この根本中将も侍ですね。ここまで肚の座った人は先人でも少なかったのじゃないかと思ってしまいます。
と言いながら、それに匹敵する人達をねずさんが沢山取り上げてくれているのを考えると、やはり先人はそれ程に凄かったということでしょう。
やはり、こういう人達が日本の歴史から消されるのは余りにも勿体ない。子供の頃にこうした方達の素晴らしさを教えられることこそが大事です。
それを邪魔する日本の今の教育は完全に狂っています。それを変えようとしない政府・自民党も最低です。
この話もねずさんが何度も取り上げてくれていますが、何度読んでも感動します。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/08/18
金門島の戦い/根本博中将
・・・略
実は、終戦当時、根本陸軍中将は駐蒙軍司令官としてモンゴルにいたのです。
八月九日以降、ソ連軍があちこちで略奪や暴行強姦、殺戮を繰り広げている情報は、もちろん根本陸軍中将のもとにもたらされました。
そして八月十五日、中将のもとにも武装解除せよとの命令が届けられました。
しかし、こちらが武装を解除したからといって、日本人居留民が無事に保護されるという確証は何もありません。
考え抜いたあげく、根本陸軍中将は、
「民間人を守るのが軍人の仕事である。
その民間人保護の確たる見通しがない状態で
武装解除には応じられない」
とし、
「理由の如何を問わず、
陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。
これに対する責任は一切司令官が負う」
と、命令を発しています。
駐蒙軍の意識は、これによって一様に高まりました。
八月十九日、ソ連軍とチャイナ八路軍の混成軍が、蒙古の地へなだれ込んできました。
彼らはソ連製T型戦車を先頭に押し出し、周囲を歩兵で固め、空爆を駆使し、数万の軍勢で一気に日本軍を踏みつぶそうとしてきました。
激しい戦いは三日三晩続きました。
結果がどうなったか。
ソ連軍が敗退し、蒙古侵攻から撤収したのです。
根本陸軍中将率いる駐蒙軍が戦いに勝利したのです。・・・中略
奥さんや娘さんも偉いです。
ただ出ていったときと同じ姿で、まるで出かけたその日の夕方にでも帰ってきたかのように釣り竿を手に帰宅した夫に、ただいつもと同じように「おかえりなさい」と言って、夕餉を用意し、そのまま夫が死ぬまで、
「あなた、どこに行っていたんですか」と問うこともしませんでした。
軍人の妻とは、そういうものと心得ていたからと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、釣り竿を持って出ていったその日から、夫は突然、行方不明になったわけです。
奥さんはその間、子を抱えて、終戦直後という食料も衣類もない過酷な時代を、ひとりで乗り越えるしかなかった。
さぞかしたいへんなご苦労があったものと思います。
けれど3年経って夫が、つい今朝出ていって、まるでその日の夕方帰宅したかのように帰ってきた。
その日も、それからのまる40年間も、奥さんは夫が死ぬまで、一度も夫に、どこに行っていたのか、何をしていたのかと尋ねることをなかったし、いない間の苦労を夫に咎めだてすることも一切なかったといいます。
日本では古来、男女は対等です。
どちらが上ということはありませんし、支配と被支配の関係でもありませんし、隷属の関係でも、依存関係でもありません。
対等ということは、男女がともに精神的に「自立」しているときにはじめて成り立つものです。
そして咎めだてしなかったということは、そこに絶対的な夫婦の信頼があったということです。
また娘さんも同様に、父をまったくとがめることをしなかったそうです。
つまり親子の間にも、自立と本物の「信頼」という強い絆があったのです。
すごいことだと思います。
いつの日か、根本博陸軍中将ご夫妻の映画ができたら良いなと思っています。
そしてそのような映画が、上映中止に追い込まれることなく、多くの日本人の賛同を得ることができる、そのような日本にしていくことこそ、いまを生きる私たちの使命なのではないでしょうか。
それにしても、凄いご夫婦ですね。先人にはこんなご夫婦も多かったのでしょう。
どう考えても今の日本人と同じ人種とは思えません。なんとしても、この心を取り戻したいものです。