ケイの読書日記

個人が書く書評

林芙美子 「泣虫小僧」

2021-05-07 13:33:27 | 林芙美子
 この中編は、昭和9年(1934年)朝日新聞夕刊に連載された。芙美子にしては珍しく、主人公は小学生の男の子・啓吉(10歳くらい?)
 啓吉には、お母さんと小さな妹がいる。お父さんは数年前に亡くなった。最近、お母さんには親しい男の人ができたらしく、頻繁に男は家に来て、啓吉を「坊主、坊主」と呼ぶが、啓吉はその男が大嫌いで、早く帰らないかなと思っている。でも小さな妹は男に懐いて、可愛がってもらっている。

 母親は、再婚相手と考えている男に啓吉がちっとも懐かないので、妹夫婦に啓吉を預ける。啓吉にとっては、叔母さん夫婦。実は、啓吉の母親は4人姉妹の長女で妹が3人いて、みな生活は苦しい。すぐ下の妹とは折り合いが悪いが、よくそこに預ける。そこから次の妹へ、と啓吉は親戚をたらい回しされる。

 邪険にされても、啓吉はお母さんが大好き。家に戻るが、そこには、あの大嫌いな男がいる。そうしているうちに、お母さんは妹と再婚相手の男と九州に行くことになる。男の商売が失敗したらしい。啓吉は九州に連れて行ってもらえず、再び叔母さん夫婦に預けられる。そして…

 昭和9年の作品だが、現代の作品と言っても差し支えない。こういった何処にも居場所が無い子どもって、いつの時代にもたくさんいるのだ。この作品は映画化もされたらしく、その当時でも話題をよんだ。

 昭和ヒトケタといえば、不況で、その上女性の職業も少なかった時代なので、啓吉のお母さんのように、ダンナと死別すると困って、別の男を頼る女も多かったと思う。でも戦争未亡人となっても、子供の手を離さず、シャカリキに働いて立派に育て上げた人も多いから、やっぱり性格の問題だろうか?

 啓吉が預けられる先の叔母さん夫婦も、叔母さんは姉(啓吉の母)の事を、男にだらしない人と悪く言っているし、自分の夫は小説家志望の定職なしの男で、その上ちいさな子ども(啓吉のいとこ)もいる。生活するのに精一杯で、とてもじゃないが他所の子を預かれないのだ。そうだろうな。

 なんにせよ、彼のこの先の事を考えると、胸が潰れる思いだ。もうじき太平洋戦争が始まる。啓吉の少年時代・青年時代は、戦時色で塗りつぶされていくだろう。啓吉は年代的に、赤紙がくるんじゃないか?(大正15年生まれの私の父も召集されている)


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする