現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

11月の予定

2009-11-02 23:23:58 | 今後の予定
明日11/ 3 「一路会のおさらい会」
9月の大垣、11/22の短歌会館文化祭出場と続くため、
息切れしたか、またインフルエンザでダウンした人も
おり、欠席10名。それでも20人が参加。わが一路会も
気がつけば30名になった。来年の能楽堂公演に向けて
あと10名はほしいところ。

11月の予定 

3(火・祝) 第8回 一路会おさらい会 短歌会館
8(日) 蓉暁会 詩吟伴奏     中日パレス
10(火)   中区平和福祉会館
13(金)   セントレア空港ロビー・イベント
15(日) 戦災傷害者の会 
16(月)   徳川園
22(日)   短歌会館文化祭
23(月・祝) 共産党後援者総会

月に8件も仕事があるなんて最高! さあ行こう!


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp




山崎朋子

2009-11-02 17:04:38 | 虚無僧日記
Wikipediaで「山崎朋子」を検索した。

広島で育つ。父は伊号第67号潜水艦の艦長だったが、1940年沈没し、父を喪う。
小学校の教師をした後、54年、女優となることを夢見て上京、知り合った金光澤と
事実婚。しかし金は朝鮮総連学生部の委員長であり、ナショナリズムのゆえに
日本人妻を忌避する風潮が現れ、金の許を去る。その後、58年、児童文化研究者・
上笙一郎と知り合い、59年、結婚。上の本名である山崎を姓とする。

アジア女性交流史研究会を創立し、77年まで『アジア女性交流史』を刊行。
九州地方の「からゆきさん」の聞き書き『サンダカン八番娼館』で1973年、
大宅壮一ノンフィクション賞受賞。同作は映画化もされ、ベストセラーとなる。


実は、私は千代田生命の組合で、「女性部」の役員をし、女性の地位向上の
活動に携わっていた。その時、組合活動の一環として、山崎朋子さんを招いて、
講演会を開催した。

すでに『サンダカン八番館娼館』で“時の人”だったから、昭和50年半ば
だったのだろうか。講演が終わって、質疑応答で、組合幹部が「ご主人は・・」
と聞いた時、山崎朋子女史の顔つきがサッと変わった。「うちには主人は
おりません!」ときつい口調で、質問者を睨みつけた。キッとなったあの顔を
私は忘れない。質問の趣旨も判らなかったが、どうやら夫を「一家の主人」と
いうことに抵抗したようだ。

「男女同権」「ウーマンリブ」が声高に叫ばれている時代だった。
ところで、山崎朋子の夫って誰だったのだろう。朝鮮総連学生部委員長の
金光澤だったのなら、その頃はもう、夫婦仲は覚めていたのかと、今
経歴を見て思う。

 「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp







九月十三夜

2009-11-02 16:19:42 | 虚無僧日記
11/2 早朝4時に家を出て「朝起会場」へ。向かう途中
西の空に、月が煌々と輝いていた。今朝はこの秋一番の
冷え込みとかで、いっそう冴えわたって見えた。こんな
月を愛でることができるのも「朝起会」の効用か。

11/4 が満月。さすれば今日は 旧暦「9月13夜」の月か。
旧暦では、8月15日と、9月13日の月を愛でることになって
いたらしい。

上杉謙信に『九月十三夜陣中の月』と題する詩がある。

  「霜は軍営に満ちて 秋気清し  数行の過雁 月三更
   越山併せ得たり 能州の景   さもあらばあれ家郷 遠征を憶ふ」

天正5年(1577) 謙信が能登に攻め入り滞陣した時に詠んだ詩だ。
すでに「霜が降り、秋気清し」と。戦国時代は「寒冷期」だった。
雪も多かった。今私は、まだ夏服のまま。


 「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp




上杉謙信

2009-11-02 16:02:41 | 虚無僧日記
NHK『天地人』は、上杉謙信の養子「景勝」の代の話。
謙信は、ドラマの前半ですでに没している。

上杉謙信は、能登を攻めた翌年天正6年(1578)、49歳で
没した。信長と同じ49歳、ちなみに、宿敵武田信玄は、
天正元年(1573) 53歳で亡くなっている。

謙信の辞世と伝えられる詩は

 「一期の栄え 一杯の酒    四十九年 一酔の間
  生を知らず また死も知らず 歳月はただこれ 夢中の如し」

 「極楽も 地獄も先は 有明の 月ぞ心に かかる雲なき」

謙信は「月」が似合う武将だった。
私も49歳の時サラリーマン人生が終わった。50歳になって即、
リストラ退職。第二の人生が始まった。昔の人の二人分生きられる。
長生きできることは“幸”か“不幸”か。それも半生の生き様次第。
私?「最高に幸せ」である。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp