団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★★虐殺されたはずの南京市民

2014年11月27日 | 中国

  昨日紹介したブログ「日本は世界を平和にします」で本当に取り上げたかったのは南京虐殺の話題でしたが、安倍さんと舛添の違いを知って、あちらが先になりました。

  さて、その南京虐殺ですが、そんなものは無かったことを証明してくれる動画を紹介してくれていました。南京の動画は何度も見ましたが、これは無かったような気がします。

  日本は世界を平和にしますより  2014-10-26

  南京陥落当時の姿が何とも平和的

  テーマ:日本は良い国

  戦争捕虜の話と共に、オーストラリアにおける反日の為のネガキャンにに使われることの多い南京大虐殺事件、これから知識武装してディベートに備えなければいけないなと思っていたら、とても良い動画を マサコスミスさんから紹介していただきました。

  「虐殺されたはずの南京市民」是非ともご覧ください、子供たちの笑顔がかわいらしくて明るい気持ちになります。南京崩落後の恐ろしい映像と覚悟してみたらびっくりするかもしれませんね。

  こんな素晴らしい動画をアップしてくれている方達に比べて、何度も書きますが、外務省は何をしているのでしょう。こうした動画を外務省が率先して世界に広げるべきでしょう。言うだけ無駄か。


FCVは不要か

2014年11月27日 | エネルギー 環境

  第 5388回の「燃料電池の時代か」で取り上げたトヨタのFCVがいよいよ発売開始されるそうです。ホンダは 少し遅れて来年のようです。いよいよ燃料電池時代の開幕でしょうか。  

   レスポンス(Response.jp)よ り   2014年11月19日(水)

  2015 年は水素元年? ホンダとトヨタが1日違いでFCV発表…想いの一致と微妙な違い

  トヨタとホンダが1日違いでFCV(燃料電池車)を発表。ホンダは11月17日、東京・青山の本社で『FCVコンセ プト』を、トヨタは同月18日、日 本科学未来館で“世界初の市販FCV”となる『MIRAI』を公開した。「水素元年」といわれる2015年を目前に両社 が想いを伝えた。

   「FCVは2015年度中に発売する」というホンダは、公開したクルマの価格や販売時期については明言を避けた。その翌日に発表したトヨタは、複数台の実 車やカットモデルを展示し、価格や販売チャンネル、生産工場(愛知県豊田市の元町工場)などを発表。走行性能や安全面な どについても訴求した。

   水素ステーションなどのインフラ整備についてのかかわり方も両者で違いがあった。ホンダは岩谷産業と共 同で、水素製造から充填までの主要構成部位をパッケージ型に収納、10フィートコンテナほどに小型化した「スマート水素 ステーション」を開発。

   いっぽうトヨタは「餅は餅屋」を貫く。加藤副社長は「トヨタが直接インフラに取り組むということは考え ていない。『餅は餅屋』で、いろいろな事業体と連携し、整備状況などを見ながら運営などにかかわっていきたいとは思って いる」と語った。…以下略

  一時は一台何億と言われた価格が700万円までコストダウンされたことに驚き、もしかしたら本当に燃料電池時代なん て来るのかもしれません。

 

  それでも、問題はやはり、水素ステーションでしょうね。今のガソリンスタンドに置き換わることが出来るのでしょう か。EVのステーションよりコストはかかりそうですが、これが出来ない限りは全国的に普及するのは相当難しそうです。出 来るとしても、何年後でしょうか。

  水素に関しては、第 4083回第 4250回の「R水素」が脚光を浴びるかもしれません。スタンドでR水素を製造販売なんてものが出来れば面 白いかもしれません。これもコストが合うかどうかでしょうね。 

2分 でわかるR水素(再生可能水素) / Renewable hydrogen in 2 minutes

  一方、燃料電池は不要という説もあるようです。R水素も否定されています。ところが、ここに、思わぬ太陽光発電など 自然エネルギーへの評価がありました。
  
   アゴラ 言論プラットフォームよ り

   水 素エネルギー社会は夢で終わる(その1)――燃料電池車は不要である 山田 高明

  …略

  燃料電池車が本質的にEVに劣る理由
 燃料電池には水素と酸素という「燃料」が必要だ。ただ、酸素は空気中から採取できるが、水素は人間があらか じめ用意する必要がある。だから、 エネファームなどの定置用の燃料電池は、ガス管に接続せねばならない。メタンを改質して水素を取り出すという工程がどう しても必要になる。だが、逆にいえ ば、それだけですむ。ところが、自動車などの移動体用だと、それができないので、水素タンクを別途搭載する必要が生じ る。

   これが「定置用」と「移動体用」の命運を分ける。単に利便性の問題というより、諸悪の根源になる、と評 しても過言ではない。なぜなら、そ の移動体を機能させるためには、水素の生産・流通のインフラを確立し、維持する必要があるからだ。しかも、この種のエネ ルギー需給プロセスは必然的に多く の無駄を生じさせるので、非常に利用効率が悪い。…以下略


  水素 エネルギー社会は夢で終わる(その2)――政治的エネルギーとしての水素?

