ケイの読書日記

個人が書く書評

垣谷美雨「うちの子が結婚しないので」新潮文庫

2022-04-21 15:09:18 | その他
 少し前に話題になった本。うちの子が結婚しないので困ってる親って、いっぱいいると思う。

 主人公の福田千賀子は50歳代後半で、同い年の夫と28歳の娘がいる。この人、この年齢の女性としては職業がすごいんだ。SEで派遣社員として、あちこちの企業に出向いている。派遣会社の正社員で、能力が高いので仕事が途切れず、なかなかのお給料をもらっている。
 公務員とか大企業勤務ならともかく、民間企業でこの年齢で正社員って、立派な事だと思うよ。
 夫は大学の同級生。2人とも地方出身者で、共働きで頑張って都内にマンションを購入。一人娘は中学から私学に入れた。夫婦仲もよく、娘は素直な子で、学力や容姿はパッとしないが、就職が難しいなかアパレル企業に勤めている。
 その娘がなかなか結婚しそうもないので、親の方が焦って親婚活を始めることになった。こういう場合、母親が先走って父親が引きずられて行くのが普通だろうが、福田夫妻は逆なのだ。夫の方がさっさと決めていく。
 で、娘は最初いやがっていたが、職場が婦人服の店舗で周りはみな女性、出会いが無いのは分かっているので、しぶしぶ承知。親婚活と同時に婚活パーティにも参加し始める。

 親婚活って、娘や息子は出てこないんだ。子どもの身上書を持って会場に行き、良さそうと思われる親御さんと身上書を交換。家に持ち帰って子どもに見せ、会ってみたいと言われたら連絡し、お見合いする日時・場所を決めるらしい。
 もちろん誰とも身上書を交換できないこともあるし、その逆に沢山の身上書を交換できることもある。当たり前か。

 どうかなぁ。普通の婚活パーティだと、既婚者なのに独身のフリをして会場に来る人もいるらしいが、親婚活だと、さすがにその可能性はないだろう。そういった意味では安全だけど、あまりに相手の親が前面に出てくると、家と家の結婚になってしまうような気がするな。ほとんどの女が「妻にはなれるが嫁にはなれない」のにね。

 千賀子の一人娘は、親の頑張りもあって結婚が決まった。「不幸な結婚をしないためにも、親の目は重要な役割を果たすはずだ」と千賀子は言う。でもね、躓いてみなければ、何に躓くか分からないものよ。
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太宰治「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」

2022-04-10 14:42:30 | 太宰治
 これら3編は太宰の最晩年の短編。3編とも、愛人のいる夫・その妻・彼らの子どもたちといった家庭を題材にしている。もちろん小説であって創作だが、太宰の私生活が色濃く反映されている…と思われる。

 この夫は出掛けたら何日も帰って来ず、金遣いが荒く、大酒のみだが、暴力はふるわない。妻も、お金は夫が遣ってしまうので貧乏に苦しんでいるが、ヒステリーを起こすわけでもなく淑やかな良妻賢母だ。子どもたちも両親に懐いている。お金は無いが絵に描いたような素敵な家庭だが、夫婦の間には、目に見えない神経戦が始まっている。それが彼らを疲弊させている。でも、ほとんどの夫婦はそうじゃない?
 「家庭の幸福は諸悪のもと」なんて書いてある。だったら結婚するなよ。自分の意志で結婚したんだろう。

 太宰の不幸は…女にモテすぎる事なのかなぁ。作中の人物にも「自殺の事ばかり考えている」「自殺したい」なんて言わせているが、そんなに死にたいなら、なぜ一人で死なない?女に引きずられなきゃ、死ぬことすらできなかったんだよね。
 自分一人で死ねないんだったら、やっぱり心の底では死にたくなかったんだよ。

 神奈川県座間市で、10人近くの死にたいと言ってる若い人を殺した男がいたけど、彼が言うには「本当に死にたい人は一人もいなかった」らしい。「死にたい」と外に向かって発言するという事は、誰かと繋がりたいという気持ちの表れ。結局「死にたいほど辛い」「死にたいほど苦しい」という事で、本当にこの世とバイバイしたい訳じゃないんだ。
 太宰も女性と情死する間際、くだらない事やってるなぁと後悔したんじゃないだろうか。太宰ファンには怒られるかもしれないが。
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太宰治 「ヴィヨンの妻」

