団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★北朝鮮偵察衛星の正体

2023年12月04日 | 北朝鮮・チュチェ思想

 北の金ちゃんは相変わらずやりたい放題です。その金ちゃんのやり方は先の2代とは違うようです。
  それを青山さんが「ぼくらの国会」で教えてくれています。それにしても、それを放置している日本の不甲斐無さには呆れるばかりです。
  政治も国民も腰抜けとしか言いようがない。こんな腰抜けの国が生き残る意義はあるのでしょうか。


  日本は、拉致被害者を取り返すこと無く終わらせてしまい、それで解決したと言い出すのでしょうか。正に恥知らずです。そうまでして生き残る意義があるとは思えません。余りにも情けないですね。これが日本でしょうか。


★怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生

2023年12月04日 | アメリカ

 

最後の『パンダハガー』の大物キッシンジャーがやっと大往生したようです。散々日本を痛めつけてきた人だけにやっとかという感慨しか沸きません。

  宮崎さんがとりあげてくれています。それにしても、この人の罪は重い。一体、何を勘違いしていたのかと疑問に思うばかりです。きっと余程の余録があったのでしょう。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和五年(2023)12月1日(金曜日) 通巻第8031号 

 『中国の代理人』、最後の『パンダハガー』の大物
   怪物キッシンジャー、毀誉褒貶のなか、百歳の大往生

 1971年、世界に孤立していた中国に「利」を説いて近づき、反米路線を大胆に修正させたリアルポリティックスの体現者は、その北京秘密訪問が劇的だったので、なぜかアメリカ外交の立役者のように言われた。
 じっさいに現在のホワイトハウスの対中影響力よりヘンリー・キッシンジャーの立場は強いと評価された(台北タイムズ、12月1日)。なお中国語のメディアはキッシンジャーを基辛格(環球時報、連合報)、季辛吉(台湾『自由時報』)と書く。

 キッシンジャーは1969年から1977年までの八年間、米国外交の舵取りを担った。ロックフェラ-の外交顧問だった彼を政権に招き入れたのはリチャード・ニクソン大統領だった。
ニクソンとキッシンジャーが、外交で重視したのはリアリティであり、モラルやイデオロギーより優先し、力の均衡で冷戦構造を形成した文脈では戦後米国外交の立役者ニクソンと並ぶだろう。

 ところがFBIの工作でウォーターゲート事件のスキャンダルに襲われたニクソンがレイムダック入りした時期に、キッシンジャーはするりと外交の主役の座をもぎ取っていた。
 従来の歴史学に重点に置いて学説、地政学の伝統に囚われてき外交を、リアルポリティックの実現に結び、米中関係の回復、ソ連の孤立化を導き出した。これは元来、ニクソン大統領の発想だった。ところが、北京秘密訪問を演じたキッシンジャーにスポットが当たった。

 当時、NYタイムズにでた風刺漫画を筆者は鮮明に記憶している。
ニクソンとキッシンジャーがホワイトハウスの庭を歩いている。柵外からみていた見物人が言う。
「ところでキッシンジャーのとなりにいるのは誰だい?」

 キッシンジャーは泥沼に嵌まっていたベトナム戦争を早期終結されるため、ラオス、カンボジアのホーチミンルートに秘密爆撃をなして圧力をかけ、ベトナムと交渉し、停戦をもたらす「功績」があった。

これでノーベル平和賞をうけたのが、彼の絶頂だったのではないか。
「あのノーベル賞はいかがわしい」とする世評をよそに、トニー・ブレア元英国首相などは「外交を芸術にした」などと褒めあげた。「和製キッシンジャー」と 言われた若泉敬(佐藤栄作時代の沖縄返還の密使)は、「キッシンジャーの著作に書かれたことを信用するな」と言っていた。
NYタイムズのコラムには「偽善者」というコラムが掲げられた(11月30日)。

 キッシンジャーは中東和平でもエジプト、シリアを説得し、中東地域の秩序と安定を優先させたが、最大の成果はサウジアラビアとの密約で「ペトロダラー体制」を構築したことである。

 ▼リアリスト外交官の光と影

 一方でキッシンジャーはチリの軍事クーデターへの介入など暗い面も多く、セイモア・ハーシェ、オリバー・ストーン等はキッシンジャーを「戦争犯罪人」と呼んだ。ニクソンを継いだフォード政権下で引き続き米国外交を担い、ときに大統領よりパワフルだった。

 「中国は一つ」という幻影を作り上げたのはキッシンジャーであり、北京訪問は百回を超えたが、台北へは一度も足を踏み入れなかった。『中国の代理人』の面目躍如だ。
 「台湾問題は解決不可能。戦争を避けるには時間の経過をまって、米中の話し合いでしか前進はない」などと台湾を不快にさせる発言が連続した。台湾はキッシンジャーを評価しないのも当然である。

