ケイの読書日記

個人が書く書評

内館牧子 「終わった人」 講談社

2019-04-15 13:19:50 | その他
 タイトルは「終わった人」だが、この小説の主人公・田代壮介は、全然終わった人じゃないんだ。いや、定年後すぐは「終わった人」だったが、途中から大活躍。この小説は新聞の連載小説だったから、読者の中高年男性を意識して? 定年後の男をもっと活躍させろって投書やメールがいっぱい来たとか。こんな上手く行くはずないって!と思いながらも読み進めていくと…。

 ベビーブーマーとして生まれ、競争に勝ち抜き東大法学部を卒業してメガバンクに就職した壮介は、順調に出世街道を驀進していたが、40代後半で役員コースから外れ、最終的にメガバンクの子会社の専務で定年を迎えた。
 なんでオレが役員になれず、同期のアイツが役員になるんだよ!!と内心忸怩たる思いだが、それでもこの毎日が日曜日状態に適応しようと、スポーツジムに通いだす。
 昼間のスポーツジムはジジババでいっぱいだが、その中に一人、ベンチャー企業の経営者・鈴木という青年がいた。その鈴木が、壮介を自分の会社の顧問として迎え入れる。週3日勤務で年収2000万円! いっくらなんでも、そんなウマイ話があるかよ!

 最初、この鈴木が小説に登場した時、私は詐欺師に違いないと思った。ほら、先日、キングという通称の男が、主に高齢者に投資話を持ち掛け、お金をだまし取ったという事件があったでしょ? コンサートを開きアーチストとしてステージで歌を歌って、自分は大金持ちだから投資に失敗しても自分の資産で補填するから、決して損はさせないと言って、お金を集めていた。被害総額は400億円以上という話。

 高齢者って若い人が大好きなんだ。そして華やかな舞台も大好き。あなたは大切で特別なお客様といってちやほやされると、どんどんお金を渡しちゃう。そのうち、ネズミ講みたいな話になって大騒ぎになるぞと思っていたら…。
 確かに破綻したが、それはまっとうなビジネスとして破綻しただけで、鈴木のベンチャー企業は、本当にちゃんとした会社だったね。

 壮介の立場は「終わった人」どころか、ジェットコースターに乗ってるように目まぐるしく上下する。

 壮介の奥さんが言う「年齢や能力の衰えを泰然と受け入れる事こそ、人間の品格」 私もこの言葉を噛み締めたいと思います。
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「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」 方丈社

2019-04-11 15:15:29 | その他
 昭和16年(1941年)12月8日、太平洋戦争勃発。あの日、日本人は戦争をどう感じ、何を考えたか? 当時の知識人・著名人の日記や回想録から、ピックアップしてある。

 予想していたことだけど、ほとんどの人が開戦を大喜びしている。
 例えば、童話作家の新見南吉は「いよいよ始まったかと思った。何故か體ががくがく慄へた。ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた」らしい。
 思想家の吉本隆明も「ものすごく開放感がありました。パーーーッと天地が開けたほどの解放感でした。」吉本隆明の場合、戦中は軍国少年だったと自覚している。
 日米開戦のニュースを聞いて憤ったのは、プロレタリア文学者の数名くらい。

 そうだろうよ。日清・日露戦争に勝利し、日中戦争も勝ち進んでいるという報道がされている。ゴチャゴチャいうアメリカなんか蹴散らしてしまえ!!鬼畜米英!神国日本!なんて、全く現実を知らない空想がまかり通っているんだもの。

 でも、外国の軍事力事情を知っている軍の上層部や政府高官は、事態をちゃんと把握していた。元首相の近衛文麿は、こう回顧している。「今朝はハワイを奇襲したはずだ。僕の在任中、山本五十六君を呼んで、日米戦についての意見を叩いたところ、彼は初めの一年はどうにか保ちこたえられるが、二年目からは全然勝算はない。故に軍人としては、廟議一決し宣戦の大命降りれば、ただ最善を尽くしてご奉公するのみで、湊川出陣と同じだ、といっておったが、山本君の気持ちとしては、緒戦に最大の勝利を挙げ、その後は政府の外交手腕発揮に待つというのが心底らしかった。それで山本君は、それとなくハワイ奇襲を仄めかしていたんですヨ」(内田信也『風雪五十年』実業之日本社)

 分かってたんだよ。最初から。国力が全く違ってお話にならないって。相手の準備が整わないうちに殴りつけ、有利な条件で手打ちにしようと都合のいい事考えていたんだ。バ・カ・ヤ・ロ・ウ!! 

 外国の事情をよく分かっていて、全く勝ち目がないという事を知っていた人たちの罪は、本当に重いと思う。 
 それにしても、インターネットも無くて、海外旅行や留学なんて夢のまた夢の時代に、日本国内で自国の勝利を祈って、願って、信じて、戦っていた人たちがいじらしいです。
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辻村深月 「噛みあわない会話と ある過去について」 講談社

2019-04-04 10:25:08 | 辻村深月
 オビに「怒りは消えない。それでいい。あのころ言葉にできなかった悔しさを辻村深月は知っている。共感度100%」と書かれている。100%どころか120%。あまりに深く共感しちゃうので胸が苦しい。息がしづらい。

 第2話「パッとしない子」では、今をときめくアイドルと、彼の小学校時代の図画工作の担任の、噛み合わない会話が書かれている。教師の方は、自分はいろいろ力になってあげたので感謝の言葉があると期待していたが、実は全く逆で…。
 でも、こういう事ってあるだろうね。別にこの教師が特別に悪い人だった訳じゃない。教師に懐く生徒と懐かない生徒がいるだけの話で、懐かない生徒の印象が薄くなるのは、人間として当たり前。残念な事態になってしまったが、仕方ないだろうな、とも思う。

 印象が強すぎて、胸がえぐられそうな話は第4話「早穂とゆかり」。
 アラフォーの早穂は、県内情報誌のライター。会社員の夫と仲良く暮らしていて子どもはいない。最近メディアでたびたび取り上げられるようになった日比野ゆかりは、中学生向けの個人塾の経営者だ。成功して堂々として美しく、カリスママダムのような雰囲気がある。夫と子どもがいる。
 そのゆかりを、早穂は取材することになった。実は、早穂とゆかりは小学校時代の同級生。その当時は仲がいいわけではなく、今は全く音信不通。まあ、小学校時代の同級生と大人になってからも仲良くしてる人は、そんなに多くないよね。
 ただ、早穂は小学校時代のゆかりが、地味でパッとしない子だったので、今、教育評論家みたいにTVでコメントするような有名人になっているゆかりに、内心驚いている。というか(小説の中にはこの表現を使ってないが)嫉妬している。
 小学校の時は、私がスクールカーストの頂点で、あなたは私たちの明るい女子グループに近づきたくて、周りをウロチョロしてたじゃないの! と表立っては言わないが、自分の夫や同僚たちにしゃべっている。
 その早穂が、ゆかりにインタビューを申し込み、会うことになった。そしてインタビュー当日…。

 こういった逆転は、よく起こると思う。それが人生の面白さ。60年生きてきて感じる。江戸時代のように、人が土地に縛り付けられていれば、小学校時代の人間関係が大人になっても続くだろうけど、今は人はどこにでも行ける。まだまだゲームセットじゃない。
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