2022-04-03 15:44:23 | 太宰治
 ヴィヨンって誰だろうと思ったが、どうも15世紀フランスの詩人フランシス・ヴィヨンという人のことらしい。この人は、フランス近代詩の祖といわれるほど高名な人らしいが、買春、詐欺、窃盗、強盗、殺人、なんでもござれの無頼の徒だったようだ。

 この「ヴィヨンの妻」の主人公・大谷も自称詩人で、さすがに殺人までは犯してないが正真正銘のろくでなし。あちこちの酒場に顔を出しては大酒を飲み代金を払わず、亭主の目をかすめては女将とねんごろになる。
 終戦後の昭和21年22年ごろの話で、食糧事情も悪く、酒類も出回っているはずないけど、質は悪くてもある所にはあって、大谷はそれを嗅ぎつけ浴びるほど飲むのだ。代金は情婦に払わせて。

 この自称詩人の大谷は、なんでも旧男爵家の次男坊で、学習院から一高帝大と進んだ秀才で、詩人としても有名。なので周りの女がみんなのぼせ上って貢ぐから、ますますロクデナシになっていく。そうだよねぇ、身を持ち崩した高貴な男って本当に魅力的。こういう男は遠くから眺めているに限る。近づいたら身の破滅。

 大谷の妻は、妻と言っても籍は入っておらず、3歳の坊やを抱え苦労している様子。彼女はもともと父親とおでん屋をやっていたので、接客業には向いていて、大谷が金を盗んだ店で働くことになった。そこに大谷が再び現れて、奥さんのツケでまたタダ酒を飲んで…。
 でもまあ、お互い、好きでやってるんだから、周囲がとやかくいう事じゃないか。

 太宰が疎開先の津軽から東京の家に帰ってきたのが昭和21年。彼が情死したのが昭和23年6月。その間にこの「ヴィヨンの妻」のような短編をどっさり書いて、その上代表作の長編「斜陽」「人間失格」を書いたんだから、凄いよね。神がかってる。小説家にはそういうときがあるんだね。
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太宰治 「母」 新潮文庫

2022-03-28 09:34:11 | 太宰治
 「母」という言葉から想起される情緒とは程遠い話。なぜ太宰がこの題名を付けたかわからないよ。
 
 太宰は戦中戦後の1年3カ月ほど、津軽の生家で疎開生活をしていた。太宰が来ていると知れ、近郷の文学青年たちが訪れてくることがあった。その中の1人小川君は、日本海に面したある港町の宿屋の息子で、かなりふざけた若者だった。太宰ですら殴ってやりたいと思うことがしばしば。 
 そんな小川君でも、赤紙一枚で軍隊に入ったんだ。当然、上官にはひどく殴られたようだが。

 ま、とにかく、その小川君の家がやっている宿屋に、太宰は遊びに行く。終戦直後くらいの話で、まだ物資は乏しいが、それでも宿屋だから美味しい地酒や魚があると思ったんだろう。
部屋付きの仲居さんは40前後のちょっと男心をそそる声をしている人で、お酌でもしてもらいたいなと太宰が心の中で願っていたが、料理や酒を置いてさっさと引き下がってしまう。
 がっかりしてがぶ飲みし「ああ、酔った。寝よう」と言ったので、この宿屋で一番広い20畳ほどの座敷に寝かされるが、夜中にふと目が覚めてしまう。
 布団の中でごろごろしていると「すこしでも眠らないと わるいわよ」まぎれもなくあの40前後の男心をそそる声の持ち主の声。しかし、それは太宰に向けて言ったのではなく隣室からの声なのだ。

 えええ、日本の旅館ってこんなに聞こえるの? そりゃ防音設備なんか無いだろうし、夜中に静まり返っているからだろうけど、それにしても丸聞こえ!! どうやら客の若い男と、あの仲居さんが隣室で寝てるんだ。若い男は話の具合から、戦争から帰って来てここで一泊し、明日の朝、自分の生家に歩いていく予定。父親は死んで母親だけが待っているようだ。仲居さんは「お母さんはいくつ?」と軽く尋ねると、若い男は「38です」と答えた。果たして仲居さんは黙ってしまった。-
  そうだろうなぁ。仲居さんは、お母さんより年上かもしれない。

