1985年 死亡した83歳の母親の遺体と
一緒に2年間も生活していた58歳の独身の男性が
逮捕されたそうです。
男は母親の死を何としても拒否したかったのか
遺体には酸素マスクが着けられていたそうです。
遺体に酸素マスクを装着するって
ちょっと怪しい宗教儀式の臭いもするのですが
どうも宗教とは関係がないようです。
一時期、親が死亡したことを届け出ずに
親に支給されていた年金を不正受給していた息子が
逮捕される事件が複数報道されていました。
上の出来事の男性はどうなんでしょうか。
母親の死亡届けが提出されていないだろうから
それまで母親に年金が支給されていたとしたら
年金は、継続支給されていたとは思います。
ですが私には、この男性の行為は、
年金目的とは違うように私には思えるんですよね。
男性からは、ありのままの自分をまるっと愛してくれた
母親に対する深い愛情を感じるので
法律的には犯罪者扱いとなるのは仕方ないにしても
この男には人として悪い印象を持てないんですよね。
一時期よく耳にした年金の不正受給にしても
本人に十分な収入がありながら
不正受給していたのなら悪質判定となるかもしれませんが、
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」的に
雇用が保証された中で余計なことに神経を使うことなく、
仕事に打ち込んでいた年功序列・終身雇用の時代とは違って、
今はグローバル化がどうこうとかで
実力・能力・成果主義を唱える会社が増え始め、
さらには他国に打ち勝つための人件費軽減とかなんとかの名目で
経営者側に有利な雇用形態の広がりが許されるようになり、
ゆとりない収入を何とかやりくりしている人が
増えているように感じます。
どうであろうと親の死を隠し年金を受領し続けることは
法律的には犯罪だと十分に理解できるのですが、
今日を生きるために必死にやりくりしている状況の人が
年金の停止手続きをする強い意思が持てなくなるのも
理解は出来るので悪い奴だとは思えないんですよね。
話は変わりますが、
自分にとって大切な人やペット等を失うことで
喪失感の悲しみから心の病や身体的な病気を
患ってしまう人もいます。
心理療法や催眠療法には喪失感からの脱却をはかるための
いくつかの技法が考えられていますが、
その技法を用いて「ハイ!喪失感が無くなりました。」
とはなりませんし、それが可能だとしても
それが正解だとも思えないんですよね。
まず大切なことは現実と向かい合って
自分の心の自然な動きを邪魔せずに
その悲しみや辛さを自分の心に感じさせてあげることが大切です。
そうすることで悲しみや辛さのピーク状態から
自然と心は落ち着きの方へと進み始めます。
心の動きが落ち着く兆しが見え始めたら、
カウンセリングを利用する方法もありますが、
気の許せる友人等に話を聞いてもらうことでも
克服までの心の負担を軽くすることができます。
喪失感克服の何らかの技法を用いるのは
それからのことだと私は思っています。
喪失感の克服と言うのは、
愛情の対象との精神的な別れの受け入れをすることなので
自然な悲しみや辛さを感じることから逃避するため等に
技法を使用しても効果が十分に得られなかったり、
一時的に落ち着きを得られたとしても
自然な心の動きを邪魔されたことで心の中に炭火のように
延々と残存することになる可能性もあります。
対象への愛情が大きければ大きいほど、深ければ深いほど、
悲しみや辛さが大きくなり、その衝撃から自分の心を護るために
最初の段階では個人によって期間に違いはありますが、
現実を受け止めずに否認すると言われています。
母親の遺体に酸素マスクを装着していた男性は、
ゆっくりと心の自然な心の動きの経過途中だったと思われますが、
その悲しみや辛さや寂しさを話しできる友人がいれば
もう少し早く段階を経過して行けたかもしれません。