた。も ちろん日本と比べて電気・水道などの光熱費も低く抑えられる利点もある。

  「冷静に収支勘定をすれば自ら結論は出ていた」。工場での設備計画・運営などを担 当する工務部門の経験が長い、日覺社長ならではの経営判断だったと言えるだろう。

  東レは昨秋、東レセハン設立時に、分割して韓国ウンジングループの傘下に入ってい た織物と水処理膜の両事業の買収を決定。さらに2018年までに総額3000億 ウォンを投じ、韓国西部に鉄より強くて軽いスーパープラスチックの原料となるPPS樹 脂の生産工場も立ち上げる。いずれも、日覺社長が主導した案件だ。

  日覺社長は韓国を、東レの技術を移植する生産地として捉えているだけではない。逆 に、韓国の子会社で生まれた独自技術を東レ全体の成長ドライブとして生かそうという動きも出てきている。

  今年9月末、東レの繊維事業本部の社員8人 が高知県の山間部に位置する紙産業技術センターで、紙すきの機械相手に奮闘していた。持参した繊維を機械に入れ、パ ンツ状に加工する。失敗すると、顔を突き合わせて原因について話し合う。

  TAKは東レセハン時代、セハングループから移植 した紙おむつに使われる不織布の生産技術を事業化した。これは東レが持っていなかった技術だった。ただ日覺社長はそ れだけでは飽き足らない。現在はP&Gやユニ・チャームなどの顧客に不織 布を供給するだけだが、「おむつの作り方を習得することで、顧客が求める素材開発に生かそうと考えている」(浅田康 治短繊維事業部長)。

  逆輸入した紙おむつ素材の生産技術

  原料供給だけでなく、生地や染色、縫製まで手掛けることで、顧客が求める素材提供 を可能にした衣料品事業。この成功モデルを衣料品以外の繊維分野にも拡大しようと模索している。高知県への視察はそ の第一歩だ。

  日覺社長は2008年のTAK完 全子会社化後、韓国のほか中国やインドネシアにも不織布の生産拠点を新設。今では世界3位 の規模に成長した。さらに中国での増設やインドでの新設を検討しており、2020年 には世界2位への躍進を見込んでいる。

  今年6月に、日本経済団体連合会(経団連)の新会長に 選出された東レの榊原定征会長。有力候補の辞退など紆余曲折を経て、最終的に現職の副会長からではなく、元副会長の 榊原氏に決まった。

  人選を絞り込む際に、東レの独自コネクションを使って、韓国との関係修復を図って ほしいとの政財界の思惑も少なからず作用したと言われている。実際、榊原氏は韓国の経済団体・全国経済人連合会(全 経連)との定期会合を今年12月に7年ぶりに再開することを決めるなど、精 力的に関係修復に動いている。

  韓国と浅からぬ関係を築いた東レだが、韓国だからと盲目的に投資を重ねてきた訳で はない。「現場にすべての答えがある」と話す日覺社長の「超」現実主義がはじき出した合理的な解が、結果として韓国 に揃っただけと言える。 ソース(日経ビジネスオンライン


  「末代まで東レに足を向けて寝るな」には笑うしかないですね。これを読んで、第 5099回の「おかしなシャープ」や第 5123回の「孫・サムソンの壮大な裏切り」で書いたあのシャープの凋落を思い出しました。東レも同じ道を 歩みそうな気がするのは私だけでしょうか。
  シャープの場合は日本人独特のお人好しを利用されたという気の毒な面が大きいですが、この東レのやり方を見ている と、日本の国より自社の利益しか頭にないような気がします。
  この感性はどうも経営者があちらの人じゃないかと思いたくなります。その日覺社長の動画がありました。  

 日 覺昭廣 東レ社長 2014.3.14

   さて、東レの戦略は上手く行くのでしょうか。それとも、韓国と一緒に崩壊に向かうのでしょうか。その行く末に は興味深いものがあります。
  それにしても、日本の未来を握る企業がこんな経営者達によって崩壊に至るとなればその罪は重いですね