 1977年に理想主義を掲げたジミー・カーター政権が誕生すると、晴れ舞台をさった。替わって安全保障担当の大統領補佐官となったのはポーランド系ユダヤ人のズビグニュー・ブレジンスキーというグローバリスト、中国礼賛学者だった。

 大統領当選前の1976年にカンザスシティで開催された共和党大会で、ロナルド・レーガン「キッシンジャーとフォードの下でこの国は、二番手になることは致命的ではないにしても危険な世界で、軍事力で第二位になった」と指摘していた。
 米国の保守派はキッシンジャーを首肯していなかった。

 1981年から82年までのレーガン政権では、キッシンジャーは共和党主流派から遠ざけられた。レーガンの支持者の多くがキッシンジャーを蛇蝎の如く嫌った。「反共」の信念が希薄だと言うのである。

 このため、かれはロビィ活動と著作活動で、外野席からの影響力を保持した。
 キッシンジャーは1982年に親中ロビィ団体「キッシンジャーアソシエイツ」を設立し、スコウクラフトら歴代大統領補佐官を政権中枢の送り込み、事実上の中国外交を舞台裏で担う。最大の顧客は北京だった。

 晩年にニクソンは言った。
中国の不気味な台頭に「われわれの意図に反して、フランケンシュタインをつくってしまったのではないか?」。

 米国外交は道を誤った。
 キッシンジャーは、結果的に「中国の代理人」だったことを忘れてはならないだろう。だから中国はキッシンジャーが訪中すると特別待遇で報い、五月の百歳 誕生日にはわざわざ王毅外相がNYの国連本部に近いキッシンジャーのオフィスに挨拶に訪れ、七月の訪中でも習近平がじきじきに会った。

 ▼米国が中国の脅威を認識するに時間がかかった

 中国が軍事大国としてのしあがり、アジアの脅威となると、対中国スタンスを徐々に変えたのはオバマ政権後半からだった。
だが、オバマ政権は外交的手腕のないブレーンで周りを固めたため、大胆な方針の切り替えは出来ず、トランプの登場を待たなければならなかった。
トランプは就任前にキッシンジャーをNYのトランプタワーに呼んだ。しかし彼の言うことを「聞き置く」だけで、はっきりと安全保障方面では中国敵対路線に切り替えた。
この基本方針だけはバイデンも踏襲した。つまり、トランプ政権誕生でキッシンジャーの神通力は消えていたのだ。

 キッシンジャーが拘わった各国は如何なる反応をしたか?
 中国は「中国を理解した最大の友人を失った」とし、「米中時代の終わり」という論調が華字紙に溢れた。
 インドは「彼は一度、インドを蹴飛ばし、やがて近寄ってきた」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、12月1日)と評価は冷たい。

 イスラエルは「ユダヤ人ならびにイスラエルにとって、キッシンジャーは英雄であり、また悪人である」(『ハーレツ』、11月30日)
 米国は「毀誉褒貶甚だしいが、かれが冷戦構造を形成した」(NYタイムズ)
 「権力こそが最大の媚薬であると信じた世界情勢の巨人」(英紙『タイムズ』)
 キッシンジャーは反日家だった。日本での講演はべらぼうな額をふっかける「商売人」の側面が強くあった。

 それはともかくとして、現在のブリンケンもサリバンも、最後のパンダハガーの威圧的風圧に比べるとその力量たるや、軽い、軽い。
平林たい子が中曽根を評して「鉋屑(かんなくず)のように軽い」としたが、バイデン政権における米国外交の担い手たちの軽きこと!

 ▼ロシアはいかなる反応を示したか?

 モスクワタイムズは次のように報道した(11月30日付け)
「キッシンジャーは、冷戦時代に米国のソ連との緊張緩和の主要な立案者として、米国の外交政策だけでなく、ロシアの外交政策にも消えない足跡を残した。ウ クライナ戦争中、ロシアと米国の対立が激化していることに深い懸念を表明する一方で、ウクライナのNATO加盟支持を途中から(23年5月から)主張する ようになった。」

 英誌『エコノミスト』で、「もし私がプーチン大統領と話したら、彼もまた、NATO加盟国であるウクライナのほうが安全だと言うだろう」とし、ロシアと中国の関係の将来については懐疑的だった。

 キッシンジャーは同誌のインタビューで続けた。
「両国間の制限のないパートナーシップの公式宣言にもかかわらず、北京とモスクワ双方での相互軽蔑を感じた。私は中国について良いことを言ったロシアの指導者に会ったことがない。そして、ロシアについて良いことを言った中国の指導者に会ったことがない」