  …略

  誰がナンセンスを推し進めているのか?
 では、仮に上のような水素インフラの構築が可能になったとして、改めて「燃料電池車と水素インフラ」と 「EVと電力インフラ」を比較してみると、総合的に見てどちらが優れた選択だろうか。答えは、まったく考えるまでもない のだが、一応記しておく。

   まず、燃料電池車のメカニズム自体がEVに比べて非常に複雑であり、その分、高価だ。車体価格がいつ一 般車並みに下がるのか、誰にも分か らない。また、燃料電池車を街に走らせるためには、新インフラ構築のための莫大な投資が不可欠になる。その費用は最終的 に燃料費や税に転嫁されよう。その くせ、燃料輸送の手間や、供給がステーションに限られる点は、以前の内燃車から少しも進歩していない。

   対して、EVの場合、既存の電力インフラをそのまま流用できる。日本中どこでも電線が張り巡らされてい るので、燃料輸送の手間もいらない し、プラグさえあれば供給もステーションに限らず、自宅、コンビニ、勤務先、道路脇、駐車場でもいい。実質「どこでも充 電」が可能だ。この点では、以前の 内燃自動車システムからの明確な進歩だろう。むろん、急速充電器を増やすには予算がいるが、要は大きめのプラグに過ぎ ず、巨額の整備費というのは杞憂だ。 太陽電池と無線充電の進歩次第では、将来的にプラグすら不要になる。

   EVで常に問題にされるのは蓄電池の性能とコスト、それに拠る走行距離であるが、これはもう心配しなく てよい。今まで蓄電池開発者の間で は、エネルギー密度として「リッター1kWh超え」が一つの目標だったが、数ヶ月ほど前、豊田中研の新型二次電池があっ さり2kWh超えをやってしまっ た。セダンタイプのEVは1kWhの電力で6~8キロほど実走行できる。1ℓサイズのペットボトルを思い起こしてほし い。あれで15キロ前後も走行できて しまうのだ。蓄電池スペース次第だが、これで1回の充電で走行距離が千キロ以上に伸びる。今は充電サイクルなどの課題も 多いが、早晩、市場投入されるだろ う。…中略

  このように、今や「燃料電池車と水素インフラ」が劣った、愚かな選択であることは誰の目にも明らかだ。問題は、政 府・経済産業省内に、なぜ「2~30 年度の水素エネルギー社会の本格的到来」を謳い、燃料電池車を広めようとしている勢力がいるのか、という点である。彼ら は今後、メーカーに燃料電池車を市 場投入させ、予算を投じて水素ステーションを各地に整備しようと目論んでいる。もちろん、市場競争でEVに勝てるはずが なく、それらは早晩、ゴミ処理場に 向かうことが確定している。なのに、どうしてこんな馬鹿げた、不合理な計画が進んでいるのだろうか? もしかして、「一 度決めたら、絶対にプロジェクトの 過ちを認めず、後戻りしない」という霞ヶ関の無謬主義のためか。…以下略


   水 素エネルギー社会は夢で終わる(その3)――R水素はコンセプト倒れとなる

  …略

  R水素の理念とは?
  水素エネルギー論者の中には、水素こそ持続可能なエネルギーシステムの核となりうると考える人が少なくな い。水素は地球圏にほとんど存在し ないが、原料が水であるため、無尽蔵に存在するに等しい。しかも、直接燃やしても、燃料電池に投入しても、どちらにして も酸素と化合するために、排出され るのは水だけであり、環境を汚染しない。

   この点に着目した海外の学者が唱え、世界中の環境主義者に広まったのが、再生可能renewableと いう意味での「R水素」という概念 である。水素エネルギー社会を待望する人の中には、一定の割合でこのR水素を信奉する自然エネルギー論者が存在してい る。
彼らの主張は次のようなものだ。太陽光や風力は豊富にあるが、天候次第という欠点がある。そこで、それらの供給力が需要 をオーバーしている時などに、その 余剰電力を使って水を電解する。そうして製造した水素は、逆に供給力が需要に届かない時などに、燃料電池などのエネル ギー源とする。こうすれば、不安定な 太陽光・風力発電の欠点が補える。しかも、この種の水素は、単に自然エネルギーの保存だけでなく、自動車のエネルギーや 化学原料としても使えるので、石油 の代わりにもなる。よって、自然エネルギーとそれに拠る「再生可能水素」の利用を拡大していけば、最終的には脱化石エネ ルギー、つまり持続可能な「カーボ ンフリー」社会を築き上げることができる…こんなところである。

