中日新聞 連載中の『親鸞』で、五木寛之は、最近「下人」や
「」について、こだわって書いている。今後の展開は判ら
ないが、私も関心がある。
古代史で出てくる「魏志倭人伝」の「倭」や「奴国」の「奴」、
「卑弥呼」の「卑」、みな あまり良い意味の字ではない。
「倭」は「やまと」「和」。「日本人は 穏やかで 平和を愛する
国民性と、中国から見られていた」などと いう 説が 心地よく
唱えられているが、見方を変えれば、これは 中国から
日本を 見下した「蔑称」だ。
「倭」は「人に委(ゆだ)ねる」だから、「従順」と言えば
聞こえはいいが、「人に従う、隷属する」、悪く言えば「奴隷」。
事実、日本から中国への貢物は「生口=奴隷」だった。
日本は「奴隷を献上する国」だったのだ。
107年(後漢永初1)、倭国の王帥升らが、後漢の安帝へ
「生口」160人を献じている(『後漢書』)。
その後、倭王卑弥呼も、239年(魏景初2)に、魏の明帝へ男の
「生口」4人、女の「生口」6人を。さらに 243年(魏正始4)、
魏の少帝へ、その後継者の台与も 248年に「生口」30人を
魏へ献じている(『魏志倭人伝』)。
「生口」は「捕虜」「奴隷」、さらには、中国では この時代、
「食人の風習があったので、そのための食材であった」という
恐ろしい説もある。
五木寛之『親鸞』で書かれているように、古代から中世まで、
いや、つい最近まで、「子盗(と)り、女盗(と)りは 世のならい」
が、日本では 横行していたのだ。日本人は、それに長い間
目をつむってきた。その暗部に、五木寛之は、今触れようと
しているのか。興味深い。
「」について、こだわって書いている。今後の展開は判ら
ないが、私も関心がある。
古代史で出てくる「魏志倭人伝」の「倭」や「奴国」の「奴」、
「卑弥呼」の「卑」、みな あまり良い意味の字ではない。
「倭」は「やまと」「和」。「日本人は 穏やかで 平和を愛する
国民性と、中国から見られていた」などと いう 説が 心地よく
唱えられているが、見方を変えれば、これは 中国から
日本を 見下した「蔑称」だ。
「倭」は「人に委(ゆだ)ねる」だから、「従順」と言えば
聞こえはいいが、「人に従う、隷属する」、悪く言えば「奴隷」。
事実、日本から中国への貢物は「生口=奴隷」だった。
日本は「奴隷を献上する国」だったのだ。
107年(後漢永初1)、倭国の王帥升らが、後漢の安帝へ
「生口」160人を献じている(『後漢書』)。
その後、倭王卑弥呼も、239年(魏景初2)に、魏の明帝へ男の
「生口」4人、女の「生口」6人を。さらに 243年(魏正始4)、
魏の少帝へ、その後継者の台与も 248年に「生口」30人を
魏へ献じている(『魏志倭人伝』)。
「生口」は「捕虜」「奴隷」、さらには、中国では この時代、
「食人の風習があったので、そのための食材であった」という
恐ろしい説もある。
五木寛之『親鸞』で書かれているように、古代から中世まで、
いや、つい最近まで、「子盗(と)り、女盗(と)りは 世のならい」
が、日本では 横行していたのだ。日本人は、それに長い間
目をつむってきた。その暗部に、五木寛之は、今触れようと
しているのか。興味深い。