~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

これからの暮らしと時間の活用

2014-05-23 12:46:35 | 今思うこと
同志社大学公開講座、京たなべ・同志社ヒューマンカレッジ、gaccoでは2番目の講座である『インターネット』が始まった。その他にも、たくさんの学ぶ機会があり、最近増えているように思う。それぞれの講座には趣旨・狙いや対象者などの違いがあるが、どういうわけか、学びたい気持ちが今になってわいてくる。不思議なものだ。やはり日々時間の余裕があると考え方が変わり、行動、大げさに言えば生き方が大いに変わってくるようである。時間とこころの余裕のない日々をサラリーマン時代に約40年過ごしてきたかと思えば、その時に必要な大切なものを失いながら暮らしてきた気持もある。ただこれからの暮らしの中で、それを取り戻す時間はたっぷりあると言いたい。これからも程よい緊張感の中でどのように悔いのない日々を過ごしていくのかを少し考えていきたいと思っている。

「きょうたなべ減災プロジェクト」を使用して~まだまだ改善の余地あり~

2014-05-22 10:39:08 | 市民活動
「きょうたなべ減災プロジェクト」が本日から利用できるということで、早速住んでいる地域の気象情報を写真を添付して発進したが、送信完了になっても、減災レポート一覧に表示されず、問い合わせてみた。サポートデスクによると、気象情報は、携帯・スマートフォーンのみの使用(パソコンは、対象外?)、当プロジェクトは、災害イベントとして登録後の備忘録・知見としての使うとのこと。いや~~、もしそれが本当ならば、大いに改善の余地がある。防災とは、過去の情報を活用することと、もう一つは、今起こっている現実のリアルタイムの情報を広く共有化し起こりうる対応を迅速に判断決めていくことにあるからだ。2年前から、行政にいろいろ口を酸っぱく訴えてきたことが、前進をしたとは思うが、まだまだ合格点を頂けるような防災には遠いものを感じる。(市のホームページには、明確に、当プロジェクトは携帯やパソコンで気象情報や災害時の被害状況の発信や共有化を行うとある)



 このプロジェクトは、市民が観測した情報や被害情報をウェブサイトに「投稿」・「閲覧」することで、情報を共有し、災害による被害を減らす「減災」への取り組みを支援するもの。

夕方、京田辺でも、気象情報をパソコンで入力送信が出来ました。操作性の改善が必要です。その他いろいろあるよ。



パソコン遠隔操作事件に潜む多くの課題

2014-05-21 09:08:38 | 社会問題
・デジタルフォレンジックにおける適用技術力の向上
 コンピュータ犯罪や法的紛争の原因究明、捜査に必要な機器やデータを収集分析し、法的証拠を明らかにする技術が我が国はまだまだ不十分である。といっても高度な技術力を保有する大学やベンチャー的な企業はないわけではない。問題は現実の事件に総合的に適用できていないことである。公的な機関も超得意な技術を保有する組織団体との情報および人的なコラボが日常的に大切ではないかと思う。

・倫理善悪観念の強い若者の育成
 真犯人は、何を目的としてこのような世に反する誤った行動に走ったのか。優秀な人物を狂わせる要因とは何か。若者であるだけに、教育・しつけ・愛情ということが浮かんでくる。将来の日本を背負う子供たちを倫理観念高い人材に育てるために、人間力を養成する社会環境つくりが頭をよぎる。

・誤認逮捕者への保証
 絶対に忘れてはいけないことは、四人の誤認逮捕者が出たこと。そして、そのうち二人がそれを認める発言をしたということだ。密かに個人的にパソコンを操作する中で違反に値するかもしれないことかもしれないと思い、また厳しい犯罪追求の中で思わず、誘導されそのような発言が出たかもしれないが、恐ろしいことである。いずれもその該当者の社会的な信頼度は丸つぶれであり、その回復に相当な時間と労力がかかる。

※いずれにしても、悪いことは悪いのである。その見定めがきっちりとできなければ社会人としては失格なのである。

バスマジックリンの詰め替え用に拍手~グッドアイディア賞もん~

2014-05-20 19:14:27 | 暮らし




バスマジックリンの詰め替え用洗剤はよくできています。
・切り口を指で切りとることができます。少し硬かったですが…。
・スプレー容器に詰め替え洗剤のフック注ぎ口をあてれば、非常にスムースに洗剤が容器に入っていきます。注ぎ口の固定化がなかなか良いアイディアです。だけど商品の口コミ満足度に殆ど書かれていないのはなぜでしょう?

