ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介 「南京の基督」 青空文庫

2024-03-12 10:12:36 | 芥川龍之介
 芥川の小説のレビューを書いていて、いつも思う事だが、彼のテーマみたいなものについて感想を書くという事はほとんどない。だって、あまりにも完璧だもの。この箇所はおかしいんじゃないか?とか、こうした方がもっと面白くなるんじゃないか?なんて事は与太話にしても書けない。だから短編の端っこの、ちょっと興味を持った部分を書く。

 この短編のおおまかな粗筋はこうだ。金花という貧しい私娼が客を取って糊口をしのぎ父親を養っていた。彼女は器量はさほどでもないが、気立てがよく、深くキリストを信仰していて、部屋には小さな十字架がかかっていた。
 客から「こんな稼業をしていたのでは天国に行かれないのではないか」と問われても、金花は「天国にいらっしゃるキリスト様は、きっと私の心持を汲み取ってくださると思います」と答えていた。
 そんな彼女は、客から梅毒をうつされ具合が悪くなってしまった。自分の病気を客にうつさないよう客を取らないでいたら、当たり前だがどんどん生活は逼迫していく。同輩の娼婦たちは、客に梅毒をうつせば自分は治るという俗説があるので、金花をさかんに唆す。でも金花は、それを拒んでいた。
 ある夜、泥酔した知らない客が来て、金花の部屋に居座る。その顔になんだか見覚えがある気がしていたが、どうも十字架に磔になっているキリスト様に似ているような…

 皆様、期待してもダメです。そんなファンタジックな終わり方はしません。現実は悲惨そのものです。結末を知りたい方は、本を読んでください。

 この短編は1920年(大正9年)に発表されたものだが、清朝が衰退し、外国人が押し寄せ中国の富をむしり取っている様子がよくわかる。中国人の金持ちはほんの一握りで、大部分の民衆は貧しさにあえぎ、貧しい若い女は体を売るしかない。私娼はこの時代どこにでもいたのだろうが、公娼に比べ性病のチェックがなされず、より悲惨だっただろう。
 それにしても客にうつせば自分は治る、なんて俗信があったんだね。第1期から2期のあいだに潜伏期があり、一時的に回復したように感じられたんだろう。
コメント
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