ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介 「六の宮の姫君」 青空文庫

2023-10-20 16:00:52 | 芥川龍之介
 最近、風早真希さんという方が、私のブログにコメント下さることがあり、とても嬉しい。その真希さんのコメントの中に「六の宮の姫君」の事が書かれていて、私は思い出した。そうそう、私は「六の宮の姫君」をぜひとも読みたいと思っていたんだ!! 思い出したが吉日ということで、図書館で調べたら…なんと青空文庫に入っているんだ。ラッキー!

 六の宮の姫君は、昔気質の両親に大切に育てられていたが、その両親が相次いで亡くなり、頼る者は乳母以外いなくなってしまった。暮らし向きはどんどん悪くなり、乳母の勧めで、なにがしの殿をむかい入れる。殿は姫君を気に入り、夜毎通ってきて、金子や調度類を置いていき、屋敷を修理する。姫君はそれを嬉しいとも思わなかったが、安らかに感じていた。
 ところが安らかさは急に尽きる。殿の父親が陸奥守に任命され、殿も一緒に行くことになったのだ。姫君の事は隠してあったので一緒に行けない。5年の任期が終われば帰ってくるという話だったが、任地で新しい妻を迎えた殿は帰ってこない。屋敷は荒れ果て見る影もなくなり、使用人たちは乳母をのぞいて一人もいなくなってしまった。
 殿が帰京したのは9年目の秋。屋敷跡には何も残っておらず、殿は京の町を歩き回って姫を探す。やっと見つけた姫は、あさましい姿になりはて死にかけていた。
 最後まで付き添っていた乳母は、そばにいた乞食法師に臨終の姫のために経を読んでくれと頼む。法師は、往生は他の人がさせるのではなく自分で仏の御名を唱え、自分で往生すべきだと諭すが、姫はそうせず…

 後にその法師は「極楽も地獄も知らぬ不甲斐ない女の魂」と言うが、この言葉は少し酷なような気がするなぁ。
 だって六の宮の姫君は、そのように育てられたんだもの。「やんごとなき姫君は自分の意思を持たない」と、時勢に遅れサッパリ出世しない昔堅気の両親からね。だから彼女のせいではない。こんな悲惨な最期になってしまったのは、良い縁談が来るのを待っているだけで自分からは働きかけなかった両親のせい。有力な親族がいないなら、しっかりした姻戚を作るべきだよ。
 この両親に比べ、乳母の立派なこと!無給どころか持ち出しして、姫君を支えていたんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石井光太「近親殺人 そばにいたから」新潮社

2023-10-14 11:55:04 | その他
 どうして私は、こういった本を好んで読むのかな? 前回読んだのも、娘が母を殺した事件を取り扱った『母という呪縛 娘という牢獄』だった。興味があるというか、身につまされるというか…。反対に繁華街で見知らぬ人たちを襲う通り魔殺人は、私にはピンとこない。全く知らない人に、そこまで強い殺意を持てるだろうか。その心理が、私には理解できない。

 実は、今の日本の殺人事件の半数が、家族といった親族間で起きるらしい。やっぱり、家族だからこそ身内だからこそ、許せないこともあるんだろう。

 娘たちが介護を放棄して、結果的に母親を死なせた事件、生活苦から母親と心中しようとしたが息子は助かった件、姉が精神疾患から狂暴化し家族に危害を加えるので、妹が思い余って殺してしまった事件等々、陰惨な事件が色々あるが、引きこもりの子どもを親が殺した事件って多いんだ。

 「はじめに」に取り上げてある「元農水事務次官長男殺害事件」は本当に衝撃的だった。こんなに経済的にも人的コネにも恵まれた元エリート官僚が、息子を殺さなきゃならないほど追い詰められていたなんて…。ただ、社会的な地位があるから逃げられず犯行に至った面もあると思う。
 これが失うものは何もない親だったら、どこかに逃げて行きそれっきりにすればいい。殺すことになるんだったら、捨てたほうがよほど良い。ただ、まともな親は子を捨てきれないんだよね。
 家族への暴力がひどくなると、アパートに移って別に生活する事もあるが、暴力をふるう子どもは何もできないので、お金を渡し、散らかった家を片づけるため時々戻る。その時にまた激しい暴力が。

 いつも思うけど、親って(特に母親)殴られていい存在なの?母親が激しい暴力を受けているのを知っている夫や行政の支援員は、なぜ警察に通報しないの?死んでから通報するの?たしかに心を病んでいる引きこもりの子どもが、一番辛いのかもしれないが、だからといって好きなだけ母親を殴っていい事にならないよ。病院も、本人が嫌がるからという理由で、家庭に戻すなよ!また、凄まじい暴力が始まるだろうよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

齊藤彩「母という呪縛 娘という牢獄」講談社

2023-10-02 16:10:25 | その他
 この事件は印象に残っていた。2018年滋賀県の河原で、女性の遺体が発見された。犯人は31歳の娘だった。ここまではさほど珍しくない。しかし、その娘は看護師として働きだしたばかりだったが、その前は医学部合格を目指して、9年間も浪人生活を送っていたのだ。9年間浪人?! いくら医学部でも3浪ぐらいで諦めると思うが…。狂気を感じるな。母親は娘を監視し、脅し、懇願し、コントロールして受験させている。

 こういった教育虐待は、今の自分に不満を持つ高学歴な母親が、我が子の尻を叩きまくって自分のできなかったポジションにつかせようと、勉強を強要することで知られる。身に覚えのある母親も多いだろう。私も含めて。(殺された母親は高卒だが、子どもを国公立の医学部に入れようという明確な意思があった)でも、ほとんどは小学校高学年から中学にかけて、子どもに拒絶されて諦めることになる。

 しかし、この母娘は違った。小さな衝突はあるものの、娘は母親の期待に応えようと必死で頑張るのだ。中高一貫の進学校に入学し、地元の国公立大の医学部に進学しようとするが、ハードルは高い。娘の成績は悪くないが、かといって医学部に入学できるほど良くもない。
 それがどうしても母親には分からない。娘は友人も少なく、反抗する術を知らないように思える。一方、母親は、娘が小さいころにパートを辞めて以来、家にいて娘の勉強を監視している。まさに、囚人と看守のような関係。でも母親には旅行や食事に行く友人はいて、娘より社交的なような気がする。

 父親はいるが、20年以上別居している。このお父さんがもう少ししっかりしていたら…いや、娘をかばおうと口を挟んだら1000倍くらいのお返しが跳ね返ってくるだろう。このお母さんの攻撃は本当に凄まじい。
 娘と母親のラインのやり取りがたくさん本書に載っているが、読んだら再起不能になりそうなほどの罵倒の連続。こんなのを読んだり聞いたりしていたら、とにかく「相手の要求をきいて大人しくさせよう」と思うよね。
 娘もその連続で、なんとかその場をやり過ごそうと「申し訳ないです」「反省してしっかり勉強します」「今度こそ合格します」なんて言っちゃうんだろうね。
 母親の方は、それを約束したと思い込み「なぜ勉強しない!なぜ合格しない!この嘘つきめ!!」とますます怒り狂うけど、最初から約束なんて成立してない。

 身体的な暴力もひどい。模試の結果が悪かったと鉄パイプで殴り、熱湯をかける。本当にモンスターだ。
 娘の陳述書に「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと、現在でも確信している」とある。悲しいことだが、本当にその通りだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市川沙央 「ハンチバック」 文藝春秋

2023-09-26 15:36:30 | その他
 性的な描写が多く、ドギマギしてしまった。でも、それも障害のある女性は清らかに生きているはず、という私のゆがんだ思い込みのせいかもしれない。

 釈華の背骨は右肺を押しつぶすかたちで極度に曲がっていて、ヘルパーさんがいなければ日常生活が送れないが、頭脳は明晰。インターネットでエロ記事を書いて収入の全額を寄付している。(たいした金額ではないが)
 釈華は経済的には恵まれていて、働く必要はないのだ。亡くなった両親は資産家で、彼女の終の棲家としてグループホームの敷地と建物を遺した。その十畳ほどの部屋で、彼女は生活し、有名私大の通信課程で学び、小説を18禁TLサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。

 この「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」という願望は、昔から多くの女の心を捉えている。ヨーロッパでは、高級娼婦が上流階級の貴婦人とはりあい、ファッションや美容の分野で大きな影響を与えたし、日本でも、吉原の高級遊女たちが浮世絵の題材となり、化粧法や衣装で一般女性のあこがれだった。
 一昔前でも、売れっ子芸者の写真が、現代の芸能人のブロマイドみたいに人気だったようだ。
 だから「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」という願いは、かなりの割合の女の普遍的な願望なんだ。ただ、障害のある女性がそれを口にすると、すごく違和感がある。ごめんね。一種の差別だよね。それって。

 小説の最後の方に、若くて健康で、そこそこ容姿も頭もいい女の子が出てくる。しかし彼女は身内が不祥事を起こし、極貧生活に転落、風俗で働いている。障碍者のグループホームで働いていた兄が、お金を奪おうと入所者を殺したのだ。そういったワケありの女の子と、釈華のどちらが幸せかといえば…ほんとうに難しい。
 裕福で優れた頭脳を持つ釈華は、恵まれた存在だと思うよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子 「つまらない住宅地のすべての家」 双葉社

2023-09-11 08:56:32 | 津村記久子
 とにかく登場人物が多いので、最初のうちは大変。だから、推理小説みたいに、住宅地地図や登場人物紹介が初めのページに載っている。

 お店といえば、コンビニが1軒とスーパーが1軒あるくらいで、あとはずらりと住宅が並んでいる区域。住民の高齢化が進み、勤め人は会社近くで用事をすませ家には寝に帰るだけ、年寄りは近くのスーパーで用がすむので遠出しない、眠っているような住宅地。
 住宅地は眠っているようでも、個々の住宅で暮らす人々はいろんな事情を抱えている。会社をクビになり実家へ帰ってきた人。息子が引きこもり気味なので自宅の倉庫を改造して引きこもり部屋を作ろうとしている親。各々が大学の先生をしている夫婦別姓高学歴夫婦。大きな家に住みながら、夜にはカーテンやシャッターを閉め切り門灯すらつけないで真っ暗な家で暮らすお金持ち家族etc。ああ、いろんな人がいるなあ。

 その眠ったような住宅地に、一つ小石が投げ込まれる。二つ隣の県の刑務所から逃げ出した女の脱獄囚がこちらに近づいているようだ。彼女はどうも、この近所の出身らしい。
 そこで丸川家の父親が、夜、見張りをしようと周囲に声をかけているのだ。この丸川さんには中3の息子が一人いて、その亮太君の視点で書かれている部分が多い。彼が主人公とまではいかない。いろんな人の視点でこの小説は構成されている。そして丸川さんちのお母さんは家を出て別居している。ここも事情を抱えている。

 私としては丸川さんちの亮太君も気に入っているが、一番印象に残っているのは、大柳家の望くんだ。古い木造住宅は親から相続したものだろう。一人暮らし。望くんは子どものころから、自分は世の中に虐げられていると思い込んでいる。彼はこうつぶやく。「同学年の活発な男たちがずっと苦手だった。動物の示威行為のようだと思う。自分たちの大声や不機嫌さで空間を支配することに味をしめた男たちは、一生それをやって生きていく」なるほどねぇ。
 この望くんが、近所の小さな女の子を誘拐して監禁しようと計画を練っている。ところが、脱獄囚の見張りをやろうという活動に巻き込まれ、近所の人と交流しているうちに、彼の被害者意識が薄れていくのだ。こういうことってあるよね。

 京アニ事件の青葉被告を思い出す。彼の成育歴はあまりに過酷なので、簡単には言えないが…でも、事件を起こす前の青葉に「へぇ、2次元アイドルが好きでライトノベル書いてるの?よかったら一度読ませてよ」と話しかける人がいたら…あんな結果にはならなかったかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群ようこ 「たりる生活」 朝日新聞出版

2023-08-20 15:15:35 | 群ようこ
 次回は純文学を読むぞ!!と意気込んでいたが、エッセイを買ってしまった。仕方ない。群ようこさんを私の人生のロールモデルにしようと思っているので、彼女のエッセイを書架で見つけると、ついつい買ってしまう。特に最近のエッセイは、終活を意識しているのでタメ

 特にこのエッセイ集は、長年一緒に暮らした愛猫しいちゃんを見送り、27年間住んだ一人暮らしには大きすぎる部屋から引っ越すことになる顛末を書いてある。
 そうそう群さん、ちょっと前のエッセイには、友人たち3人と共同生活しようかという話があちらこちらに書かれてあったが、最近は書いてないから、止めたんだね。その方がいいと思う。友人といっても、2泊3日の旅行なら問題ないが、ずーーっとルームシェアするとトラブルになると思うよ。かえって友達失くしちゃうよ。

 家賃もスペースも2/3ぐらいの物件に引っ越すことになった群さん。なんとか今の荷物を減らさなければならない。彼女の場合は、問題は「本と着物」だと思う。特に本はすごい。若いころは3000冊の本と引っ越したと豪語していたが、それは若いからできたことで、今は絶対無理。それに、そんなに本を持っていても読めるんだろうか? 1日は24時間で自分は1人。眠る時間もお風呂の時間もご飯食べる時間も、もちろん仕事の時間も必要なのに、そんなに読める?年を取るに従い、目も疲れやすくなってくるしね。
 それに、着物。群さんは和服が好きでよく着るけど、それでも着物用段ボールに20箱、帯と小物で5箱って、多すぎない? でも和服って高価なものだから、なかなか処分できないのよね。(しかし足袋が80足あったという話には驚いた)

 必要なものだけをダンボールに詰めて新居に送ろうと思っていても、だんだん面倒になって「まあいいや、送った先で分別するから、みんな送ってしまおう」となると、さあ大変。新居がモノで溢れかえり、自分のいる場所がなくなる。最初から分別して、不必要なものは処分しないと。

 群さんの引っ越しにダメ出しばかりしているが、私も自分で引っ越さなければならなくなったら、すっきり処分はできないだろうな。ただ、自分の人生の後始末をまじめに考えている群さんに好感が持てる。座布団10枚!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳美里 「JR上野駅公園口」 河出文庫

2023-08-08 16:08:26 | 柳美里
 「あっ、これ、少し前にアメリカで賞を獲ったやつだ。ニュースでやってた!」と題名に聞き覚えがあったので買ってみた。たいして期待してなかったが、一気に読んでしまった。自分の両親の事を思い出したからだろう。

 主人公の男は、1933年福島県の貧しい村で生まれる。(平成天皇と同じ年に生まれた事がこの小説の大きな柱だが、それについては私はノーコメント)貧しい家庭なのに、男の下に弟や妹が次々と生まれ、男は長男として懸命に働くも暮らしは楽にならず、東京に出稼ぎに行くことを決意する。
 妻や子供、自分の両親や幼い弟妹を家に残し、単身、東京の土建屋で土方として働いて、せっせと仕送りする。おりしも、東京オリンピックが開催されるというので、東京の街は沸き立って、いくらでも仕事はあった。
 この人、本当にちゃんとしている人なんだ。東京に出稼ぎに行って、そのまま蒸発、行方知れず、なんて事がちょくちょくあったのに、この男はギャンブルも酒もやらず(下戸なんだ)キャバレーのホステスさんと仲良くなっても一線は越えず、60歳の定年になるまでしっかり働いた。
 息子の突然死とか不幸はあったけど、娘は仙台に嫁ぎ、孫も生まれ、良いこともいっぱいあった。さあ、年金もあるし、これからは自分の人生を楽しもうという所で、奥さんが亡くなる。男は、なぜ体調が悪いのを気付いてやれなかったんだと自分を責め、「おじいちゃんを探さないでください」という書置きを残し、死に場所を求め再び上京。死ぬことができず、ホームレスになる。