   このような理念は、そもそも「電気は保存できない」又は「し辛い」という“常識”から来たものだ。われ われ需要家にとって、電気というの は必要な時に必要な量がなければ意味がない。ところが、太陽光や風力は気まぐれに発電するため、そのニーズに十分に応え ることができない。よって、自然エ ネルギーで作った電力をいったん「水素」に転換しておけば、エネルギーの保存と電力の需給調節、他の目的での使用等が可 能になるというわけだ。

  わざわざR水素で太陽光や風力を保存する必要はない
 つまり、これは「蓄電池の代替案」なのである。ところが、この考えにはある重大な思い違いというか、はっき り言えば「無知」が存在している。そして、不可解なことに、私の知る限り、今までそれをはっきりと指摘した専門家は誰も いない。

  それは、こういうことである。たしかに大電力を保存することは、今日でも至難の業だ。だから、負荷平準化のために、数割のロスを覚悟してまで、揚水発電な どが利用されている。だが、このような土木工事を伴う「巨大蓄電池」は何千億円もの整備費を要し、環境規制もあるため、 そうホイホイと造れるものではな い。ところが、同じ100万kWの発電所から生み出される電力であっても、火力・原発由来のものならば、揚水発電によっ て蓄エネする他ないが、太陽光と風 力であれば、必ずしもその必要はないのだ。なぜなら、メガソーラーもウインドファームも「モジュールの集合体」だからで ある。

   ここが巨大なタービンとダイナモから巨大電力を生む火力・原発との違いである。たとえ、その発電所が 500万kWや1千万kWの巨大出力 を誇ろうとも、元はといえば、1基の風車、1枚の太陽光パネルから構成されている。風車の出力はせいぜい3~5千kWだ し、太陽光パネルもそれと同程度の 出力ごとに分割することができる。そして、そういった「小電力」ならば、比較的容易に蓄電が可能なのだ。

   皮肉なことだが、「エネルギー密度が低い」という太陽光や風力の欠点が、電力貯蔵の上では逆にメリット と化すのである。しかも、発電所に 併設する電力貯蔵施設は、自動車ほど空間の制約を受けない。つまり、エネルギー密度が低く、図体が少々デカくても構わな いのである。よって、自動車用とし ても有望な溶融塩電解液電池や金属空気電池などは言うに及ばず、NAS電池、レドックス・フロー電池、電気二重層キャパ シタなども大いに活用できるのだ。 このように、今では小電力の保存に適した実用的な蓄電池・キャパシタなどが次々と登場し、現に一部の発電所で貯蔵用とし て導入され始めている。

   つまり、「電気は保存し辛い」という“常識”は、少なくとも小電力に対しては、とっくの昔に当てはまら なくなっているのである。

   蓄電池の技術は今も日進月歩だ。このまま蓄電池の性能とコストが改善していけばどうなるか、この点に少 しは想像力を働かせてもよいのでは ないだろうか。当然、太陽光や風力によって発電した電力は、わざわざ水素に転換するという無駄なことをせずとも、そのま ま蓄えておけばよい。しかも、貯電 能力次第では、短期的な出力変動のみならず、「昼夜→数日間→一週間超」といったレベルの負荷平準化にも対応できるよう になる。これはダム式水力に極めて 近い性質の電源を意味する。そうなれば、太陽光や風力発電は、もはやバックアップのいらない「自立した一人前の電源」 だ。

   しかも、この種の「高性能蓄電池とセットの太陽光・風力発電」の普及は、「クリーンで持続可能な国産エ ネルギー」を増加させるだけでな く、電力システム全体を筋肉質に改善する効果をも持ち合わせている。日本の電力需要は約1兆kWhであるため、本来なら 1億4千万kW強の発電設備が年間 8割稼動していれば賄える。ところが、大電力の一部しか保存できないため、負荷変動に対応しきれず、1億8千万kWの夏 ピークに合わせた設備を整えること を余儀なくされている。それによって日本は約4割もの過剰設備を強いられているのだ。しかし、上のような新式の太陽光・ 風力が普及していけば、需要ピーク に合わせたこれまでの電源整備から、年間消費量に合わせた整備へとシフトしていく道が開けよう。例えるならば、これは漁 業に冷凍庫が登場したような革命で ある。

   むろん、今の蓄電池の性能とコストからすると、ピーク対応の予備電源を設置するのとさして経済性に違い はないかもしれない。しかし、それ が改善していくにつれ、蓄電池併設の有効性は高まる一方となるだろう。「お天気任せの太陽光や風力」という悪評が過去の ものとなるばかりか、それが普及す るにつれ、電源の設備過剰という構造的な問題も少しずつ解消されていくのだ。そうすると、今の段階で、ドイツ式のFIT などを使って「蓄電池なき太陽光や 風力」を“爆発的に普及”させることが、果たして正しいのかという疑問が沸いてくる。しかも、わざわざ電解水素を作って 需給調節しようというのだ。このよ うな行為が、何か二重、三重に間違っているように思えるのは私だけだろうか。…以下略

   『「小電力」ならば、比較的容易に蓄電が可能なのだ。』に目を覚まされました。今まで、こういった視点で考えたこ とはありませんでした。
  その上、ここでも何度も取り上げて来た電池が、『よって、自動車用としても有望な溶融塩電解液電池や金属空気電池な どは言うに及ばず、NAS電池、レ ドックス・フロー電池、電気二重層キャパシタなども大いに活用できるのだ。』と期待されていることに改めて驚かされまし た。

  こうなると、昨日の第 5547回太 陽光発電は生き残れるか」で取 り上げたNECの多 数の蓄電池制御システムが活き てきそうです。
  何だか、思わぬところから 又しても太陽電池に未来が開け そうです。やはり、太陽光発電 の火を消してはいけないです ね。

   又、 面白くなりそう!


国際試合に公正なジャッジを!

2014年11月27日 | 日本再生

  又、次世代の党がやってくれました。あの韓国 の国際試合での出鱈目 を糺そうと立ち上がってくれたのです。今まで、浅田真央さん達がどんなに酷い目に合っても、日本政府は何の抗議もしませ んでした。それどころか、肝心のス ケート連盟やサッカー協会、今度のアジア大会での水泳連盟など選手を守るべき組織が韓国によって汚染されて守るどころ か、知らん顔です。
  日本人はここまで堕落してしまったのかと怒りが収まりませんでした。

  ところが、次世代の党が立ち上がってくれたのです。ねずさんが紹介してくれています。ねずさんはこの場にも立ち会っ ていたそうです。

  それにしても、これまでこの問題を取り上げた政治家や政党が無かったと言うのも凄まじいものがありますね。やはり、 日本の政・菅・財・マスコミなどの汚染は想像を絶するものがありそうです。

  こうした問題に取り組んでくれたのは次世代の党が初めてでしょう。国会質問を見ることが今ほど楽しくなったのは次世 代の党のお蔭です。中にはおかしなのも居るようですが、それは、個々に相手にしなければ良いでしょう。
  特に、ここに取り上げた動画の人達は絶対に日本にとって必要な人達です。何があっても国会に帰って来てもらわない と、日本は再生どころか、崩壊です。

  ねずさんの ひとりごとよ り  11/22

  【拡 散希望】「国際試合に公正なジャッジを!」次世代の党が立ち上がる。

  昨日、衆議院は解散となりました。

  昨日の午後からは、各先生方が全員地元に帰り、いよいよ来月の選挙に向けて 動き出しています。

  そんななかで、昨日、ひとつの大きな動きがありました。

  それは、次世代の党の先生方が、「すべての国際試合に公正なジャッジを」と いうテーマで立ち上がってくれたのです。

  「すべての国際試合に公正なジャッジを」というのは、いうまでもなく、ス ポーツの世界ではあたりまえのことです。

  公正なジャッジを前提にすればこそ、世界中のすべてのアスリートたちは、そ のことを前提に、厳しい練習に明け暮れているのだし、そのことを前提にだいじな国際試合に臨んでいるのです。

  ところが近年このことが、特にアジアでの大会などにおいて、崩れつつありま す。

  たとえば先日行われました仁川アジア大会では、至る所で国際大会にあるまじ きアンフェアな判定が行われました。

  バトミントンでおかしな風が吹いた。

  卓球台が傾いていた。

  ボクシングではインドの女性選手が不可解な判定負けになり、表彰式のとき に、涙で自分の銅メダルを韓国の選手の首にかけました。

  レスリングではイランの選手がフォールつまりは「一本」で勝った試合がひっ くり返されたりしました。

  おかしなことにこうした判定のあったすべての試合では、一様に韓国だけが有 利になる判定となっていました。

  そして世界中の観客が、真剣に競技に向き合った選手たちの悲しい涙を見まし た。

  世界が、まさに「煮え湯を飲まされている」のです。

  けれど、そうした怒りの声が集約され、政治の介入を招くことはいままでな かったのです。

  理由は簡単です。
  スポーツは公正が前提であって、そこに政治が介入すべきではないからです。

  けれど、ここまで酷い不公正が現実に行われているときに、いまのままで放置することが国家として、日本人とし て、あるいは世界のスポーツにとって、あるいはアスリートたちにとって、それが良いことといえるのでしょうか。

  そこで今般、次世代の党のみなさんが、この問題を国政においてもきちんととりあげるよう、たちあがってください ました。
  詳細は、やまと 新聞の記事に詳しく掲載されています。…以下略

次 世代の党緊急座談会「国際試合に公正なジャッジを~Fair Judgement for all Athlete!