現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

6/22 奥羽列藩同盟成立

2021-06-21 22:30:13 | 虚無僧日記

今日は何の日。6月22日は旧暦の5月3日。慶応4年(1868)の今日、奥羽列藩同盟が成立。5月6日には長岡・新発田等越後の藩も加わる。それで後世の史書では「奥羽越列藩同盟」と書くが、そのような同盟が交わされたことはなかった。

正月の鳥羽伏見の敗走。徳川慶喜の恭順謹慎、江戸の無血開城によって、薩長新政府としては、振り上げた刀をおろす先を会津・荘内二藩に向けた。新政府の武威を示さねば明治の新政府は務まらなかった。

会津藩としては徳川慶喜同様ひたすら恭順の意を示したが、新政府は無視。あくまで武力攻撃の姿勢を曲げなかった。

閏4月11日、奥羽14藩は仙台藩領の白石城において列藩会議を開き、会津藩・庄内藩赦免の嘆願書「会津藩寛典処分嘆願書」を奥羽鎮撫総督に提出した。しかしこれが却下される。

世良修蔵の暗殺

奥羽鎮撫総督府の下参謀世良修蔵は、開戦の口実を作る為、仙台藩家老を愚弄し「奥羽皆敵」との感情をむき出しにした。それに激昂した仙台・福島の藩士が世良修蔵を惨殺した。

これによって新政府軍の会津・荘内攻撃は決定的となり、会津・荘内救援のために、奥羽23藩による盟約書が調印された。翌4日には、越後長岡藩が、6日には新発田藩等の北越同盟加盟5藩が加入し、計31藩による奥羽越列藩同盟が成立した。

奥羽越列藩同盟の旗、五芒星の謎。この旗がいつ誰によって作られたのかは、全く不明。戦闘で掲げられることは無かったかと思われる。

 


蒲郡に行くなら「ままや」

2021-06-21 00:01:46 | 虚無僧日記

形原温泉の「あじさいの里」。9時半に着いたので、駐車場は満車だったが、次々に出ていく車があり、数分待っただけで入れた。帰り11時半の時は、もう延々と何キロも車の列。渋滞を避けて蒲郡の東へ、三谷駅の近くに「菜飯と味噌田楽の ままや」という店があり入った。食べ物のことは今までブログに書いたことがない私だが、特別に載せておきたい。こ菜飯、湯豆腐、釜飯、味噌田楽に漬物、デザートのコーヒーゼリーまで、何もかもうまい! 漬物など好きではない私だったが、これは絶品。追加注文してしまった。とにかく一品一品に下ごしらえから手が込んでいるいることがわかる。「これはおいしい!」とほめたら、おかみさん喜んでいわく「私もよそで、釜飯や湯豆腐食べてみたけど、あんまりおいしくないので、もっとおいしいもの作ろうと思ってこの店を始めたんです」と。