 私の親たちは、この主人公の男より少し年上。福島ではなく、長野県の寒村に生まれ所帯を持った。貧しいのに家族は多く、懸命に働くも貧しいままなのは、この男と同じ。困窮のさなか、仕事を世話してくれる人がいたので、地方都市に移り住んだ。ただ違うのは、この主人公の男は一人で出稼ぎに行ったが、私の両親は、幼い男の子(私の兄)を連れて移住。そこに根付いた。時代は日本の高度成長期。ろくな学歴や技術がなくても、会社という組織に属していれば、所得は上がり貯蓄も少しはできた時代だった。

 多くの日本人が、ひと昔前は本当に貧しかったんだ。その事をしみじみ思い出させる一冊。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樋口恵子 「老いの福袋」 中央公論新社

2023-07-23 16:01:29 | その他
 最近、こういった老いをテーマにしたエッセイを読む機会が多い。自分のこれからの指針を探しているんだろうね。
 ただ、読んだからといって特別に役に立つ事が書いてある訳じゃないし、目からウロコが落ちる訳でもない。それでも、こんな立派な経歴を持った人でも、そうなんだ。(樋口先生は1932年東京生まれ。時事通信社、学習研究社、キャノンを経て評論活動に入る。介護保険の実現に尽力する)自分なら仕方ないね。なんてホッとする所も多いのだ。

 一番、笑って自分も気をつけなくちゃ!と思ったのが、和式トイレの話。樋口先生、お悔やみごとがあり、地方に出かけ帰りにトイレを拝借。しかし和式トイレだったので用を足した後、立ち上がれない!!!大ピンチ!壁に掴む場所はどこにもなくツルツル。真っ青になりましたが、幸いその時は娘さんと出掛けていたため、いつまでたっても戻ってこない母親を心配して、トイレをのぞきに来た娘さんに助けてもらって無事帰還できたそうです。
 笑い転げている、そこのアナタ。本当に笑い事じゃありません。私も、和式トイレには絶対入らないと固く心に誓いました。しかし、昔の日本人はどうしていたんでしょうね。

 それから、第2章のなかに書かれてある「体が老いると家も老いる」については実感している。なんとか持ち家を手に入れ、さあこれで老後は何とかなる、と思うのは大間違い。新築でも30年ぐらいで大規模リフォームが必要なんだ。特に水まわりは絶対!! 
 親戚宅では、給湯設備が老朽化でダメになり、お風呂に入れなくなったので、週2回スーパー銭湯に行っていた。(今は高齢者施設に入所)給湯設備やお風呂をリフォームすればいいじゃん、と思うかもしれないが、これがまた大変。お金もかかるし時間もかかる。 床や壁を剥がして配管しなおすわけだから、何週間か何か月、引っ越さなくてはならなくなる。
 我が家では、なんとかダンナがホームセンターで部材を買って自分で配管しなおしたから出費を抑えられたけど、業者さんに頼むと大変な額になる。
 マンションのように、修繕費を積み立てておくべき。

 「金持ち」より「人持ち」でハッピーに!という考えは正しいが、ある程度お金がないと、友人との付き合いにも支障をきたすからね。お金は本当に大事です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角田光代 「坂の途中の家」 朝日文庫

2023-07-10 17:15:39 | 角田光代
 母親が8か月の乳児を風呂場で溺死させた事件の、補充裁判員となった主人公・里沙子は、容疑者の証言・容疑者の周囲の人たちの証言を聞くうちに、彼女の境遇に自分を重ねていくようになる。

