現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

(37) 番外編 勝ち負け 3

2008-08-23 07:38:12 | H20./8月 四国の旅
北京オリンピックも高校野球の喧騒もよそに
四国を旅していた私である。

高校野球では 母校の慶応高校が 46年ぶりに
出場とか。そういえば、私が在籍中に 甲子園
出場があったのだ。あの時は 燃えた。今回の
結果は? 知らない。妹は応援に行くと云って
いたっけ。私には慶応も遠い存在となった。

駅の電光掲示板で、野口の棄権、谷の銅を知る。
以前なら「情けない、悔しくないのか!」と、
怒鳴っていただろうが、トボトボ、ヨロヨロ
歩きの自分を省みれば、お二人にも同情できた。

そういえば、私は柔道部だった。おかげで、
以来 50年。健康で体力もまだまだ十分。柔道部
OB会の案内が来ていたっけ。お金と時間が
無いから 行かれない。ザンネン。

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(36) 番外編 勝ち負け 2

2008-08-23 07:07:51 | H20./8月 四国の旅
桜さん 「月岡祐紀子さんは、ほんとに明るい方で
     話が面白く、運転していて、おかしくて
     ハンドル握れず、路肩に止めて笑いこける
     くらい」

一路  「ウーム、負けた。虚無僧は 暗いから いかん。 
     ボクも 笑える虚無僧になりたい」

鈴花  「あなたは、あなた」

私を見て、にこにこ笑顔に。子供も「あれ なぁに」と
アンパンマンのぬいぐるみを見ているように、目を輝かす。
そんな表情を見ると うれしい。

そういえば、四国では、いたるところにアンパンマンの
ポスターがあった。徳島で会った山川さんも、アンパンマンの
ぬいぐるみをかぶって、幼稚園で まず子供たちを喜ばせ、
それから 笛や尺八を聞かせるのだとか。負けた。

鈴花 「どこまでも勝ち負けに こだわるアナタ。
その性格が とれると いいのにね」

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(35) 番外編 勝ち負け 1

2008-08-23 06:44:43 | H20./8月 四国の旅
一路 「初めはスタスタ、2日目はトボトボ、
    3日目には もうヨロヨロで、杖を突いて
    病院から出てきたお婆さんに追い抜かれた。
    情けない」

鈴花 「まだ悟りきってないねぇ」

ほんとだ。「人と比較するのをやめよ」と、
ふだん 人に説いている私である。

足は速いのが自慢だったが、若者がどんどん
追い越していく。お婆さんにまで追い抜かれた
のはショックだったが、自分を知るということだ。

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(34) 番外編 笑顔が一番

2008-08-23 00:20:04 | H20./8月 四国の旅
上地のブログは、一日1万件以上のアクセスが
あるとか。この超人気の秘密は、徹底した“笑顔”
サービスだ。上地を見ていると、こちらも笑顔に
なる。

ところで、名古屋人は みな にこにこしている。
独りで歩いていても、うれしそうに 目元が笑って
いる。虚無僧を見ては、にこにこ きゃーきゃー笑う。

四国では、フンと知らん顔。こちらが「おはよう
ございます」と声をかけても、返事が返ってこない。
遍路が多いから、いちいち 他所者に かまって
いられないのか とも思った。

宇和島城で、私に話しかけてきた人は、なんと
名古屋の人だった。

桜さんの話では、「内心 関心があるのだけれど、
あえて知らんふりするんですよ」と。私のブログに
投稿してきた桜さんは、四国では異端児だ。
(こういう人も“いたんだぁ”)。

最初は、無視されることに戸惑ったが、結果的には 
2,30人の方から 尊い篤志をいただいて、無事帰って
これたのですから、感謝です。
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(33) 番外編 情けは人の為ならず

2008-08-22 23:53:17 | H20./8月 四国の旅
鈴花はミーハーだ。出立の朝、6時起きして
娘の奈々と 名古屋駅まで見送りにきてくれた。
女性2人に 見送られての出立に ルンルン。

後で聞いたところ、実は 名古屋駅まで来た
目的は 別にあったのだ。

この日、『羞恥心』の上地が、大阪から名古屋に
来ることになっていた。500名限定の握手会が
あるとのこと。予約整理券は、ネットオークション
で 13万円 もの高値がついていた。それを手に
入れるのは無理。しからば 名古屋駅に着くはず、
と推理した。そのルートの下調べ だったのだ。

そして この日、上地が到着する時間を見計らって
娘の奈々と2人で 新幹線グリーン車の8番出口で
待つこと1時間。降りてきた上地に、1m の至近
距離で 会えたのだった。

それだけではない。今度は 「東京に帰るのに
また新幹線に乗るはず」と、三たび名古屋駅まで、
娘と自転車を走らせた。
そして、新幹線ホームのはずれの 専用エレベー
ター前で待つこと30分。ドアが開いて出てきた
上地と顔を鉢合わせ。奈々も興奮、大はしゃぎ。

