明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『虎溪三笑』残るは陶淵明となる。小学三年の一年、産休の代用教員で担任された田中先生が、あまりに私が伝記、人物伝を読んでいるので、退職の際に内緒でいただいた世界偉人伝の中にもあった。李白と区別がつかなかったが。みんな吊り目でどじょう髭である。 その偉人伝の何が素晴らしかったか、というと、何処かのイラストレーターや人形作家が制作したような挿画でなく、由来の正しい肖像が使われていることであった。葛飾北斎を制作した時、北斎の自画像はいくつかあったが、迷わず記憶の中の田中先生版を選択した。ちょうどその頃、田中先生はかばってくれたが、私の絵は子供の絵じゃない、とほとんど教員総出でボロクソであった。子供が描いたら自動的に子供の絵だろう。だからというわけではないが、四年生になる頃には大きな活字と子供向けの挿絵を嫌い、母にねだって大人向けの『一休禅師』を買ってもらった、思えば小三ですでに出来上がっていた気がする。その証拠に通信簿には“掃除の時間、何をして良いか判らずフラフラしています“とすでにに書かれていた。

 



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