現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

大須大道町人祭り

2009-10-11 21:01:32 | 虚無僧日記
10/11 今日も行ってきました。大須の「大道町人祭り」。
すごい人で、通り抜けるのもやっと。町のあちこちで、
大道芸人たちがパホーマンスを演じ、商店会の人たちが
「投げ銭」と書いた箱を持ってまわっている。大須では、
毎週日曜日、広場を大道芸人に提供し、彼等を支援する
ために「投げ銭の文化」を定着しようとしている。よい
ことだ。

商店街で虚無僧するにも「届出」が必要。そこで、入口
の交差点角で、やっとひとり立てるスペースを見つけ、
そこで尺八を吹く。たちまちカメラの放列を浴びる。

外国人の青年が人なつっこい笑顔で近づいてきた。
「私も尺八習ってます」と。イギリス人で、中学校で
英語の講師をしているとのこと。生徒に「私の趣味は
尺八です」って言うと、「尺八?なにそれ」って云われる。
「日本人、変ですねぇ」と彼氏。ほんとにそうだ。

夜6時、いよいよ祭りのハイライト。大須観音の本堂前に
花魁4人とその取り巻きが勢ぞろいし、高い階段上から、
序々に序々に、30分もかけて降りてくる。超スローペース。
これが日本の“静”の文化だ。朱塗りの本堂をバックに、
長唄囃子が流れ、江戸情緒たっぷり。絢爛豪華な衣装は
どうやって揃えたのだろう。公募で選ばれた素人さんだが、
ライトアップされ実に美しい。見事な所作はどうやって習得
したのだろうか。跳ね回って踊る『GEISHA SAYURI』とは、
やっぱり違う本物の日本の文化だ。

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芸者さゆり

2009-10-11 11:55:37 | 虚無僧日記
You-Tubeで、スピルバーグ監督のアメリカ映画『GEISHA SAYURI』を見た。
批評もいくつか見たが、極めて悪い。曰く「京都の祇園が舞台なのだろうが、
芸者と舞妓とは違う」とか、「牛車が出てきたり、遊郭の造りも仕来りも
舞も全然違う」と。

『ラスト・サムライ』『パール・ハーバー(真珠湾)』『硫黄島からの手紙』と、
いずれも観たが、日本人から見れば“変なニッポン”で、私はしらけた。
心打つ感動はなかった。

ブーイングの一つは、芸者のキャスティングに日本人の女優が起用され
なかったことである。主演のチャン・ツィイーとコン・リーは中国人、
ミシェル・ヨーはマレーシア人。しかし、悔しいかな、その美しさには
目を奪われた。

もし日本の女優を起用するとしたら誰か? 代われる人は思いつかない。
今人気の女優では、憂(ウレ)い や 儚(ハカナ)さが無い。日本人として起用
されていた工藤夕貴は、おチャッピイのパンパン役だ。これが今の日本
女性を代表している。

今や日本の女性には失われた美か。いや、外国人が求める『蝶々婦人』の
ような日本女性は昔から居なかった気がする。

花魁(オイラン)役では、『吉原炎上』の名取裕子が適役だった。最近の映画では
『さくらん』の土屋アンナ。名前からしてバタ臭い。日本人が描く花魁は、
頂点に上りつめた逞しく強い女だ。その方が日本人の感性に合うというのも
不思議。

目で殺す

2009-10-11 10:53:01 | 虚無僧日記
『GEISHA SAYURI』で検索していたら「映画の中のワン・フレーズ」と
いうブログに行き当たった。以下コピー

【一流の芸者になるため、日々厳しい稽古に励むさゆり(チャン・ツィイー)。
 才色兼備の姉芸者、豆葉(ミシェル・ヨー)に連れられ、2人京の町を歩く
 シーン。
 そこで、豆葉がさゆりに「一目の視線を向けるだけで男性の心を奪うよう」
 に指示する。

 A true geisha can stop a man in his tracks with a single look.
 「真の芸者は一目で男性を射止めるものよ」

 視線を合わせた男性を、その場に立ちすくんでしまうほどに見とれさせる
 というテストですね。そこで、さゆりが視線を合わせたのは、自転車で
 出前途中のおそば屋さん。美しいさゆりの流し目に釘づけになった男性は
 その場で転倒してしまい、おそばを道に落としてしまったのでした】


そう「大名射るのに弓矢は要らぬ。糸屋の娘は目で殺す」というザレ歌が
あった。作家はそれを知ってのことか。“流し目”の力の実践シーンだ。

チャン・ツィイーもミシェル・ヨーも女優として目に力がある。そしてそれにも
まして、さゆりの子供時代を演じたのは、大後寿々花という少女。
日本人だが、なぜか目がブルーグレー。コンタクトレンズを入れてるのだ
ろうが、目に力があるすばらしい演技だ。日本人の面目を保てたのはこの
少女タレントだった。 11歳でハリウッド・デビュー 恐るべし。


