午後、奥上林に話を聞きに行った。
上林に新しい光が生まれつつある、という話を聞かせていただいた。まさに「胎動」している。そんな感じだった。
これまで、いろいろな壁や困難や悲劇に遭遇した中で、足元や自分自身を見つめ直し、奥上林を元気に、活気あふれるところにしたい、という思いは本物であると感じた。
まちづくりや村づくりは、「声」だけではなく、「行動」なのだと思う。「誰か任せ」ではなく、「自分次第」なんだと思う。
上林は「神林」。大いなる力が、そこに暮らす人間を追い出そう、追い出そうとしている。しかし、その力に認められたときには、その大いなるの助力を得て、素晴らしい光を発する。
綾部は、大いなる力を「世に出そうとする人」と「世に出させないとする人」のせめぎ合いの聖地なのだと思う。現実には静かな農村都市だが、見えないところでは、イスラエルとパレスチナのような争いをくり返しているようだ。
「鬼は外、福は内」でも「鬼は内、福は内」でもなく、真実は「鬼は内、福は外」なのかもしれない。