
以前のブログで、
カウンセリングの場は、裁判の場ではありませんから、
私の考えとしては、
誰が正しく誰が間違っているのかを
判断するような判事の役割を担うことはありませんし、
誰かをクライアントと一緒になって攻撃することも、
クライアントをただ弁護するような役割も
担うことはないことを書かせて頂きました。
重要なことは、そのクライアントが、
それをどの様に捉えて、どのような気持ちを持ち、
どの様な感情を持っているのかです。
何故なら、客観的な真実がどうであれ、
何かの価値観や倫理観と照らし合わせてどうであれ、
そのクライアントが経験している世界が、
そのクライアントにとっての真実であり、
その真実が苦しみや悩みの原因であるなら、
後は、その状態から抜け出すためにどうであれば良いのかで、
誰が悪いとか正しいとかではありません。
クライアントが自分を責め続けているとしても、
カウンセラーが「あなたは悪くない。」
なんて錦の旗を安易に授与することはありませんし、
誰かを一緒になって攻撃することを求められたとしても、
「相手が悪いですね。」と錦の旗を授与することも
特例を除いてありません。
そのクライアントの苦しみや辛さや悲しみが落ち着くことに、
錦の旗を手にすることが大きく貢献するとしても、
それは誰かから授与されたり保証されるものではなく、
自らがその旗を立てることを求めます。
そして、もうひとつ、
先日、あるカウンセラーの方が「セラピーはクライアントとの真剣勝負です。」
と話しているのを聞いてちょっとした違和感を持ったのですが、
はたして、セラピーはクライアントとの真剣勝負なのか?です。
その方は、生きるか死ぬか、
それくらい強い気持ちで真剣に取り組まなければならないことを、
表現したかっただけなのかもしれません。
だから、そのカウンセラーの考えの是非ではなく、
その言葉を聞いたことで、
私はどんな心持で取り組んでいるのだろうかと、
確認する機会を得ることが出来たということです。
あえて勝負という観点から考えると、
クライアントの問題が解決したらカウンセラーの勝ち?
この場合、クライアントも勝利を手にしている訳ですから敗者は存在しません。
となると、引き分け?となるとカウンセラーの勝ちは成り立ちません。
充分な問題解決とまで至らなかったとしたらカウンセラーの負け?
でもこの場合、クライアントも負けではないのか?
となると勝負はおかしなことになります。
勝負として成り立つケースとして、
問題解決が上手く進まない時に、
駄目な奴と言う旗をカウンセラーとクライアントが押し付け合って
手にした方が負け、押し付けることが出来た方が勝ち。
カウンセラー側として、「やった今回も押しつけられずに済んだぞ。」で、
クライアント側として、「やった今回も押し付けてやったぞ。」
こんな状況くらいしか思い当たりません。
これでは勝負として成り立つのかもしれませんが、
もはや、セラピーではありません。
誰が言った名セリフか、
「愛するということは、お互いを見つけ合うことではなくて同じ方向を見ることだ。」
「恋愛は見つめあること、結婚は同じ方向を見つこと。」
と言うのがありましたが、
カウンセラーとクライアントが、
互いの間でバチバチと火花を散らしていたり、
相手を信頼できず、油断出来ない状態が続いているようなら、
それはセラピーの状態とは言えません。
互いが同じ方向を向いてこそセラピーが成り立つと思うのです。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計