花魁道中

2009-10-11 09:39:53 | 虚無僧日記
10/10 大須(おおす)で「大道町人祭り」があり、その
メインイベントの「花魁(おいらん)道中」を見物してきた。

近年“シャッター通り化”している商店街が多い中で、
大須は起死回生をはかり、若者も集まる町として、全国から
注目を集めている。成功の一つが、年中いろいろイベントを
企画して客を呼び込んだこと。この『花魁道中』はそのひとつ。

ものすごい人で、とても虚無僧の私が立つ場所もない。
「花魁(おいらん)に おいらはいらんと 追い払われ」


一方、以前見に行った○○町のパレードは淋しいものだった。
侍役なら侍らしく堂々と立派に、お姫様役なら、笑顔を振り
まいて美しく振舞ってもらいたいものだが、その輝きがない。
みな照れくさそうに、あるいは疲れた顔をして、デレデレ、
ダラダラ歩いている。

これでは見る方にも、祭りの楽しさが伝わらない。だから、
かつては沿道を埋め尽くしたという観衆もまばら。観てくれる
人もいない中を、時代衣装に厚化粧で歩くのは、余計恥ずかしい。

同じことが、虚無僧にも云える。この格好で町なかを歩くのは
“気恥ずかしい”と思ったらダメ。本物らしく、堂々と今日も
大須の町へ繰り出そう。「目力」だ。ンン? 虚無僧に目は無い?
ムム、「音力(ねぢから)」じゃ。

音味と音力

2009-10-11 02:59:16 | 虚無僧日記
琴古流川瀬派竹友社の H.P.は、たいへん為になる。
尺八や虚無僧の歴史など、虚無僧研究会の会報
『一音成仏』より詳しい。

「尺八雑話」もまた面白い。第18(2003/3/29)に
「音味(ねあじ)」というのがあった。以下そのコピー。


「そもそも音味(ねあじ)とは何なのか。
 音が大きい小さいではなさそうである。
 松の林を吹き渡る風の音か。
 そうだというといかにも優等生だが、どうも違うような気がする。
 では、つやの有る摩擦音の混じらない音のことか
 うむ、音味というには、きれいすぎる。

 言葉では表現できないのを承知の上で自己流で「音味」の定義に
 挑戦してみよう。
 「音味」とは、「むら息が混じっていながら、摩擦音を感じさせない音、
 きれいな音 の要素も入っており、人工的な強弱ではなく自然の強弱が
 ついている音、むら息ときれいな音の間からどちらともいえないきわどい
 緊迫感と共にほんのり露が顔をみせているような音、圧迫感が無く聞いて
 いる人を包み込むような音、音と音との連続が溶けている音、音と音との
 間にやわらかな空間があり、聞いている人はそこでくつろげる音、
 軽く吹いているのにどことなく底力を感じさせる音」から総合的にあふれて
 くる味のことではあるまいか。

 もっともこれから竹道を歩んでいる中に、書き足すことがきっと増えるに
 違いない      (蛙)

と、みごとに表現されている。私も先日の志村禅保氏の地無し尺八を聞いて、
「蛙」氏が書かれていることと同じことを感じた。

尺八で聞く人を魅了するのは『音味(ねあじ)』だ。
蛙氏の『音味』論に包含されてはいるが、あえて『音力(ねぢから)』を、私は
とり分けてみたい。

『音力』とは、大音量が出せることが当然だが、ピアニシモの響きにも
力があることだ。志村師の吹奏は、マイク無しで館内に響き渡るど迫力の
音と、メリ音、さらに音の無い“間”にまで力があった。無音でも“気”の
力が伝わってくるのである。


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ふ勉強

2009-10-11 02:30:35 | 虚無僧日記
石川利光氏の尺八講習会に参加した方からの情報。

「ふ勉強」⇒「不勉強」ならぬ「譜勉強」はいかん。
というような話があったとか。
楽譜を見て尺八を吹くのと、楽譜無しで吹くのでは
訴える力が違う、と。

私もそう思う。歌でもそうだ。演歌歌手が楽譜片手に
歌っていたらサマにならない。「尺八家は暗譜が苦手」の
言い訳は、もう通らなくなってきた。プロの条件は暗譜。

もうひとつ「譜勉強」で思うのは、私の所に習いに来ても
「楽譜」ばかり見ている人がいる。習いに来るというのは、
私の“手”や“息づかい”“間”を盗むためではないか。
尺八は特に、音と音の間に音があるのだ。それは譜面には
書かれていない。

まず楽譜どおりに吹けてゼロスタート。音程、リズムだけ
ではない。速度記号、ブレスの位置、強弱、クレッシェンド、
デクレッシェンド、ritなどの「表情記号」を忠実に吹奏する。
それができた上で、呼吸、間合い、息の使い方、指づかい
など、教えたいことはたくさんあるのだが・・・・・。


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