「猶太人」とかいて「ユダヤ人」と読むそうです。「さまよえるユダヤ人」の伝説みたいなものがある事は知っていたが、内容は知らなかった。こういう事らしい。
ゴルゴダへひかれていくキリストが、ある男の家の戸口に立ち止まって息を整えようとしたら、男は大声で「さっさと行け」と怒鳴りつけ殴った。キリストは彼に「行けというなら行かぬでもないが、その代わり、その方はわしの帰るまで待っておれよ」と告げた。男はその後、洗礼を受けてクリスチャンとなったが、一度負った呪いは解かれない。最後の審判の来る日まで、永久に放浪を続けているらしい。
キリスト教国には、どこにでもこの伝説が残っていて「さまよえるユダヤ人」が時々あらわれるようだ。
そこで芥川は、その「さまよえるユダヤ人」が日本にも来てるんじゃないかと考え、調べだしたのだ。偏執的。そもそも天主教はこの国でそんなに一般的だったんだろうか? この短編の中に「14世紀の後半において日本の西南部は大抵、天主教を奉じていた」とあるが、本当だろうか? だってキリスト教が伝来したのは、フランシスコ・ザビエルが来日した1549年だよね。だから16世紀だろう。それになんといっても、まだまだ仏教が主流だったんじゃないの?
でもキリシタン大名も沢山いたから、その領地民はキリスト教徒だっただろうね。
とにかく芥川は、長崎の島々で古文書を漁っていたところ、偶然手に入れた文禄年間の古文書の中にそれはあった。伝聞を口語で書き留めた簡単な覚書。
それによると「さまよえるユダヤ人」は、平戸から九州本土に渡る船の中で、フランシスコ・ザビエルと邂逅した。どうも普通の漂泊者とは違うのでフランシスコの方から声をかけ話し出したところ、インドや東南アジアの今昔にべらぼうに詳しい。「そなたは何処のものじゃ」と尋ねると「一所不住のゆだやびと」と答えたという。そしてキリストがゴルゴダで十字架を負った時の話になったという。
どんな時代にも、どんな地域にも、自分を「さまよえるユダヤ人」と思い込んでしまう人はいるんだね。この極東の島国まで出張してくるとは。
ゴルゴダへひかれていくキリストが、ある男の家の戸口に立ち止まって息を整えようとしたら、男は大声で「さっさと行け」と怒鳴りつけ殴った。キリストは彼に「行けというなら行かぬでもないが、その代わり、その方はわしの帰るまで待っておれよ」と告げた。男はその後、洗礼を受けてクリスチャンとなったが、一度負った呪いは解かれない。最後の審判の来る日まで、永久に放浪を続けているらしい。
キリスト教国には、どこにでもこの伝説が残っていて「さまよえるユダヤ人」が時々あらわれるようだ。
そこで芥川は、その「さまよえるユダヤ人」が日本にも来てるんじゃないかと考え、調べだしたのだ。偏執的。そもそも天主教はこの国でそんなに一般的だったんだろうか? この短編の中に「14世紀の後半において日本の西南部は大抵、天主教を奉じていた」とあるが、本当だろうか? だってキリスト教が伝来したのは、フランシスコ・ザビエルが来日した1549年だよね。だから16世紀だろう。それになんといっても、まだまだ仏教が主流だったんじゃないの?
でもキリシタン大名も沢山いたから、その領地民はキリスト教徒だっただろうね。
とにかく芥川は、長崎の島々で古文書を漁っていたところ、偶然手に入れた文禄年間の古文書の中にそれはあった。伝聞を口語で書き留めた簡単な覚書。
それによると「さまよえるユダヤ人」は、平戸から九州本土に渡る船の中で、フランシスコ・ザビエルと邂逅した。どうも普通の漂泊者とは違うのでフランシスコの方から声をかけ話し出したところ、インドや東南アジアの今昔にべらぼうに詳しい。「そなたは何処のものじゃ」と尋ねると「一所不住のゆだやびと」と答えたという。そしてキリストがゴルゴダで十字架を負った時の話になったという。
どんな時代にも、どんな地域にも、自分を「さまよえるユダヤ人」と思い込んでしまう人はいるんだね。この極東の島国まで出張してくるとは。