団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

自転車盗難

2009年02月12日 | 日記・その他

  

仕事も終わってさあ帰ろうと外に出た。「あれっ!何か様子がおかしい」「自転車が無い。今日はクルマだったかな」「いや、確か昼の食事に帰ってきて、又ここに置いたはず」「そうか!盗られたんだ」

  ということで、自転車の盗難にあってしまいました。体育館の事務所の横、それもガラス窓越し(ブラインドは下ろしているが外は見える状態)の軒下に置いていた物をものの見事に盗られてしまいました。
  鍵をかけていなかったのが原因でしょう。最初の頃は鍵もかけていたのですが、いつか止めてしまっていました。完全に油断です。

  自転車自体は子供の使い古しなので価値もなさそうですのでそれ程惜しくも無いのですが、たちまち通勤に困ります。価値から言えば、前かごに積んであった折り畳み傘と手袋、毛糸の覆面の方がありそうです。残念。
  あくる日は、とりあえずクルマで通勤して、もしかしたら返してくれるかも知れないとの淡い期待を持っていましたが、やはり甘過ぎたようです。きっと、坂出駅あたりに乗り捨てているのでしょうが探しに行くのも面倒なので諦めました。

  それにしても、未だにこんな奴がいるんですね。タバコとガムのポイ捨てとスリッパの散乱の体育館三悪にもう一つ盗難なんてのが加わってしまいました。

情けなし!


地域通貨

2009年02月10日 | マネーゲーム

  6日の悲観論でも書いた金儲けが全ての経済破綻を機会に日本をもう一度とり戻すのに役に立ちそうな第1139話などで取り上げてきた「地域通貨」の話題を久し振りに目にしました。

  萬晩報より

  欧州が注目し始めた「減価」するゲゼルマネー

   10年前のアジア通貨危機のころ、ミヒャエル・エンデを追悼した『エンデの遺言』を読んで「減価するマネー」を知った。1900年代の初頭にドイツのシルビオ・ゲゼルが提唱したこのお金は世界大恐慌の直後、ドイツやオーストリアの一部で現実に導入され、流通が速いお金として注目された。

 ドイツ南東部の炭坑町、シュヴァーネンキルヘンという人口500人の町では小鉱山主のヘベッカーが「ヴェーラ」という自由通貨を発行して町を活性化した。オーストリアのチロル地方のヴェルグルでは鉄道工夫のウンターグッゲンベルバーが町長に選出されると、「労働証明書」という「通貨」を発行し、大規模な公共事業を起こして、この新紙幣で賃金を支払った。町の商店も新紙幣を歓迎した。

 この紙幣の特徴はやはり「減価」するというものだった。毎月1%ずつ価値が下がる仕組みで、紙幣に12個のスタンプを押す升目があって、町が売り出すスタンプを貼らないと額面を維持できない。このスタンプ代は一種の税金であるが、住民はなるべくスタンプ代を支払う必要がないようにできるだけ早目に使おうとするから紙幣は驚異的なスピードで循環した。失業の町は瞬く間に活況を呈した。

 1932年はゲゼル・マネーが初めて世界的に注目を集めるようになった年である。欧米の経済学者やメディアがこぞってオーストリアの小さな村を訪れ、「減価」するマネーの威力を世界に伝えたという。残念なことに「労働証明書」はまもなくオーストリア通貨当局から疑似通貨として発行を禁止された。もちろんヴェルグルは元の失業者の町に戻ってしまった。

 経済の破綻は失業者の増価を招く。失業者の急増によって、革命が芽生えたり、全体主義の台頭を許したりしたことは歴史の教訓である。

 現在、われわれが使っているお金は「増価」する通貨である。本来、通貨は物々交換の代わりに登場したもののはずだったが、利益の蓄積によって金貸し業が勃興し、「金利」の概念を生む。マネー経済は「利」が「利」を生む経済である。何も生産しなくとも「富」が「富」を生む仕組みである。金持ちがますます金持ちになる仕組みでもある。

 マネー経済が破綻した昨今、欧米のメディアは再びゲゼルの「減価するマネー」に注目し始めている。ゲゼルマネーやドイツで起きている「キームガウアー」に関する報道が出始めているのだ。日本のメディアはまだ関心を示していないが、国際平和協会はかねてから日本でのゲゼル研究の第一人者である森野榮一氏に注目していた。2月21日(土)「」と題して森野氏の懇話会を開催する。関心のある方の参加を希望します。

  未だに毎日株が上下しているのを見ていると、「まだ金儲けに懲りていない人達が金で金を買っているんだなぁ」と人間の懲りなさにがっかりさせられますが、この機会に是非この地域通貨の考え方を取り入れた経済に転換させることはできないものかと思ってしまいます。
  しかし、欧米で見直される空気が出てきているのは朗報ですね。オバマさん当たりがこうした考え方を積極的に推進するなんてことになれば面白くなりそうですが無理なんでしょうね。とは言いながらも、今の金が金を生むマネーゲームを放置している限り世界が良くなることが無いのは確かでしょう。
  そうであるならば、夢のような話とはいえ、こうした考え方を取り入れた経済へと移行することは絶対に必要でしょう。それが出来なければ人類に幸せな未来は無いでしょう。

マネーゲームは止めましょう!


親学

2009年02月09日 | 日本再生

  戦後教育の歪が積み重なって、今の日本には昔の日本の良さが無くなってしまったと何度も書いてきましたが、それじゃお前は何をしてきたのかと言われると返す言葉もありません。
  そんな自分の不甲斐なさを何時もの
草莽崛起ーPRIDE OF JAPANで思い知らされました。

  20090205「親学」が日本を救う

  ・・・略

  親学とは何か

 親学の理念は「人間の本性に基づいて、親が子を導き育て、子は親を見て成長するといった親子の絆の根底に立ち、親としての責任を果たし、人間としての人格の完成を目指す」ことにあると述べている。そしてその一番大切なものは「親子の愛の絆」であるといっている。

この理念に基づき親学の基本的な考え方を次の三点に纏めている。

1)教育の原点は家庭にあり、親は人生の教師として教育の第一義的責任を負うことを深く自覚する。

2)胎児期・乳児期・幼児期・児童期・思春期という子供の発達段階に応じ、家庭教育で配慮すべき重点は異なっている。

3)父性と母性の役割を明確にする。昨今、父性・母性という言葉に抵抗感を持つ勢力が力を増しているようである。「母性という表現は、性による固定的な役割分担を強制するもの」という批判があるが、本質を踏み外した意見である。

気をつけるべきは、父性=父親・男性、母性=母親・女性ではない点である。子供に対し男性である父親が母性的にかかわる場面や必要性もあり、同様に女性である母親が子供に父性を持ってかかわる場合もあるということである。大事なことは男女の特性を、お互いに認め協力し、健全な子供が育つような家庭環境を整えることである。要は夫婦間の理解と協力が子供の成長に欠かせないということである。

親学から見た日本の家庭の現状

 教育の原点が家庭にあり、親が第一義的に責任を負っていることを自覚している親は少数派のようである。特に若い親ほど教育は学校や社会に責任があると考えているのではないか。

また親学の基本的考え方の第二点、子供の成長は一様でなく発達段階により必要なことが異なっており、さらに臨界期があることを、どれだけ理解しているか。現状では理解している親は少ないようである。

さらに第三点にいたっては、男女平等の家事・子育てが理想的だとされているのが現状のようである。子育ても夫々二分の一というのは男性・女性が持つ夫々の優位性を否定することになり、子供にとってはあまり望ましくなく、むしろ親の勝手で迷惑だということになる。・・・中略

親学の普及が日本再生の鍵

 親学の一端しか紹介できなかったが、次の世代を担う子供たちが健全に育てば日本の未来は明るい。そのためにはまず親が親学を学び、よき親にならねばならない。健全な子供が育つよう家庭の環境を整え、より良い環境の中で、昔から伝わる世界に誇るべき日本の伝統を子供たちに伝えるのは親の責任である。

親たちのたゆまぬ努力により立派な人間が社会に送り出されれば、日本は自然と良くなるのである。筆者も残りの人生は限られているが、親学を普及させ日本の社会を健全なものにすることに微力を尽くしたいと願っている。  (文責:大谷)

   この親学を持ち出されると本当に何の反論も出来ません。子供を親としての自覚を持って育ててきたかと言われれば、終盤にさしかかった自分の人生も大して誇れることもなく過ごしてきたという反省しかない私にとっては答えるすべもありません。

  戦争に敗れて価値観が180度変わってしまった私の世代の親たちも子供に対する接し方に戸惑いを覚えたはずですが、かろうじて戦前の名残でその空気を我々世代に伝えたような気がします。しかし、私の世代はその残り香程度さえ子供たちに伝えてこなかったような気がします。ましてやその下の世代となると殆ど国が違ったと言っても言いすぎじゃないほど昔の香りはなくなってしまったのじゃないでしょうか。
  それこそが今の日本が是ほどまでに狂ってしまった原因だと思います。60年以上かかって崩れたものを立て直すにはやはり相当の年月がかかるとは思いますが、この「親学」が実行されれば望みはあるでしょう。
  しかし、この「親学」を誰が教えるのか、これは相当に難しそうです。親と教師の両方を変えることしか再生の道はないのは確かですが、その力が今の日本に残っているのでしょうか。

かなり疑問です!


果樹

2009年02月08日 | 日記・その他

  第3026回でも書きましたが、子供の頃まだ機械化されていない田んぼを手伝わされ、「こんなしんどい仕事は絶対にやりたくない」と心から思っていた私は、今、定年退職者などで流行っている家庭菜園なるものをどうしてもやる気が起きません。
  と言いながら、芝生を植えて草抜きをしているのですから傍から見たら何を意地はっているんだと思えるのじゃないでしょうか。まぁ、折角の芝生を今更畑にするのもなんだか悔しいという気持ちの方が上かもしれません。

  そこで、畑はしたくないが何か面白いものをということで、実のなるものを植えてみようと考えました。それも、我香川には余り無いものと考えました。

  ということで、まずは、さくらんぼとリンゴ、それに栗を植えてみることにしました。

  最近はこんな苗も近所のDIYの店に置いています。便利になったものです。基本的に手をかける気はないので果たして無事に育つかどうか疑問です。肥料もやる気は無いのできっと実も付が悪いとは思いますがどうなるか楽しみです。

何時か食べれるでしょうか!


雨がっぱ

2009年02月07日 | 日記・その他

  自転車通勤の敵、雨の対策はないものかと第3345回では肩ブレラを取り上げましたが自転車では使わないようにとの注意書きがありがっかりしました。
  自分で何か作ってみようとも考えたのですが、今ひとつこれというアイデアも湧いてきません。
  そんなとき、面白そうな記事を見つけました。警察官の方が考えたのだそうです。

  東京新聞より

  傘差し事故撲滅を 上尾署 装着簡単な雨がっぱ製作  200922

 ・・・略

 傘を差すと、不安定な片手運転になるだけでなく、風にあおられたり、視界が遮られたりして、運転の危険度が一気に高まる。道路交通法で罰金が科されることもある。親も傘を差すなど、雨がっぱの普及が進んでいないためだと考え、開発に着手した。

 開発した雨がっぱは、頭からかぶるだけの簡単なもので、腕を通す必要もなく、ズボンもいらない。前かごを覆う大きさだが、雨の湿り気で前かごに接着してかっぱが風圧にたなびかない工夫を施した。

 問題はデザイン。「若い人が着てくれるかがカギ」として、地元高校の交通安全クラブに意見を聞いた上で、専門の業者に依頼し、完成を待つ。

 予定価格は一着百円以下。特許申請して認められれば、高齢者など免許返納者へのタクシー助成金にと考えている。初めは高齢者などに無料で配り、存在を知ってもらうという。・・・以下略

  なかなか面白そうです、頭からかぶるだけと言う簡単さが良さそうですし、何と言っても一着100円以下と言うのがケチな私の琴線に触れました。
  私の場合は自転車に装着する装置ばかりを考えていたので雨合羽は思いつきませんでした。相変わらず思い込みが激しいようです。もっと頭を柔軟にしないと駄目ですね。

早く発売されないかな!


悲観論

2009年02月06日 | 日本再生

  

去年後半のリーマンブラザーズの倒産に始まった不況は留まるところをしらないようです。最初はあれはアメリカの問題で日本にはそれ程影響しないと言われていましたが、いまやトヨタやキャノンなどを筆頭に日本の大手企業が軒並み決算の下方修正となり、非正規社員を対象とした人員削減に走っています。正規社員もうかうか出来ない状態のようです。
  この分で行けば、今年の後半はどうなっていることやら、想像するのも恐ろしいような気がします。

  日本経済が思った以上に悪くなったのはやはり人材派遣が影響しているようです。

  団藤保晴の「インターネットで読み解く!より

日本経済への先行き悲観論が目白押し [BM時評] (2009/01/30)

  ・・・略

  そして、第一生命経済研究所のレポート《1人当たりGDPの「失われた10年」~日本はこのまま内需が弱いままなのか》です。G7諸国中で最下位になってしまった日本の1人当たり名目GDP。これもグラフを引用します。

  どうしてこのような停滞が続いてしまったのか、どうして労働生産性が上がらなかったのか、との問題について、労働市場で非正規化が進んだことにも原因を見ています。「経済成長において、人口減少の制約を突破するには、1人当たりスキルの発揮が活路となる。労働力が限られていても、企業内教育投資を付与して可能な限りまで人的資本を増やすことが、生産性向上に貢献する」「しかし、非正規労働化は、この考え方とは正反対の働きである。パート・アルバイト・派遣労働者には、企業が身銭を切って人的資本を投下することはせず、人的資本が蓄積されにくい」

 これから先の「1人当たりGDPの先行き」も、内閣府・IMFによる見通しとして示されています。停滞はさらに続き、先進国の中で置いて行かれるばかりでなく、アジア諸国の成長にやがて追いつかれてしまうグラフが描かれています。「日本社会が非正規化を進めすぎたことは、広い視野でみてみると、税・社会保険料負担を担うべき正社員のパイを相対的に小さくしたという皮肉な結果を招いた。正社員への荷重が重くなり、賄いきれなくなった負担が、間接税増税として高齢者自身に及んでいるという図式である」との結論とともに一読されることをお奨めします。

  大企業の経営者達が目先の利益に目がくらみ、先頭に立って、人材派遣など非正規社員を利用してきたことこそが今回の大幅な業績ダウンの原因になったということは間違いなさそうです。
  しかし、考えようによっては今回の不況によって日本がもう一度立ち直るためのチャンスになるのではないでしょうか。これを教訓に、雇用体制を以前の日本の良さであった終身雇用や年功序列に新しい考えとしてのワークシェアリングも取り入れ、人に優しい経済をつくりあげれば再浮上も可能ではないでしょうか。世界の非常識であった日本をもう一度取り戻しましょう。

今なら間に合うかもしれません!


歩行者が乗車中上回る

2009年02月05日 | 日本再生

  第3399回の交通事故死でも書いた歩行者の死亡数が全国の集計でもクルマに乗車中を逆転したそうです。

  四国新聞社-香川県のニュース

  死亡事故、歩行者が乗車中上回る/08年警察庁まとめ 2009/01/29 10:27

 昨年1年間の交通事故死者5155人のうち、歩行者は1721人(33・4%)で、1974年以来、34年ぶりに自動車乗車中の1710人(33・2%)を上回り最多となったことが29日、警察庁のまとめで分かった。

 65歳以上の高齢者が2499人(48・5%)とほぼ半数を占め、統計が残る67年以降の最高率を更新した。乗車中の割合減少について、警察庁は「エアバッグなど安全装備の普及に加え、飲酒運転厳罰化やシートベルト着用義務化など自動車対策の効果が出た」と分析している。

 まとめによると、交通事故による死亡者は8年連続で減少し、昨年は前年比10・3%減の5155人。このうち歩行中は222人減の1721人、自動車乗車中が303人減の1710人、2輪車が990人、自転車が717人だった。

 自動車乗車中の死亡者についてシートベルト着用の有無をみると、着用率向上を反映し、非着用が816人(前年比18・5%減)で着用中の819人(同12・7%減)を下回った。座席別の死亡者に占める非着用者の割合では、後部座席が187人中134人(71・7%)で最も高率だった。

