5+5=10ですが、+を×にすると?
5×5=25。
1+9=10 6+4=10
2+8=10 7+3=10
3+7=10 8+2=10
4+6=10 9+1=10
5+5=10
みんな足すと10です。
でも+を×にすると、1×9=9 ですが、
5×5=25になるのです。
小さな製造業の会社。社長も奥さんもパートさんも
みな黙々と働いてはいるんですが、なんか活気がない。
注文はざんどん減ってきて、じり貧。
社長さんから「どうしたらよいでしょう」と相談を
受けました。
そう、貼紙をして、朝出勤してきたら、元気よく
朝のご挨拶。そして拍手。顔を合わせたら拍手。
これだけで社内にも活気が出てきた。みんな明るく
声掛け合って生き生き働くようになった。仕事も来る
ようになった。足し算が掛け算になったんです、と。
なるほど、いい話。
筝と尺八の合奏も、力量が1と10では、足しても11。
掛けても10。それより5×5と力が均衡している方が
より効果を発揮するということか。
「教えてgoo」に『“情けは人のためならず”の本来の
意味を教えて』という質問があり、何人かの人から回答
が寄せられていた。その中のひとつ。
「“巡りめぐって”というところが大切で、恩をかけて
やった人から何かを返してもらうということではありま
せん」と
なるほど「恩は報いを求めず、徳は名を求めず」の心だ。
さらに
「貧しい人、困っている人を助ける、寺にお布施をする。
そうした善根を積むことによって、みずから喜びとし、
温かい幸せの心を得る。そして幸せが幸せを呼ぶと
信じられてきた」という。
「信じられて来た」と過去形であることがなぜか淋しい。
ますます「情け無用」の世に突入か。虚無僧が門付けに
回ってきて、布施をしたくないときの言葉は「ご無用」。
それを知る人も今はいなくなった。手を横に振って追い
払うのみ。言葉も消えたか。
「情けは人の為ならず」を「その人のためにならない
から情けをかけるな」と解釈する人が半数いるそうな。
なるほど、平家物語の昔から、平清盛は、源頼朝、
義経の命を助けたばかりに、平家の滅亡を招いた。
まさに「情けをかけることは、いけないこと」だという
意識は潜在的にある。
最近、福祉の面でも“自助努力・自立更生・受益者
負担”などの言葉が前面に打ち出されているが、
これも、高齢者に情けをかけてやることは、その人
の為にもならないし、巡り巡って、高負担で、自分
のためにもならないという理由か。
世の中ますます“情けのない”時代となることだろう。
情けをかけてやっても、その人のためにならない
という事は多い。
山本有三の『波』にも、「ドブの中のぼうふらが
かわいそうだからといって、救い上げて洗面器に
移し変えたって、ぼうふらは幸せにならない」と
いうくだりがあった。
私は長年、保険会社に勤務してきた。生保全体で
毎年25万人が入社してきて、25万人が辞める。
会社としては、いたれり尽くせり面倒をみるのだが
尽くせば尽くすほど、その人のためにならない。
いつまでもセールスとして独り立ちせず、
「やっぱり保険の仕事は難しい」と愚痴をこぼして
辞めていく。
トップセールスの多くは、ろくに教育も受けず、
会社の支援も無く、たくましく自分で自分の道を
切り拓いてきた人達だ。これも“情け”はその人
のためにならない一例だろう。
私の母は、随分いろんな人の面倒をみてきた。
父は次男坊だったから、早くから東京に出、戦争
で家も焼け残ったので、何家族かの引き上げ者の
面倒をみ、その後も甥っ子姪っ子はじめ、いろん
な人が我が家に下宿して、大学を卒業していった。
母は「“下宿家のおかみ”をするために嫁に来たの
ではない」と長年愚痴っていたが、92歳まで長生
きできたのは、世のため人のために尽くしてきた
天からのご褒美と、最近は父にも感謝している。
かく云う私?さんざん親の脛かじって迷惑かけて、
今他人様にお情けかけていただいて生かされてい
る。長生きはできまい。
高齢者の万引きが増えているという。
万引き常習で、何回も刑務所に入り、出所してきても
仕事に就けない。生活苦から、また万引きで捕まって、
刑務所に戻ったほうが、三食ありつけるからだという。
刑務所はもう満杯状態。刑期を短縮して出所させて
やっても、その人のためにはならない。また万引きし
て戻ってくるという。格差社会、貯金0の世帯が20%
とか。富裕層の税金は軽減して、貧者から“情け容赦
なく”取り立てる国策のツケだ。
詐欺罪や性犯罪者も、情状酌量で刑を軽くしてやっても、
反省改悛するどころか、出所するとまた犯罪を犯す。
執行猶予など、“情け”の最たるものだが、この猶予
期間中に再犯するのだから、「情けは、その人のため
ならず」どころか「社会のためならず」だ。
「情けは人のためにならず」
この諺の本来の意味は、『他人に情けをかければ
巡り巡って、自分に返ってくる。ようするに自分のため』
このテーマで以前から何回か書いて
きており、その発端は、「その人のためにならない」と
曲解している人が多いということから、「その人のため
にならない」という例を考えてみたのでした。それで、
タイトルも「人のため“に”ならず」と“に”を入れて
おります。
情けはその人の為にならない。と理解している人が
多いそうだ。そう解釈するような事例が、昨今目立
って増えてきたからだろう。
その人の為を思って忠告してあげても、逆ギレされ
るのがオチ。
情けをかけてやっても、その人の為にならない、最も
いい例が多重債務者。同情して金を貸してやることは、
絶対にその人の為にならない。金を貸すより、弁護士に
相談することだ。これは自分の体験から言うのだが、
そうアドバイスしても、スンナリ弁護士に相談に行く人
は居ない。自己破産するには抵抗があるようだ。その
人の為を思って、金を貸さないのも“情け”なのだが、
その挙句、自殺されては、まさに「情けを掛けてやった
のに、その人の為にならなかった」という例だ。
毎年自殺者3万人。その大半が借金苦という。2、3
百万の借金で自殺する。自分の命そんなに安く売るの
か?
5/24 ウィルあいちホールで、障害者100名を招待しての
バリアフリーコンサート。主催は「名古屋音楽療法研究所」。
その所長の菅野弘惠さんからの依頼で、私は会場内の
誘導案内係り。
演奏は、菅野さんの息子さん「菅野雅紀」氏のピアノと 、
チェロの「古川展生」氏。映画「おくり人」のチェロ奏者
であり、また、尺八の藤原道山氏とのユニット「KOBUDO」の
メンバー。
会場の前半分が障害者で、どうなることかと心配したが、
演奏が始まると、皆静かに聞き入っていた姿に感動。
演奏も無事終了。キャッスルホテルでの打ち上げに
私も呼ばれ、古川氏と親しく話しができた。
明日は「道山」氏と会うとのこと。東京やヨーロッパの
話が聞け、ひととき 別世界の空気を吸わせてもらった。