 里沙子と被告人・水穂の境遇というのは、確かによく似ている。二人とも小さな女の子がいて、出産前は働いていたが今は専業主婦。二人とも、子どものころから成績が良く、高校卒業後、上京して大学入学。ただ、二人とも育った家庭は、地方ではありがちな保守的な家庭で、東京の大学に進むことについては親は良い顔をしなかった。しかしちゃんと仕送りはしてくれた。
 大学では友人もでき、学生生活を謳歌。卒業後は、うるさい地元には戻らず東京で就職。つきあっている男性と結婚し、子どもにも恵まれる。
 本当にどこにでもいる人なんだ。

 ただ少し一般的でないと感じるのは、二人とも子育てに全く実家の母親の手を借りなかったこと。赤ちゃんを産んだことのない人には分からないかもしれないが、これって本当に大変なことなんだ。
 実家の母親と折り合いが悪い人は大勢いるが、出産なんて言う緊急事態には、親を頼る人がほとんどじゃないかな?出産時にも顔を会わせたくないほど母親が嫌いって、どういうケース?
 母親がアルコール依存症でいない方がまし、別の男性と再婚していてもう実家とは呼べない、新興宗教に凝り固まっていて自分も入信させられる…とか思い浮かばない。

 この里沙子のお母さんや水穂のお母さんは、ただ娘と価値観が合わないだけで、ここまで娘たちに嫌われるのは気の毒な気がする。特別に片寄った考え方をしている訳ではない。地方で生まれ育ったこの年代の女性たちとしては当たり前の事だろう。

 それにしても、この水穂という人は、同情すべき余地はあるがアンバランスな気がする。経済的な理由で挙式しなかったのに、世田谷に一戸建てを購入って不思議。そんなに簡単に買えるものなの? 育児ノイローゼというより、将来的な経済的不安も大きな理由のような気がするなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子「ミュージック・ブレス・ユー」角川文庫

2023-06-23 10:49:51 | 津村記久子
 津村記久子の小説は大体読んでいるが、第30回野間文芸新人賞を受賞した、この「ミュージック・ブレス・ユー」だけは読んでおらず、気になっていた。それが、先日ブックオフで見かけ、さっそく手に取ってみる。(ごめんね、本屋じゃなくて)

 津村さんって本当にイケてない中高生を書くのが上手いのよ。この小説の主人公アザミもそう。彼女は髪を赤く染め、眼鏡をかけ、歯にはカラフルな矯正器をつけている。高校3年生で受験を考えなくてはならない時期なのに、成績はサッパリ振るわず、数学が大の苦手で、追試や補講の連続。
 パンクロックが大好きで、ヘッドフォンをかけずーーーっと音楽を流し込む。大好きというより一種の中毒、ミュージック依存症。
 軽音楽部でバンドを組んでいてベースを担当。でも内輪もめで解散になる。女の子だけのバンドで、たいした活動もしてなかったようだが、アザミはまあまあ上手だったみたい。

 女子高生バンドのメンバーなんていうと、スクールカーストの上位ポジションにいる子というイメージがあるが、アザミは成績同様サッパリ。男女間の浮いた話も全くなし。でも音楽の趣味が合い、いつもつるんでいる友達はいて、それなりに楽しい高校生活をおくっている。

 でもね、この超低空飛行のアザミの高校生活は、私に色んなことを思い出させる。
「日本の女子高生であることを恥じる訳ではないけど、それを謳歌できる同世代の女の子たちを遠く感じるのは事実だった」
「アザミは、慣れない高校に入った緊張でひたすらしゃべりまくっていた。そうしないと泣いて学校から逃げ出してしまいそうだったから」
「誰かとどのぐらい仲が良いかについて、誇張せずに慎重にその距離を語ることは、とても大事なことである。自分の思う近さと、相手の認識する距離感がずれてしまっていたら、目も当てられないからだ。特に、自分の方が相手よりも相手と親しいなどと思い込んでいる場合は」  それぞれ本文から

 心当たりがありすぎて少々苦しいほど。でもアザミは音楽の趣味が合い、いつもつるんでいる友達がいるだけ、私より幸せな高校生活を送ったんだろう。うらやましいなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする