「やられたらやり返す。倍返しだ!」
少し前に大いに話題になったTVドラマ【半沢直樹】で
印象に残るセリフがありましたが、
10倍返し?100倍返し?何倍だったかは置いておいて、
誰だって生きていれば一度や二度は
悔しい気持ちを持ったことがあるかと思います。
この悔しい気持ちは、
ドラマの中の半沢直樹のように
他人から何か理不尽な扱いを受けたり、
理不尽な出来事に見舞われた時等に感じることもあれば、
スポーツの試合で負けたり、試験の結果が悪かったり、
仕事で成果をあげられなかったりと、
自分が本気で取り組んでいたことで
思い通りの結果が得られなかった時に感じたことと思います。
先の場合は、自分以外のものに原因があることが多いですが、
後の場合は、自分の能力や技術がまだ未熟だったことに
その原因があることが多いかなと思います。
この悔しい気持ちは、不快な気持ちなので、
本来は、いつまでも長く持ち続けるようなものではないので、
どこかの段階で不快な気持ちを昇華したり、
別の気持ちに転嫁することが求められます。
先の場合に、
悔しい気持ちを昇華する唯一無二の手段は、
理不尽なことをされた相手に仕返しをすることだと
考える人の気持ちも一定の理解は出来ますが、
出来ることなら仕返しよりも見返すことに
エネルギーを費やした方が賢明かと思うのです。
また、親しい第三者に不満や愚痴や悪口を聞いてもらって
自分のストレスを和らげることを助けてもらうことも有ですが、
早い段階でストレスを自分で処理することが求められます。
いつまでも続けることは、
救済者である第三者を加害者の身代わりにしているようなもので、
味方であったはずの救済者が離れていくことも多々あります。
また、それ以上に注意をしなければならないのは八つ当たりです。
第三者は、加害者ではありません。
攻撃の手を向けやすい第三者に攻撃をすることは一種の甘えですが、
不満や愚痴、悪口を聞いてもらうよりも救済者の負担が重く、
それまで築いてきた関係が壊れてしまいかねません。
何らかの実害が出ているのであれば、
身の潔白を証明して汚名をそそいだり、
損害賠償によって現状を回復することは当然の行動であって、
仕返しの部類には入らないと思っています。
違法なことに対して違法なことでやり返したり、
倫理に反することに対して倫理に反することでやり返したりせずに、
遵奉精神にのっとり、倫理観を失わず処断することは
仕返しとは言わず対応措置かと思います。
また、事故や災害等の被害に見舞われて
あんなことが無ければ、あんなことをしなければと、
自分の一部を不幸な出来事が起きた場面に
留め置いたままでいる人もいます。
この状態は、悔しい気持ちに後悔の念が加わっている状態で、
過去の出来事そのものを変えようと念じているのと同じになります。
大切なのは過去の出来事を分析して未来へどう活かすのかで、
それでこそ過去の辛い出来事は報われることになります。
悔しい想いをチャンとすることは大切なことです。
子供が傷ついたら可哀そうということなのか、
お遊戯会で全員が白雪姫。徒競走では皆で手を繋いでゴール。
競い合い勝利して喜び、負けて悔しがることを悪かのような
子供の教育方針も有なのかも知れませんが、
悔しい気持ちは、その人が成長するための
起爆剤や推進力を生み出してくれるものとなるので
悔しい気持ちをしっかりと感じさせて、
負けた相手を攻撃するような間違った行動への点火剤とならぬよう
周りに人が方向づけてあげれば素晴らしい結果へと繋がるはずです。
今、将棋界をにぎわしている天才棋士・藤井聡太さんが
小さい頃に勝負に負けてビックリする位に
泣いていたり落ち込んでいる姿が映像に残されていましたが、
現在、一線で活躍をしている人の中には、
負けて大泣きをしたり落ち込んだりしていた人は少なくありません。
99回の失敗や敗北が、やがて訪れる1回の成功を
しっかりと支える土台となるのは世の常かと思いますし、
そして、数多くの失敗や敗北を経験している人は、
強くも優しくなれると思うのです。