 一方、道交法の取り締まり件数は前年比6・0%減の約1291万件だった。

  ここまできたら、歩道と自転車道の整備は緊急を要するでしょう。1番良いのは、クルマと歩行者や自転車が同じ平面を通らない道を整備することでしょう。しかし、これは全ての交差点を立体にするなど費用の面で直ぐに実現しそうもありません。となれば、取りあえずは、車道を一車線つぶして自転車道や歩道としてあくまでもクルマが従の交通体系を作り上げることが現実的かもしれません。
  全ての交差点での立体交差が無理とあれば、市街地だけでも路面電車と自転車と歩行者とし、クルマは市街地には入れない方式に持っていくべきでしょう。環境にも人にもやさしい良い街ができそうです。
  日本の政治家さんたちも政権争いにうつつをぬかさずこうした未来に夢を持てる政策で争ってくれませんかね。

本当に見ていて情けなくなる!


史上最大のゴミの山

2009年02月04日 | 日本再生

  

昨日のカリフォルニアの未来の鉄道でも書いたように、いざとなると日本よりダイナミックに動き出しそうなアメリカですが、モラルという点ではあまり大したことはないようにも思えます。

  GIGAZINE(ギガジン)より

  20090123日  オバマ新大統領の歴史的就任宣誓式の後には史上最大のゴミの山が

  先日120日(現地時間)にワシントンDCで行われたオバマ新大統領の就任宣誓式。約250万人が集まったと言われる歴史的イベントの後には、過去の就任式や独立記念日などのイベントと比べてもけた違いの歴史的な規模のゴミが残されていたそうです。

詳細は以下から。

The Trash Was Historic, Too - washingtonpost.com

 就任式後からワシントンDCのゴミ収集車は130トン以上のゴミを収集し、まだ大量のゴミが残っているとのこと。ナショナル・モールとホワイトハウス周辺では国立公園局職員により100トン近くのゴミが拾われました。なお、ナショナル・モールで排出されるゴミの量は通常13トン程度、独立記念日の花火の時でも17トン程だそうです。

この歴史的なゴミの山は、250万人と言われる大規模な人出にくわえ、セキュリティ上の理由でほとんどのゴミ箱が撤去されていたことも大きな要因のようです。使い捨てカイロやボトル、紙コップ、新聞、食べ物などの通常のゴミに加え毛布や手袋、テーブルなど、さらにはオバマ帽、オバマバッグ、オバマ靴下などのオバマグッズも大量に残されていたとのこと。今までで最もエコな就任式になる予定だったはずなのですが…。

  日本ではこれだけの人が集まるなんてこともなさそうですが、もしそんなことがあったとして今の日本だったらこれ以上に酷い状況になる可能性もありそうな気がします。
  と言うのも、この部屋でも取り上げてきたガムやタバコのポイ捨てなどを見ていると、日本人もそれ程威張れるほどのモラルはなさそうな気がしてきます。
  尤も、所詮は同じ人間ですからやることに大差は無いのでしょうね。ということはやはり教育と言うことになりそうです。世界に誇れる日本にするためにはやはりもう一度戦後教育を見直す必要はありそうです。

もう遅いのかもしれませんが!


米加州の高速鉄道計画

2009年02月03日 | 自転車・公共交通

  これからの時代は長距離は鉄道、近距離は路面電車や自転車に歩行を主体とし、公共交通の便の悪い田舎は電気自動車という交通体系を目指すべきと何時も書いていますが、日本の国は相変わらず自動車をメインという考えを変えそうな気配はなさそうです。

  こんなことをやっていると、今まで環境問題では日本より遅れていると思っていたアメリカに何時の間にか抜かれてしまっていることにならないかと心配です。

  何時もの、しなやかな技術研究会にアメリカのそんな動きが取り上げられていました。

  2009/01/28 カリフォルニア州が高速鉄道建設計画を推進

   米加州の高速鉄道計画、住民投票で州債発行が決定事業開始へ

  20081107 13:42 発信地:ロサンゼルス/米国

  【117 AFP】米カリフォルニア(California)州で今週、高速鉄道事業を開始するための州債発行の是非を問う住民投票が実施され、52%の賛成で採択された。カリフォルニア州高速鉄道当局が4日、公式サイト上で発表した。今後当局は、日本や欧州の技術協力を得て事業計画を進めていくとみられる。

 国内最多の人口約3700万人を抱えるカリフォルニア州には、これまでフランスやスペインで見られるような高速鉄道が走行していなかった。時速約350キロでサンフランシスコ(San Francisco)-ロサンゼルス(Los Angeles)間を結ぶこの高速鉄道の完成後は、州内の主要都市が結ばれ、2030年までに年間11700万人を運ぶ交通手段になる見通しだ。

 建設事業には約450億ドル(約44000億円)が投じられる予定。住民投票の結果、同州ではこの事業のため99.5億ドル(約9700億円)の債券を発行することが決定している。

 定時制のある高速鉄道の導入により、海外への原油依存を年間1200万バレル以上削減することができ、地球温暖化の原因となる温室効果ガスの排出量を年間約576万トン減少できると当局はみている。また同鉄道事業により16万人の雇用機会が創出されるという。

 アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)同州知事も、高速鉄道事業に期待をよせている。「われわれには高速鉄道が必要だ。米国の鉄道は古すぎる。100年前と同じシステムで運用され、100年近く鉄道のスピードも変わっていない。米国でも、特にわが州で、他国のように時速数百キロの高速鉄道を導入すべきだ」

 現在米国では、アムトラック(Amtrak)の高速列車「アセラ(Acela)」が、運用されている唯一の高速鉄道となる。(c)AFP

  自動車に排除されてきた鉄道の復権がなるのでしょうか。あのアメリカでさえ鉄道の良さが見直されようとしている時に、折角の技術を持った日本がそれを生かす政策を考えられないのは何故なんでしょう。余りにも勿体無い話です。

  それにしても、カリフォルニアのサイトは動画が沢山あって面白いですよ。さすがシリコンバレーを抱える州のことはありますね。

  California High-Speed Rail

  California High Speed Rail Authority Image Gallery

  YouTube - NC3D さんのチャンネル

  こんな楽しそうな動画で未来を語るのを見ていると実現も夢ではなさそうに見えてきます。日本も、こうした楽しい夢のあるHPを作らないのでしょうか。日本にも未来の日本をどうしたいのか熱く語るリーダが欲しいですね。

無いものねだりなのでしょうか!


ガッツポーズ

2009年02月02日 | 日本再生

  第2938回などで何度も取り上げたガッツポーズが又しても世間を騒がせています。

  1月27日読売新聞 ガッツポーズ横審「行き過ぎ」

 初場所後の横綱審議委員会が26日、両国国技館で行われ、優勝した朝青龍が千秋楽の土俵上で派手なガッツポーズをしたことについて、各委員から厳しい意見が出された。

 指摘を受けた武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)は、横綱本人と高砂親方(元大関朝潮)に注意することを約束したという。

 海老沢勝二委員長は「朝青龍は体力や精神力も充実し、よく頑張った。全体的に非常に盛り上がった場所」と評価する一方、「伝統ある大相撲で、あのようなパフォーマンスは行き過ぎ」と複数委員からガッツポーズを問題視する声が上がったことを明かした。

 沢村田之助委員(歌舞伎俳優)は、「(今回欠席した)山田洋次委員(映画監督)からも『結果は認めたいが、横綱の品格はゼロと言ってほしい』と電話があった。今までの横綱でガッツポーズした人なんか一人もいない」と厳しい意見。

 「僕はきにならなかった」という新委員長の鶴田卓彦委員は、「相撲は神事という意見に立てば行き過ぎという声もある。だが、一般の人はどう受け止めているのか」と寛容な姿勢を見せた。