 それにしても、宿屋でこんなに聞こえていいんだろうか? それに、どうして遊女屋でもないのに、お客さんと仲居さんが寝ていたんだろう。若い男が仲居さんの好みだったので忍んでいったのだろうか?
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太宰治 「父」 新潮文庫

2022-03-22 17:29:48 | 太宰治
 最初に旧約聖書のアブラハムとその子イサクの話が出てきて、ああ、これは格式高い話だろうと背筋を伸ばして読んでいたが…何の事はない、酒と女にだらしない太宰治の話だった。

 有名なアブラハムとイサクの話はこうだ。エホバは、アブラハムの信仰心を試そうと、彼の一人息子イサクを生贄にして捧げるように命じる。アブラハムは何の躊躇もせず、イサクを壇の薪の上にのせ殺そうとするが、その寸前、エホバは彼を止め彼の信仰心(神を畏れる心)は理解したと伝える。

 私、この話を聖書物語で読んだとき、どうしてアブラハムの信仰心を疑うんだろう、神様なのに分からないんだろうか?と思ったのと同時に、イサクは父に対してどう感じたんだろう、この父親とこの先うまくやっていけるんだろうか、心配だった。それとも生贄にされかけた事は名誉な事なんだろうか?

 で、太宰はこの話で、親子の情より自分にとっての大義の方が大事という父親の姿を読み取ったらしい。その、自分にとっての大義というのが「尊王攘夷」とか「革命」なんていう大それたものじゃなくて、近所のおでん屋で待っている、よく知らないオバハンとの逢瀬だったりするのだ。あーーー、やだやだ。

 彼の奥様が、風邪をひいてひどい咳をしている。米の配給があるから今日だけ家にいてくれと太宰に頼む。戦後まもなくの頃なので、お米は配給なのだ。米を運んでくれと言っている訳ではない。小さな子を連れて行くのは大変だから、今日は家にいて子どもたちを見ていてほしいと言っているのだ。
 OKの返事をして家にいる時に、おでん屋の女中が「お客さんが太宰先生にお目にかかりたいと言っている」と呼びに来る。太宰は出掛ける。そこら辺の有り金をかき集め、会いたくもない女に会うために。

 太宰の小説は好きで、若い頃よく読んだが…遠くにいる作家先生なら素敵だが、家人にこういう人がいると耐えられないね。
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太宰治 「親友交歓」 新潮文庫

2022-03-13 15:00:48 | 太宰治
 いやぁ、久しぶりに笑いました。太宰のような有名人になると、こういう事もあるだろうね。

 昭和21年9月の初め(つまり終戦後1年ちょっとたった頃)太宰は、青森・津軽の自分の生家に妻と子を連れて滞在していた。東京の自宅から焼け出されたのだ。そこに、太宰の小学校時代の親友と称する男がやって来る。
 顔にうっすら見覚えがあるから、クラスメートだったことに間違いはないだろうが、どういう相手だったか全く思い出せない。
 それでも、太宰は地元の人と揉めたくないと思い、精一杯、話を合わせ愛想よくふるまう。
 そのうち話は、「クラス会を開こう」となり「酒は無いのか」となった。どうも相手は酒好きで、酒が飲みたいが手に入らないので、太宰の所に行けば酒が飲めると踏んだのだ。この終戦後のモノ不足のなかでも、酒類はとりわけ手に入らず、酒好きオヤジがメチルアルコールを飲んで失明することがよくあった。実際、太宰は押し入れの中にウイスキーの角瓶を数本隠していた。
 よせばいいのに、外面が良いい太宰は、湯のみ茶碗にウイスキーをついで相手に渡す。相手は「かかはいないか。お酌をさせろよ」と要求する。どこまで増長するんだよ!こいつは!!
 で、太宰は、押し問答の末、女房を連れてきてお酌をさせるのだ。
 相手は、それから奥さんに自分の自慢話を喋りまくって一人で大いに盛り上がる。ここら辺のところ、よく分かるなぁ。私も酔っ払った父親の戯言には、ほとほとうんざりしたからなぁ。酔っ払いって、どうしてあんなに何度も同じ話を繰り返すんだろうね。