「ほらみなさい、虚無僧にいいことすると、こうして
いいことがあるんだから。“情けは人の為ならず”、
人が喜ぶことをしてあげれば、自分にうれしいことが
返ってくるのよ」との 教訓を 娘に教えたそうな。
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(32) 番外編 出立の日 

2008-08-22 23:14:28 | H20./8月 四国の旅
虚無僧の私は、自由気ままな生活のように
思われているが、実は超多忙だ。8/10から
17まで 8日間も スケジュールを開けられ
たのは 初めて。しかし、8日開けるために
は、その前日まで、原稿書きやら、9月以降
の仕事の準備で、寝る間もなかった。

「暇など無い」と言っていては、なかなか
虚無僧の旅には 出られない。時間と金を
握られている “まあねぇ(マネージャー)”こと
鈴花に、尻を叩かれての出立となった。
“〇〇の陰に女 有り”だ。

「18日には仕事が入っているので 17日まで
には帰ってくること。余計なお金は渡しません。
昨日入った2万円で 青春18切符を買って、
残り8,500円。これで行って帰ってくるように」
と きつい命令。無事帰れるか 不安の旅立ち
となった。

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(31) 内子

2008-08-22 22:50:47 | H20./8月 四国の旅
城下町が多い中で 内子は 明治 大正期に
ロウソクや和紙の産業で栄えた町だ。
町並み保存地域として 往時の建物のままに
各家々が 維持保存されている。

メインの観光名所は 内子座だ。大正時代に
裕福な商人たちによって、歌舞伎や文楽を
上演する娯楽の場として建てられた。それが
町の人たちによって、今日まで維持されている
のだ。

桜さんに案内していただいた。虚無僧が似合う
町だ。勝手に尺八を吹きながら歩いていると、
桜さんが「後ろで 呼んでますよ」と 教えてくれた。
振り返ると、一軒の旧家の戸口で、お歳を召した
方が佇んでいる。「はて?」と半信半疑で 近寄り
尺八を吹く。丁寧に紙に包んで 篤志を差し出された。

町並みだけでなく 心も 昔日のままに 伝え残されて
いる町だった。

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(30) 宇和島城、高知城

2008-08-22 17:32:24 | H20./8月 四国の旅
宇和島城も、町の中心に在る標高80mの平山城。
こちらは、思ったより簡単に登れた。
藤堂高虎の築城だが、その後 伊達秀宗が移り
住んだ。秀宗は 伊達正宗の長子だが、側室の
子であったため、仙台の伊達家とは 別家を立て
ることとなったのだ。

高知城には、山内一豊が静岡の掛川から転封して
きた。

今、藤堂高虎を“築城の名手”として 世に喧伝
しようという動きが出てきている。中日新聞の
夕刊にも連載されていて、興味深く読んでいる。

秀吉から家康への政権交代時、戦国武将の移封、
改易は実にめまぐるしい。伊達、山内、加藤、
藤堂とその家臣団は どんな気持で、上から命ぜ
られるままに転居していったのかと、思いを 
往時に馳せ 感慨にふける。
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(29) 松山城

2008-08-22 17:32:24 | H20./8月 四国の旅
現存する江戸時代以前の天守閣 12 の内、
松山、丸亀、宇和島、高知と、4つが
四国にある。

その一つ 松山城は、標高160m。町の中央に
どーんとそびえる山の上に在る。登るのに
ケーブルがあるほど、四国一の平山城だ。

松山駅から 市の中心部に行くのに、工事で
中を通り抜けできず、この城山をぐるっと
半周しなければならなかった。それだけで
疲れた。

この城は、賎が嶽七本槍の一人 加藤嘉明が建てた。
嘉明は完成を見ずに、会津に転封となった。そして
その子 明成の代で改易となる。その後、会津の
領主となったのが保科正之。将軍家光の弟である。
城明け渡しの際、見事な取り計らいを評されて、
そのまま会津藩家老に取り立てられたのが萱野家。
会津と松山とは、そんな縁がある。一度訪ねたい町
であった。

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(28) 篤志をいただいた方々 4

2008-08-22 11:26:36 | H20./8月 四国の旅
最近の商店は、ガラス戸などが閉まっていて、
客が来ると、チャイムが鳴って、奥から店主が
出てくるようになっている所が多い。

無人の店内に向かって、尺八を吹くのもせつない。
だが しばらく吹いていると、奥から出てきてくだ
さることがある。「あんまり上手なので、ラジオ
かと思った」と。家の中まで聞こえていたのだ。

曇りガラスなどで店内が見えない店。すし屋、そば
屋、飲み屋など 料理店。戸口でしばらく吹いていると
突然戸が開いて、小銭を握り締めて 店内の人が出て
来てくださる。

虚無僧が来たことなど見えないのにだ。尺八の音で、
「虚無僧が来た」と察知し、小銭を用意して 出て
きてくださるのだ。

不思議だ。虚無僧が 時折 来るなら わかるが、
「虚無僧なんて昔見ただけ」 とか「初めて」 と
いうのに、“尺八→虚無僧→即布施を”という心が
地方では まだ残っていることが うれしい。