押し花&花びらメイキング~魅力ある人物発見~

2014-05-19 05:32:26 | 人物・人材

押し花を真空状態にして花の色を長期間残し絵画のようにみせる花びらメイキング。押し花絵を創作する加藤真知子さんの作品展に行ってきました。14年前の押し花との出会いから、不思議な癒しの力を感じとり、花びらメイキングを初めて4年。突然の出来事で絶望感を味わう暮らしの中から、今も押し花が自分を励まし続けてくれているという。多くの人に支えながら、その感謝の気持ちを絵画に優しく包み込んで作品づくりをされているのがよくわかりました。京田辺市大住ケ丘在住。






gaccoインターネット講座の論文提出

2014-05-18 03:21:44 | 学ぶこと
『中世における自由・平等・平和』についてという自分にとっては、難問でした。


■ヘーゲルは「人間の自由は、生命・身体・財産を自由な意志によって処分する権利を持つことであると規定し、この所有という自由の具現化された姿が、家族であり、さらに成長して、市民社会、国家などを形成する」と説いた。
しかし、中世には現代の私たちの社会にあるような自由はなく、強い人のものであり、弱い人にとっては、自由はなく不要なものであった。視点を変えれば、中世は自由が成長し進展していく過程である。
■人間にとって、必要なのは、自由よりも平和である。
●例えば、人口の増加について考えてみると、関ヶ原の戦い(中世終了)以前の1000年間は、平均100年で60万人の人口増加に対して、その後の江戸開府後100年間では、平和な世の中となり、約2倍の1300万人の人口が増えている。人口からみた場合、平和の重みの方が歴史を動かすことである。そういう点から、中世の自由については、あまり考えなくても良いかもしれない。
■鎌倉時代は、荘園制で、土地の所有権が未成熟であやふやである。豊臣秀吉時代になって自分の土地やものを支配する形ができ、公権力が強力になると、所有概念はより成熟していく。その過程こそが中世の時代の推移といえる。
■法然が現れ、南無阿弥陀仏を唱えれば、誰しも極楽に行けると聞き信じた熊谷直実は、九条兼実に呼ばれた法然との会談の内容が聞けないことを悔しく思い、人は本来は平等であるのだと叫ぶのだが、このことは実際には平等でない中世の時代を象徴していることである。
■まとめると、『中世における自由・平等』というものは、未成熟で不安定な時代であり、それ以降成長進展していく過程の時代であったといえる。その中世を経て江戸初期の平和がやってくるのである。

南山城の古寺巡礼(京都国立博物館)~圧巻と文化財への思い~

2014-05-17 17:35:56 | 神社・仏閣・史跡・名勝


南山城の古寺が初めて一堂に会した京都国立博物館での展示会です。
圧巻に次ぐ圧巻の連続でした。
まじかで、しかも、雰囲気漂う場所で、初めて本物を見る感動。
・飯岡トヅカ古墳から出土した神人車馬画像鏡、神人歌舞画像鏡、馬具。これがかぐや姫と関係する神仙思想を生み出したものか…。
これなどは、折角京田辺で出土しながら、設置されているのはここの京都国立博物館。なぜ?
・寿宝寺の十一面千手観音立像、確か以前は、十一面千手千眼観音立像といっていたけれどなあ。
・堀切古墳から出土した直弧紋人物埴輪。出土した場所が、考古学的に継体天皇の筒城宮跡ではないかと言われていますがその進展もなく、…。
・一休寺の展示場は2部屋あったと思います。一休宗純の達筆な文字。多くの文化人が酬恩庵に多くの文化財となるものを残しています。
※これらの展示を鑑賞して思ったのは、我ら京田辺はこんなに素晴らしいものが多くあるだけに、さらなる文化的な活動を積極的に展開していく責任があるということでした。




第2回『つつきはっけん』歴史講座&魅力発見ウォーキング

2014-05-16 07:23:13 | 市民活動

第2回『つつきはっけん』歴史講座&魅力発見ウォーキング 

市の広報誌京たなべ5/15号に掲載されています。


家康伊賀越え「つつきのみち」と本能寺の変の真実です。4時間ものを1時間半でお話しなければならないですが、これもチャレンジ。
・定員を会場収容数まで増やそうと思っています。
・配布資料も年間5回分がファイルできるように準備します。
・昼食は、市役所レストランが利用できます。
 当日の受付で食券を販売しようと思っています。
・ウォーキングは、幾つかのサプライズを考えています。
・参加者の五感を江戸時代にどれだけタイムスリップできるかこれまたチャレンジ。

※というように、コンテンツとおもてなし両面から内容を充実していきます。
 ご期待ください。 「つつきはっけん実行委員会」より

http://tutuki-net.jimdo.com/?logout=1

シニアの暮らしにとって大切なもの

2014-05-15 04:33:07 | 暮らし
いつも何事も素早く効率的に判断し決めて実行し完了しようという思いが頭をよぎる。長年の企業人としての自己摂理的なものだ。このことが一般の地域社会やシニア社会では通用しないことも少なくない。無駄と思われるおしゃべりの中から思いがけない大切なお互いの信頼関係が生まれたり、時間がたっぷりとあるリタイヤー組においては、時間を費やすための不効率化・不合理化を求めているようにも思う。地域社会に接し5年、多数多様な場面、人々、生き方・考え方に出くわしたが、人生いろいろあるなと思っている。要は、それぞれが、他人・家人に迷惑かけることなく、楽しんで生きることが大切なことである。

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