 そして最後、去り際に相手は太宰の耳元でこう囁いた。「威張るな!」

 いやぁ、本当にすごい人だね。でも、相手は酔いがさめるとキレイに自分の傍若無人ぶりを忘れてしまうか、都合のいい思い出にすり替えてしまうんだよね。
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コンスタンチィノープル陥落その後

2022-03-06 16:36:40 | その他
 マホメット2世はコンスタンチィノープルを陥落させた後も、領土の拡大を続ける。オスマントルコの要請に応じて、同じギリシャ正教なのにコンスタンチィノープルを攻撃するため派兵した周辺の小さな国々も、容赦なく征服。
 バルカン半島を手中に収め、黒海やエーゲ海の島々まで勢力を伸ばし、黒海やエーゲ海を「オスマントルコの内海」とする。(今、オスマントルコの領土拡大地図を見てるけど、キエフはトルコ領ではないが、もう少しで征服されそう…という位置)

 今、ウクライナ侵攻でたびたび取り上げられるクリミア半島も、20世紀初めまでオスマントルコの領土だったのだ。それをロシアが南下政策で、トルコと戦争しロシア領土となった。
 考えてみるに、戦争で他国の領土を分捕るのは20世紀半ばまで、当たり前の事だった。ただ、昔と違って兵器の能力が高くなり、被害があまりにも大きくなったので、なんとか外交で解決しようという事になっている。

 それを全く無視しているのはプーチン。なにが「以前のロシアの指導者が、領土について間違った判断をした。ウクライナはもともとロシアの領土なのだ。だからウクライナを取り戻す正当な権利がある」などメチャクチャな事を言っている。
 領土問題については、どの国も言いたいことがいっぱいあるけど、なんとか折り合いをつけようとしてるんだろ!

 ロシアって、ソ連時代から思ってたけど、あんなに国土が広大なのに、まだ領土が欲しいの? 大きすぎて管理するのが大変じゃない? それに自国を守るためそんなにたくさんの衛星国家が必要なの? 兄のロシアを守るため、弟である衛星国家が西側と戦えという事なの? 兄だったら、弟の前にでて闘えよ。
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塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」その⑤ 新潮文庫

2022-02-24 10:04:48 | 塩野七生
 度重なる攻撃にさらされ、城壁はついに破壊され、陸から海からオスマントルコ兵がどっと押し寄せる。スルタンは総攻撃の前に兵士たちに「3日間、略奪してもいい」というお触れを出したようで、兵たちは夢中になって金銀財宝を略奪し、抵抗するものは殺し、おとなしく投降するものは紐につなぎ奴隷にして売り飛ばそうとする。
 この人身売買は…どうも日本人には抵抗あるんじゃないだろうか? 『安寿と厨子王』の民話でもあるように、日本でも混乱期に人買いが人間を拉致し売り飛ばす話はあるけど、ここまで広範囲に大々的に人身売買するの?と引いてしまう。気持ち悪いよ。

 しかし、アラビアンナイトの物語にも、奴隷がいっぱい出てくるから、よくある事なんだろう。捕らえられた人たちも、自分が売り買いされるのを仕方ない事と納得しているような雰囲気。トルコではいつまで人身売買が行われていたんだろうね。
 
 東ローマ帝国の最期の皇帝は、捕らえられるより死を選ぶと、戦闘の中に切り込んでいったらしい。筆者は、それを勇敢な事と評価しているようだけど、どうだろう? 戦の前、オスマントルコとの交渉で、献上金をトルコに支払い皇帝がコンスタンティノープルを離れれば、住民の安全と財産は保証するという話だった。(本当にそれが守られるか疑問だが)皇帝が身を引けば住民が助かるなら、その方が良かったんじゃない?
 どこか安全な場所で亡命政権を作って再起をうかがう…とか。まあ、これ以降もオスマントルコの拡大は続くんだから、再起は出来なかったろうけど。

