定年後の田舎暮らし

 定年後、神奈川県から北海道のニセコへ移住し、田舎暮らしを始めました。

我が家の菜園

2009-08-20 19:54:39 | Weblog
 昨夜、1ヶ月余りでニセコへ戻ってきました。
長崎や福岡はうだるような暑さでしたが、ニセコへ近づくと半袖では肌寒い感じがしました。もう、秋の気配を感じます。

 

 長雨と低温が続き、その上、1ヶ月も留守にしていたため、予想をしていたいたとは言え、我が家の菜園は雑草が一面に生え、惨憺たる状態になっていました。(夫は畑を耕したり、水遣りをしたりするのは手伝ってくれますが、野菜を育てたり、作物の収穫などには無頓着です。)

 それでも、いくつかの野菜は収穫も良さそうなものがありました。

1)トマト・ミニトマト:トマトは青くて小さめですが、ミニトマトは真っ赤に熟  れたものがだいぶありました。わき芽も伸びて、茎は背丈以上になり、先端は  支柱が無いので垂れ下がっていました。

2)胡瓜:写真のように普通の大きさのものは少なく、巨大胡瓜が黄色くなってい  ました。

3)カボチャ:苗の先端を切り落としていなかったので、伸び放題に四方八方に広  がって、中・小のカボチャがいくつか成っていました。トマトの苗に這い上   がっているものもあり。

4)インゲン・モロッコ:鈴なりになってたくさんぶら下がっていました。

5)枝豆:小さな豆で実入りがよくありません。

6)さやえんどう:結構成っていましたが、ほとんど丸く膨らんでいるので、豆ご  飯に良さそうです。

7)なす:まだ小さめの茄子が成っていました。これからの日照りに期待。

8)ヤーコン:元気に葉が広がっているため、秋の収穫が楽しみです。

9)ズッキーニ:写真のようにとても大きいものが収穫できました。たくさん花を  つけているので、これからも期待できます。

10)ジャガイモ:まだ掘っていませんが、土から見えているのから予想すると、大  きなものも収穫できそうです。

11)赤カブ:茎が伸びて花が咲き、カブは小さく堅くなっていました。



 これから毎日、野菜が食卓に上ることでしょう。

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ニセコの夏2) 夜明け前と羊蹄山

2009-08-19 06:59:02 | Weblog
 引き続き、ニセコの写真をお送りします。



 夜明け前の羊蹄山の姿です。次第に朝日が顔を出していきます。



 朝焼けの光が空を被います。



 少しずつ明るくなってきました。



 牧場の朝。そろそろ牛達が出てくることでしょう。

 

 宵待ち草がひっそりと咲き、もう、秋の気配が感じられます。

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ニセコの夏1) ひまわりとトマト

2009-08-18 09:45:41 | Weblog
 長崎へ来て1ヶ月を過ぎてしまいましたが、やっと、19日にはニセコへ戻ることが出来るようになりました。涼しいニセコの夏が楽しみです。





 夫から送られてきたニセコの写真をご紹介します。暑い夏を象徴するひまわりも盛りを過ぎたような感じです。





 我が家の野菜畑のミニトマトがやっと赤く色づきました。これからお天気が続くと少しは収穫が期待されることでしょう。
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白いざくろの実

2009-08-17 10:15:31 | Weblog
 ご近所にざくろの大きな木があります。



 今までざくろといえば赤いざくろの実しか見たことがありませんでしたが、この気は白いざくろの実をつけていました。勿論、花も白いそうです。白いざくろは珍しく、結構たくさんの実をつけていましたが、熟すまで木の上に残っているのは、ほんの僅かだそうです。
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精霊流し

2009-08-16 06:59:15 | Weblog
 8月15日で旧盆が終わりますが、この日、長崎市では精霊流しが行われて,有名な伝統行事となっています。



 わが町でも精霊流しは昔から行われており、私達も仏壇のお花や供物を箱に入れて、海岸の傍まで持って行き、故人の供養をしました。





 そのやり方は各家庭により、また、宗教によって異なっていますが、初盆の家庭では大き目の舟に灯篭を飾って、故人の霊を極楽浄土へ送り出すのです。



 その中でひと際目立つ精霊舟がありました。聞いてみると、島原出身の方だそうで、島原独自の伝統工芸品の一つ、切子灯篭を飾った舟を作ったそうです。

 初盆を迎える家庭に親戚や知人などから贈られる切り子灯籠は、島原市の文化財に指定されています。

 「切り子」は立方体の角を切り落とした多面体のこと、木枠に和紙を貼って火袋を作り、それに家紋を貼り、紙製の袴などを取り付けて仕上げるそうです。1灯篭で3300円もするとか・・・

