呑百姓の家に育ち、子供の頃から手伝いをして友達が遊んでいるのを羨んだものです。特に、その頃は殆ど手仕事でした。つまりは重労働の世界でした。そんな経過もあって百姓だけはしたくないと思って育ちました。
ところが、今になって、やはり食料時給出来る百姓こそが一番強いのじゃないかと思うようになりました。と言うか、それが現実でしょう。
ねずさんが二宮尊徳からそうしたことを教えてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/08/21
小さな積み重ねが日本を変える
・・・略
たしかに農村部の生活は、一年365日、昼夜を問わぬ忙しさで、実際に子供時代、そんな農村で暮らした経験のある方なら、そのたいへんさは、肌でお感じになっているものと思います。
土にまみれ、泥だらけになって働く姿は、都市部のこざっぱりと垢抜けした人々から見たら、3Kと思われるかもしれません。
けれど、ほんのちょっとだけ考えていただきたいのです。
諸外国において、農民は、なるほど最低の生活をする農奴たちです。
その様子は、着るものもなく、食事もままならぬ、眠るに布団さえもない、まさに貧困そのものの姿です。
もしかしたら、まだ現代のダンボールhouseに住むホームレスの方が、よほど良い暮らしかもしれない。
それくらい、人の生活を支える食料を生産する、いちばん大切な生産者の姿は、悲惨な姿のものでした。
けれど、日本の農村部は、だれひとり「自分たちは豊かだ」と思っている人はいないけれど、世界の標準から見たら、豪農と呼んだ方が良いくらい、豊かな生活を実現しています。
これが日本の底力だったのです。
残念なことに、戦後、GHQが行った農地解放によって、日本の積年の実績ある農家は、事実上の解体を余儀なくされました。
そして農地は細分化され、農家も核家族化が進行し、いまではすっかり70代ばかりが細々と農業を続けている、そんな状況に至っています。
もちろん、この先、農業のあり方が大きく変化していくことは、あり得ることだと思っています。
工場で大豆を生産し、その大豆を加工して擬似お肉や、疑似野菜を作り出す。
そうすることで、まるでドッグフードやキャットフードのような人間用完全食を作り出し、それによって人々は食に困ることのない新たな世界を築き出すという人もいます。
しかし食には、もうひとつ、楽しく、美味しくいただく、という側面があります。
ただ必要な栄養が取れさえすればよい、というものではないのです。
そして日本は、神話の昔から、人々の「よろこびあふれる楽しい国」を希求し続けてきた国です。
そういう意味で、日本人にとっての農業は、ただ食料を生産しさえすれば良いという以上に、実はもっと重要な意味を持っているということができます。
ともあれ、両親も、田畑さえも失った14歳の二宮金次郎が、たったひとりで猫の額ほどの小さな畑を耕して、菜種をとっていた、その小さな努力が、気がつけ ば世界最強の軍をつくり、また日本の高度成長を支える原資となった、ということは、あらためて、現代を生きる私達が、考えてみなければならないことである ように思います。
目の前にある小さなことの積み重ねが、世界を変えるのです。
このことは、おそらくAIが進歩した未来社会においても、きっと変わることのない真実であろうと思います。
やはり日本は米の国です。米と大豆に野菜を自給自足できれば充分生きて行けます。贅沢を望まなければそれなりに楽しく生きていけるでしょう。今更ながら百姓を捨てたことを後悔しています。バカですね。