  第2869回で琴光喜のガッツポーズについて書いていますが、横綱では今までそんな人はいなかったんですね。しかし、既に見逃されていたと言うことは横綱がそれを行うのも時間の問題だったのかもしれません。
  武蔵川理事長がこんどやったら大変なことになると高砂親方に注意したそうですが、そんな抽象的なことで防げるのでしょうか。本当に、相撲の危機と感じているのならガッツポーズをやれば負けという剣道のようなルールーを採用するべきじゃないでしょうか。
  こんなことを許していると、柔道と同じように名前は相撲でも中身は単なる格闘技のスモウなんてことになってしまうのではないでしょうか。

  第2938回で取り上げた「世界的に特異な日本文化と武道の精神を入門してから親方は継続的に外国人の弟子に教えなければならない。」や「負ける胆力をつけることだ」の精神が今の相撲界にはもう無いような気がするのは私だけでしょうか。この世界も、戦後の教育と同じ現象が起きているということでしょう。元に戻すには同じ時間がかかるのかもしれません。

日本全体がもう駄目なのかも!


リターナブル瓶

2009年02月01日 | エネルギー 環境

  

いろんな仕事をやってきた私ですが、最初はペプシコーラのルートセールスでした。まだ、ビンの時代で、缶も無い時代で当然ペットボトルもありません。
  ラックという木の箱にボトルを24本詰めたものを運んでいました。ボトルもラックもリターナブルでボトルが一本10円ラックが確か120円だったと記憶しています。ですからボトルもラックも皆大事に扱っていたものです。
  そのうち缶が出来、その便利さゆえボトルは何時の間にか消えてしまいました。今から考えるとあのボトルの時代こそが環境問題を先取りしていたように感じるのは私だけでしょうか。

  そんなボトルの復活の動きもあるようです。

  Business Media より

  環境に優しいのに……リターナブル瓶が減り続ける理由 (1/2)

  一升瓶やビール瓶に代表されるガラス製のリターナブル瓶の使用量が減り続けている。同じ瓶を洗って繰り返し使うため、ごみや二酸化炭素(CO2)の排出量が少ない環境に優しい容器だが、缶やペットボトル、使い切りのワンウエー瓶に押され、減少に歯止めがかからない。こうした現状を打開しようと、若者向けの新たな容器の開発が模索されるなど、再び普及させるための動きも出ている。

 ガラスびんリサイクル促進協議会(東京都港区)の推計では、リターナブル瓶の使用量は平成8年に約452万トンだったが、14年には約218万トンとほぼ半減、18年には3分の1近い約159万トンまで減少した。

 「清酒では一升瓶の代わりに軽くて割れない紙パックが増え、ビールも缶が売れるようになった。リターナブル瓶の2本柱である一升瓶とビール瓶が減ったことが大きい」・・・以下略

  あのボトルの回収は結構大変だったのでルートセールスの立場から言えばきっと今の缶やペットボトルの方が歓迎されるのでしょうが、資源の面から考えるとどちらが良いのでしょうか。

  考え方はいろいろあるようです。必ずしもボトルが良いとは限らないと言う考え方もあるようです。

 何時もの、武田邦彦 (中部大学)より

  三大エコ製品(1)ペットボトル

  ・・・略

  ペットボトルは500ミリリットルでわずか30グラムです.私はガラスビンは芸術的に素晴らしいと思うので、好きなのですが,500ミリリットルのガラスビンの重さはおおよそ400グラムですから.10倍を超えます.

実用的にはペッとボトル,芸術的にはガラスビンと言ったところでしょう。

「ペットボトルは石油でできているけれど,ガラスビンは土からできるから,ガラスの方が良い」という人がいますが,それは「一部分しか見ない20世紀型」です.

ガラスの原料は土ですが,そんじょそこらの土ではダメで不純物の少ない特定の土を遠くから運んできますが,土を掘ったり、精製したり、輸送したりするのには石油を使います.

またガラスは高温で溶かさなければなりませんので,その時にも石油や石炭を使います.だから,ペットボトルとガラスビンとどちらが「エコ」か?と言う質問で,その「エコ」が「石油の消費量が少ない」というなら,もちろん「ペットボトル」です.・・・以下略

  こうした考え方もあるんですね。ガラスビンは何度も使えるし、最後には又溶かして他のものに使えると思うのですがどうなんでしょう。確かに、重くて運送には不便ですし、割れるという欠点もあります。

なかなか単純には行かないようです!