3/13 Yさんの招きで、鈴鹿市神戸(かんべ)の龍光寺に行ってきた。
龍光寺が所蔵する「釈迦の大涅槃図」のご開帳で、「神戸の寝釈迦
祭り」というお祭りだった。
神戸(かんべ)は、鈴鹿の豪族で、織田信長の伊勢平定で、三男の
「信孝」を養子に迎えた。神戸(織田)信孝は、お市と柴田勝家との
婚儀を勧めた人物であり、秀吉が勝家を滅ぼした時、秀吉によって
自害させられた。秀吉は信孝の妻子も殺している。
天澤山龍光寺は、なんと、京都東福寺派の禅寺。東福寺は虚無僧の
本山でもある。これは“ 呼ばれた ”。
しかも、応永30年(1423年) 称光天皇の勅願寺とのこと。称光天皇は
一休の弟で、一休の推薦で 12歳で 101代天皇になられ、28歳で崩御
された。在位わずか16年。
「釈迦の涅槃図」は、江戸時代のものだが、京都東福寺の画僧、
吉山明兆(きっさんみょうちん)が描いたといわれる 16畳敷もある
大涅槃図。普通、涅槃図では描かれない「猫」が描かれており、
問題となったことから、龍光寺の「涅槃会」が有名になったとの
こと。タブーを破るのも、人気を集める手か。
本堂で「涅槃図絵説法」を聞き、寺宝の書画や秀吉の朱印状、
「魔鏡」などを見、精進料理もご馳走になる。県指定文化財で
普段は非公開の「坐忘亭」では、村田珠光の流れを汲む「珠光流」の
呈茶。村田珠光も一休と関わりがある。
参道には 200軒もの露天がならび、大勢の善男善女が参拝し、
すごい賑わいに 驚いた。
龍光寺が所蔵する「釈迦の大涅槃図」のご開帳で、「神戸の寝釈迦
祭り」というお祭りだった。
神戸(かんべ)は、鈴鹿の豪族で、織田信長の伊勢平定で、三男の
「信孝」を養子に迎えた。神戸(織田)信孝は、お市と柴田勝家との
婚儀を勧めた人物であり、秀吉が勝家を滅ぼした時、秀吉によって
自害させられた。秀吉は信孝の妻子も殺している。
天澤山龍光寺は、なんと、京都東福寺派の禅寺。東福寺は虚無僧の
本山でもある。これは“ 呼ばれた ”。
しかも、応永30年(1423年) 称光天皇の勅願寺とのこと。称光天皇は
一休の弟で、一休の推薦で 12歳で 101代天皇になられ、28歳で崩御
された。在位わずか16年。
「釈迦の涅槃図」は、江戸時代のものだが、京都東福寺の画僧、
吉山明兆(きっさんみょうちん)が描いたといわれる 16畳敷もある
大涅槃図。普通、涅槃図では描かれない「猫」が描かれており、
問題となったことから、龍光寺の「涅槃会」が有名になったとの
こと。タブーを破るのも、人気を集める手か。
本堂で「涅槃図絵説法」を聞き、寺宝の書画や秀吉の朱印状、
「魔鏡」などを見、精進料理もご馳走になる。県指定文化財で
普段は非公開の「坐忘亭」では、村田珠光の流れを汲む「珠光流」の
呈茶。村田珠光も一休と関わりがある。
参道には 200軒もの露天がならび、大勢の善男善女が参拝し、
すごい賑わいに 驚いた。