コメントに「虚無僧なんて、ただの“もの好き”な 変わり者にすぎません」と。
ほんとその通りです。以前、徳光の番組から取材依頼がありました。
「わが町の変人奇人」というコーナーでした。私は出たかったのですが、
家族が猛反対し、勝手に断ってました。世間一般からみれば「変人・奇人」の
部類でしょう。
妻子にとっては、たしかに、自分の父親や夫が虚無僧だなんて、耐えられない
屈辱でしょう。 所詮それが虚無僧の原点です。
虚無僧を見て、「汚らわしい、忌まわしい」と唾をかける人もおりました。
反対に 手を合わせて 拝んでくれる方もおります。 同じものを見て、明と思うか、
暗と思うか、その人の心。
いや、“暗”と思われるか、“明”と思われるかは、こちら側の姿勢次第。
“明=善人”と 思われたければ、そのように日頃の修養が肝心。それを
悟るのが虚無僧修行です。
そしてさらに「暗を明に変える生き方」でもあります。