 昔は海や川に流していましたが、今は流すのは禁止されています。宗教によっては、お寺ごとに船にまとめて乗せて海の上を廻り、最後に焼却するところもあるようです。

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大崎自然公園2) キャンプ場

2009-08-15 07:14:41 | Weblog
 大崎自然公園は県民が楽しめる施設や公園が完備されています。



 桜やつつじ、紅葉の木がたくさん植えられており、特に桜の花の時期は素晴らしいお花見が出来るそうです。



 サイクリングロードや散歩道も海岸に沿って作られています。







 海辺にテントを張ったり、貸しテントを借りたりしてお盆休みの家族達が楽しんでいました。すぐ近くに海水浴場もあり、魚釣りも出来ます。
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大崎自然公園 1)くじゃく園

2009-08-14 13:15:21 | Weblog
 母がデイサービスに行くようになったので、今日は妹と一緒にデイサービスセンターまで車で送っていきました。

 大崎半島の中に、「くじゃくの家」という老人ホームとデイサービスセンターがあり、多くの町民が利用しています。



 大崎半島の先端の方に「くじゃく荘」という国民宿舎があります。展望風呂はかけ流しの温泉になっていて、料金も安く、とても景色がいいところです。







 建物にくじゃくの名前がついているのは、ここに昔からくじゃく園があり、400羽ほどのインドクジャク、シロクジャク、マクジャクなどが育てられているからです。
 5月頃の発情期になると、一斉に羽を広げるのですが、今の季節は羽を開いてはくれません。身体に不似合いなドラ声で「アオーン」と、なきます。

 私の子供達を小学生の頃、ここに連れてきたことが思い出されます。


 

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手編みのベスト

2009-08-12 12:09:27 | Weblog
 妹のお店から毛糸を買って、手編みのベストを編みました。

 

 編み物を始めると、テレビを見ながらまた、時間があれば編み物をするので、5日間ほどで出来上がりました。秋バージョンです。素敵でしょう?
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ハウステンボスの国際花火フェスティバル

2009-08-11 06:52:18 | Weblog
 ハウステンボスでは7月25日から8月16日にかけて、土、日曜日を主体に国際花火フェスティバルが開催されています。

 イタリア、オランダ、中国、日本の国際的な花火師達が、夜空にまばゆいばかりの花火ショーを見せてくれるというのです。



 まずは、ハウステンボスに入場して記念写真です。



 アレキサンダー広場では、「灯りのまつり」も催され、ランタンが灯り、ステージでは生演奏やダンスのショーで賑わっていました。







 私達が見に行った日は中国の花火の日で、北京オリンピックの閉会式の時の花火や、「日本」、「中国」という文字も打ち上げられていました。

 花火の写真はまだあまり経験が無く、なかなか綺麗に撮れません。肝心な時に電池が少なくなったりして、いい写真はありませんでした・・・・
 もう少し勉強します。
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長崎の原爆記念日

2009-08-10 06:56:56 | Weblog
 8月9日は長崎の原爆の日です。
 長崎県の実家を訪れている今、テレビで原爆忌の式典を見ていると、以前に平和公園や原爆資料館で見たその時の悲惨な状況を改めて思い出しています。

 私はその頃、長崎には住んでいませんでしたので、原爆のことは知らないで生きてきましたが、私の夫は小学校1年生の時に被爆しています。幸いに今のところ健康に暮らしていますが、当時のことはよく覚えていて、悲惨な状況を何度も聞かされました。

 眼鏡橋の傍の川の中にはたくさんの死体が転がっていて、後始末のお手伝いをしたのだそうです。

 
 自分達の小学校の校舎は原爆病院になり、夫は小学校6年まで近くのお寺で勉強をしたそうです。

 被災地の中心にあった城山小学校の生徒達が平和を願う歌を歌っていました。昨年までこの学校の校長先生をしていらした前波先生は、大學の山岳部の後輩ですが、学校に残されていた原爆関連の貴重な資料を整理し、写真を復元して、資料館を作るのに貢献されたと聞いています。

 オバマ大統領の「世界から核をなくす!」ことが一日も早く現実になるよう祈らざるを得ません。
コメント (4)
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