 私の中のトルコ観が、この本を読んで変わった。以前は、欧米にいじめられ気の毒な国と思っていたが、トルコも国力が盛んな時代は、悪い事をいっぱいしていたんだ。
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塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」その④ 新潮文庫

2022-02-12 10:52:33 | 塩野七生
 第7章「最後の努力」というところで気分が重くなって、読み進められないでいる。オスマントルコは馴染みが薄いので、私の気持ちは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル側。
 周囲を包囲され、未来のない籠城戦を戦っているコンスタンティノープルだが、それでも最初のうちは、海になれないオスマントルコを海上戦で破り、意気が上がった事もあった。
 しかし圧倒的な兵力と物量のオスマントルコに、どんどん追い詰められていく。

 それにしても1453年の戦いだけど、いろんな戦法があるんだね。一番驚いたのは、大型船を陸路で運ぶこと。ボスフォロス海峡から金角湾に入る所に封鎖用の鉄の鎖があるので、戦闘用の大型船は入って来れない。だから海沿いの陸路に木材で軌道を作り、車輪付きの荷台に船を載せ、牛や人に引かせて陸越えし、金角湾の内に入れたのだ。すごいねぇ。この時代にこんなことができるの?と感心していたら、その15年前に、北イタリアでヴェネツィア共和国が艦隊の陸上輸送をやっていたらしい。
 本当に戦争って、ものすごく科学技術を向上させるんだ。

 結局、当時はイスラム教圏の方がキリスト教圏よりも、思考が柔軟なんだ。新しい科学技術を受け入れる素地がある。鉄壁と思われたコンスタンティノープルの城壁を破壊した大砲も、作ったハンガリー人技術者は、最初コンスタンティノープルに行ったのに、相手にされず追い返された。その彼を雇って大砲を作らせたのは、オスマントルコのマホメット2世。
 東ローマ帝国は滅びるべきして滅んだんだ。
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塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」その③ 新潮文庫

2022-02-04 16:07:32 | 塩野七生
 
 1453年の春、トルコ軍は数十万の勢力でコンスタンティノープルの城壁を取り囲む。圧倒的に兵力で劣る東ローマ帝国側は、それに対して籠城で応戦。しかし、それ以外の方法はないとはいえ、どこからか援軍がくるなら、まだ耐えることはできるだろうが、援軍の可能性はない。
 とすれば、トルコ内の足並みの乱れを期待するしかないんじゃない? スルタンが戦で都を長期に留守にしていれば、謀反の噂も出てくるだろうし…。

 ただ、このマホメッド2世に関しては、その可能性は低い。なぜなら、この人は自分の父親が急死し、突然スルタンの皇位を継承した時、兄弟を皆殺しにしているから。(可哀そうな金正男さんを思い出す)
 それ以前も、自分のライバルになりそうな兄弟を殺すスルタンはいた。でも、このマホメット2世以降、それが当たり前になり法制化された。すごい法律だよね。長男が世襲するという儒教的な慣例が無いトルコでは、父王が亡くなると、早い者勝ちで周囲の兄弟を殺しまくって、自分が次期スルタンだと宣言した。恐ろしい。
 こういう場合、実母の出自って、あまり関係なかったみたい。西欧では母親の身分が低いと、下方婚と言って正式な結婚とは認められなかった。でもオスマントルコの場合、母親が元キリスト教徒の人質であっても女奴隷であっても、さほど問題にならなかった。父スルタンの血統であればOK。(そういう所は江戸幕府のやり方に似てる。「腹は借り物」といって、かえって身分が高い母親は敬遠された。将軍の母親の身分が高いと、その実家の権勢が大きくなるからだろう。平安時代みたいに)
 だから、トルコの後宮は宦官を重用して、他の血が入らないようにしたんだろう。

 宦官って、どうしてトルコや中国の後宮にたくさんいたのに、日本にいなかったんだろうか? トルコと中国、どちらが先に宦官を採用したんだろうか? 日本は中国からいろんな文化や技術を輸入したけど、どうして宦官を輸入しなかったんだろうか? 輸入したけど定着しなかったんだろうか?
 
 いろんなところで考えが道草くって、本書を読み進められない。
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