沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

沖縄そば(25 )ブラジル食堂

2020-05-06 | 沖縄そば
12年振りに行ってきました。前回は2007年11 月。ブラジル移民100年の時。前回の記事

メニューで牛そばが美味しそうで迷う。「ソーキそばか、牛そば、どちらが出ていますか?」と、女将さんに聞いてみた。
「ソーキそばも出ていますよ。牛そばは野菜が有る」
「ソーキは市販のですか」
「いえ、こちらで仕込んでいますよ」
「ではソーキそば、お願いします」700円

待っている間、店内を観察。15時なのでお客は私だけだった。トレードマークの旗。ブラジル国旗の中央に、おそばがある。

座敷にはブラジル選手のユニフォームやペレの直筆サインは今も健在。
ここで、前回は気づかなかった新聞に詳しい経緯が書いてあった。
1994年 山下千恵さん69歳と息子さん。

1986年 山下さん73歳と千恵さん

山下利明さんは1939年に26歳でブラジルに移民し、千恵さんと結婚して3人の子を授かる。
子供の教育のため、奥地のコーヒー園をやめて、サンパウロでレストランを経営して沖縄そばも出していた。
子供の教育のため、35年間住んだブラジルに別れて、千恵さんの故郷の名護でブラジル食堂を61歳で開いた。

「スープがそばの決め手。ソーキの煮付けは隠し味で日本酒も…」とある。

これは、知らなかったとはいえ、市販などと失礼な質問をしてしまった。
沖縄で46年間、ブラジルのレストランを加えるとそれ以上の「沖縄そば」であった。

スープ
豚骨スープに鳥ガラスープも加えており、他店とは少し違う。ブラジル仕込みなのだ。
美味しいです。途中、紅しょうがで1回、コーレーグース数滴で味を変えて歴史の重みをいただきました。

ソーキは分厚く、しっかり味が染み込んでおります。今でも日本酒を隠し味に使っているのでしょうか。

三角屋製麺所ですね。
美味しいです。

新聞記事にあった、直焙煎のエスプレッソ380円をいただきました。
口直しに最適で、ブラジルのコーヒー農園に想いを馳せました。


幸福への道
平成5年とありますが、オーナーだった山下さんが亡くなった頃のものですね。
自分のため、家族のために幸福を求め続けた山下さんの信条が書かれています。

お会計の時、「新聞にあった女将さんは」と尋ねると「数年前に千恵さんは93歳で亡くなった」とのことでした。
「お子さんが続けているのですね」と聞くと「新聞記事の長男と妻の自分が、今のお店を続けている」と教えていただきました。

沖縄県からの国別移民状況。山下さんが渡る戦前まで。ハワイ、フィリピン、ブラジルが多かった。


以下は、戦後の移民の情報です。
ブラジル食堂とは話が異なりますが、あまり知られていないことなので、記載します。

戦後は、ブラジルなど南米が多い。


都道府県別の移民状況。
沖縄県が第一位である。日系人は沖縄由来の人が多い。

沖縄からの移民数は、上の表では17726人。下の表では7227人と約1万人の差がある。これは統計年が4年違うため。

日本初めての地上戦となり、県民の4人に1人が亡くなった沖縄から脱出し、異国に新天地を求めた人達が4年間で1万人も。

空港近くの「小禄」という地名では、1平方メートルに爆弾2発という猛爆を受け、避難していた人が戦後4000人が移住したという。