 クレムリン宮殿は下記のプーチン談話を発表した。
 プーチンはキッシンジャー氏を「優れた外交官、賢明で先見の明のある政治家」と評し、「外交政策への現実的なアプローチはヘンリー・キッシンジャーの名 と密接に結びついており、国際的な緊張緩和を実現し、世界安全保障の強化に貢献した最も重要なソ連・アメリカ協定を締結することを可能にした」と評価し た。ホンネとはとれない。 

 最後にキッシンジャー路線とは距離をおく情勢の流動化のなか、米国の「レーガン基金研究所」が11月30日に発表した世論調査では「中国が台湾侵攻した場合、アメリカ国民の72%が台湾独立を支持する」とした。
 NYタイムズは台北総督府で蔡英文総統にインタビューを行った。これも異例の珍事である。

  それにしても一人の人がこれ程に影響を与えるのですから大物であることは間違いないでしょう。そんな奴が日本の敵に廻っていたのですから日本の損失は限りないものがあったと言えるでしょう。
  それだけに、ほっとしたことは間違いない。


★学問とお勉強

2023年12月04日 | 文科省・教育改正

 年代を覚えるばかりの面白くもない歴史の授業でしたが、それは先生の試験の彩点を楽にするためだったのかもしれません。
  そんなことをねずさんが教えてくれています。やはり、学問をしたかったものです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。 

  ねず さん のひとりごとより  2023/12/01

  学問とお勉強

  ・・・略

  歴史のことを英語で「ヒストリー」と言います。
これはもともとが「ヒズ・ストーリー(His Story)」から来た言葉で、直訳すれば「彼の物語」です。
つまり歴史というのは「過去の出来事を時系列に沿ってストーリー化したもの」のことです。

 戦後の日本では、昭和20年にGHQによって歴史教育が禁止されて墨塗りになり、昭和22年に文部省の通達によって歴史教育は公式に禁止。代わって社会科が誕生しました。
歴史科と社会科は、まったく違います。
社会科は、社会の常識を教えるお勉強です。
ですから、
(問題)鎌倉幕府は何年に成立しましたか?
(答え)1192年です。ただし1185年という異説もあります。
が正解です。
おもしろいもので、社会科は文系でありながら、常に設問に答えがあるのです。

 これが歴史学になると、
(問題)どうして頼朝は鎌倉に幕府を開いたのか、その理由を説明せよ。
といった設問になります。
理由を書いた当時の文献史料はありません。
けれど鎌倉に幕府が開かれたことは、歴史的事実です。
この事実に基づいて、証拠をもとに仮説や推測を立てていく。
それが歴史学です。・・・中略

 歴史という学問も、古来そこに焦点があります。
過去を学び、どうしてそうなったのかを問い、いまの問題点を把握してその改善に努力する。
歴史はそのための学問です。
学校のテストで良い点数を取るための、現代的「お勉強」とは違うのです。  

  やはり、学問をやれなかったことは残念です。と言うか、その違いも分からなかったのが自分の限界だったのでしょう。情けない。


★サムスンはいよいよ終わりか

2023年12月04日 | ソフトバンク ロッテ イオン パチンコ

 サムスンの危機がネットで取り沙汰されていて本当に崩壊することを期待していますが、実際にはどうなることやら。

  サムスンとKoreaの半導体は本当に危機のようです。

  「にほんのチカラ」が半導体の危機を取り上げてくれています。


  「海外の反応ゆっくり解説ch」はサムスンの危機を取り上げてくれています。


  サムスンの危機は本当のようです。このまま日本を騙してきた報いを受けて貰いものです。正に自業自得です。
  これこそがKoreaが日本にやってきた悪事の報いというものです。願わくば消滅して貰いたいものです。さて、そううまく行くでしょうか。


★日本が核融合炉発電で世界をリード

2023年12月04日 | エネルギー 環境

 あちこちで成功が近いと発表され日本は遅れていると言われた日本の核融合炉が、世界をリードしているとの動画がありました。本当であることを願いたいものですがどうなんでしょう。

  日本のスゴさ発掘【海外の反応】が詳しく報告してくれています。やはり、まだまだどちらに転ぶかは分からないようですが、日本も頑張っているのは間違いなさそうです。
  この炉だけはどこの国であっても地球を救うことになると思われるだけにまずは実用化されることを期待したいものです。もちろん、日本が成功すれば最高です。 


  人類として何としても実用化されることを期待しますが、どうなるのでしょうか。人類が勝か敗れるか。

さて、どうなることか!