元桑名臣・倉田巳(巴)、岡(国)枝太郎 米田隊下となりて、桑名の臣二百を以て秋月と共に脱走す※。
會藩・工藤衛守、松井九郎、米田隊下となる。秋月は第一大隊を卒し鴻の台に勢を揃え規則を調え、野州三つ街道(水海道)に走る時、土方歳三は後れて止むを得ず会津に走り、秋月に逢うて共に誓いて下館に向う。
倉田巴は立見鑑三郎、国枝太郎は馬場三九郎の変名。桑名隊は200名ではなく80名。いずれも脱藩したという。
会津藩の工藤衛守(内田衛守)と・井上誠之進(米澤昌平)、松井九郎(牧原文吾)いずれも脱藩して改名。
内田と牧原は別伝習隊の長となる。別伝習隊は「農兵」隊とされるが、元西丸下の歩兵からなる部隊であった。