沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

民族資料博物館(個人が集めた凄い博物館)

2020-05-10 | 名護市
名護市の郊外の古い建物に、沖縄の古民具が2万点以上展示されています。

消防士だった真嘉比(まかび)さんが退職後に、粗大ごみの古民具を見つけ、これは残すべきと集めたのがきっかけで、ほとんどはフリーマーケットなどで購入した。
入場料は500円。

このミシンは、昔、もぐって遊んだ記憶がある。

所狭しとたくさんのものが並べてある。




囲炉裏のそばには三線の竿が吊るしてある。
新聞には真嘉比さんが個人で開いた経緯が書いてあった。建物も自分で建てたのが、すごいね。

別館には、沖縄戦に関する新聞記事などがある。

図書館などで戦時中の膨大な新聞記事を読むのは大変だけど、真嘉比さんの工夫は、沖縄戦について、要点を読みやすく展示していること。

沖縄戦を、内地の新聞記事から集めている。地上戦が始まった沖縄では、新聞発行できないのだろう。
米軍が上陸してきたら一体どうなるのかと、内地の人も関心が高かった筈だ。

1944年10月10日、那覇市は830機の敵機が約8時間にわたり無差別爆劇を受けた。

昭和天皇に報告したところ、「被害を受けた方を心配された」ので、改めて「救護など善後策」を報告したとあります。

1945年3月26日 慶良間諸島に米軍が上陸。後方から米軍を狙うことが察知されていた。

沖縄戦では、中学生以上が学徒隊として駆り出され1000人以上が犠牲となった。

1945年4月1日に、沖縄本島に米軍上陸。

1945年4月16日の中部日本新聞
沖縄の女は泣かず
1000隻以上の戦艦が、1日に6000発の艦砲射撃を沖縄に浴びせている。それでも母と姉に4人の弟妹が戦っている。


1945年5月27日の毎日新聞
女学生も砲弾運び戦う沖縄県民
神雷特攻隊の攻撃続く

1945年6月14日の朝日新聞
特攻隊の出撃

1945年7月30日 毎日新聞
手榴弾を抱き女も敵陣へ 涙ぐましい県民の協力

1945年8月5日 毎日新聞
沖縄戦の終結
沖縄戦の指揮官達が自決して昇進
陸軍の牛島中将は、大将に
海軍の太田少将は、中将に

太田中将は、有名な「沖縄県民 かく戦えり」の電文を残した方です。
那覇空港近くの地下に海軍が壕を設置し、戦った施設と、知事に代わって内地に報告した電報などが、海軍壕公園として公開されており、ぜひ見て欲しいです。


沖縄県立平和祈念資料館や沖縄県立博物館にもない情報が、ここにあった。

1人の個人が自費で、沖縄の歴史を伝えようと努力していることが、わかった。