明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



すべてスムーズに事が運んでいる様な顔をしているが。 曽我蛇足描くところの横目でこちらを見ている一休宗純。これは本人と面識、交流あればこそであろう。度々書いて来たが、ここで一休を作る事になるというのは縁を感じる。小四で大人向けの『一休禅師』を買って貰ったのが、買ったって判りはしないと止めた、と母は覚えていた。随分前に完成していたが、他のラインナップが出来ていなかったので、撮影はその後、と放っておいた。ところが先日『一休和尚酔臥図』用にベランダに雨ざらしに放っておいたミニチュアのムシロが良い感じになっていたので、急遽作りたくなった。先に竹竿に髑髏用に頭だけでも撮影しておけ、とどこかで思っているのに粘土を乗せて目を瞑らせてしまった。お陰で本日、瞼を取り除いてという無駄な仕事をするハメに。遺跡の発掘の如し。まず竹竿に骸骨の門松や冥土の旅の〜が無いと、何故酔いつぶれて骸骨枕に、が判らない。私の捏造いや創作なのだから。何をやっているんだ、という話だが、ワカッチャイルケドヤメラレナイでないと骸骨枕の一休など作れない。

 



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