現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

義捐金と義援金

2011-03-25 08:43:22 | 虚無僧日記
東日本大震災で亡くなられた方の名前が、連日、新聞に掲載される。
そして、中日新聞社に「義援金」を届けられた方の名前が、
これまた、1面どころか、2面、3面にわたって 掲載されており、
その数は日増しに増えている。すばらしいことだ。

一方、名古屋駅前では、相変わらず、若い人たちが、募金活動を
行っている。だが、もうそろそろ、入れる人の数は減ってきている。
公共施設でも コンビにでも レストランでも、至るところに
「募金箱」が 置かれており、もう大方、募金されたことと思われる。
私も なけなしの金を はたいた。

学生が 一日立って、募金を呼びかけるよりは、「一日アルバイトを
して、そのお金を募金した方が、もっと多く募金できるでは ないか」
などと 思ってしまうのは 私だけか?


ところで「ギエンキン」は、昔は「義捐金」と書いた。今は「義援金」。
「援助」するのだから「義援金」の方が判りやすい。「義捐金」では、
「損する」と 読み間違えられ やすいからか。

辞書を引くと、「捐」には「捨てる、捨てさせる」の意味がある。
「喜捨」と同じか。

なお、「義」の字は、「羊」に「我」。「羊」は、優しい動物であり、
古来「生贄(いけにえ)」にされた動物だ。「我」が「他のため、人の
ために 犠牲になる」という意味らしい。未曾有の震災で、人々は
「他のため 人のために 何かできることを」と、「自己犠牲」に
目覚めた。「仏性」を呼び起こしたのだ。良いことだ。

安全と安心

2011-03-25 08:14:39 | 虚無僧日記
「○○だから安全よ」というより「ママがついているから安心よ」
そんなCMがあった。「安全と安心」について考えさせられる。

たとえば、「シートベルトをしていれば安全よ」、「ママが運転
するから安心よ」の違い。

「安」は「ウかんむり」に「女」。つまり「家の中に女が居ると
安(やす)らか」。「全」は「城に王様がいて守ってくれる」という
意味だとも。

「原子力発電は 絶対に安全です」と 国も電力会社も言い続けて
きたが、それで「安心」する人と、それでも「不安」を感じてきた
人がいた。

今回の事故で「安全神話」も「安心」も すべて 吹っ飛んだ。
「絶対」は「ぜったい無い」ということを学んだし、国も大企業も
「国民の命を守ってくれるもの」との信頼は 失われた。

自分の命は自分で守る。

「生きている限り、毎日が学習。お勉強よ」と 今朝のモーニングで、
大野さんの言葉。「おおの」は ローマ字で書くと「OhNo」だ。

何でも疑ってかかれ。「水が無いの、飲めないの」と風評に惑わされ、
パニックになるのも「Oh,No!」だ。