心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

喜びの行動、恐怖の行動

2021年06月06日 | 雑感・愚見

 

2003年 タイ政府は密輸したペット向けの

ゴキブリ1000匹を「伝染病を媒介する恐れがある。」

として押収しました。

 

その後、熱心な仏教国のタイ政府は、

ゴキブリの殺傷処分後、

ゴキブリの葬式をして手厚く葬りました。

 

 

仏教では原則として慈悲の精神から

鳥獣の狩猟や殺生を禁じられていることで

発展したのが精進料理ですね。

 

ただお釈迦様がどんな場合においても

殺生を禁じたのかどうかは分かりませんが、

植物は生き物ではないの?って思ってしまって

ちょっと都合良くないですかって思ったりします。

 

なので私は、お釈迦様の考えって

そんなに浅くあるはずがないので

むやみやたらに殺生をすることを禁じただけで

どんな場合でもではないと勝手に思っています。

 

 

 

古代ローマの詩人ウェルギリウスは、

蠅をペットにしていたようで、

その蠅が死ぬと自分の広大な豪邸の敷地内で

葬儀を行いオーケストラの生演奏付きで

特別な霊廟に埋葬しました。

 

 

こちらは慈悲の精神からと言うより

自分が愛したものを弔う気持ちからですよね。

 

つまり何かや誰かの教えに従ってではなく

自分の気持ちからの行動なんでしょうけど

本当に色々な人がいるものだなと教えられます。

 

仏教の考え方の殺生を禁じることも

ウエルギリウスの蠅を愛おしいと感じる気持ちも

素晴らしい考えや気持ちだと思いますが、

何事も行き過ぎると偏りとなって

愛が溢れるどころか

苦しみに塗れることになりかねません。

 

 

例えば、「人に迷惑をかけたり嫌われたりするような

人間になっていけません。」を信仰の如く守ろうとすると

その人は、自分を滅することが出来なければ

誰かの奴隷の如く生き苦しみに塗れるのは明らかですし、

自分を滅することが

必ずしも美しいことではないはずです。

 

「誰かの期待に応え続けなければいけない。」

「誰かが望む自分で在り続けなければばならない」等も

そのような考えや信念や誰かの言葉を

絶対神を信仰する如く偏ると

心が輝くどころか陰りを増すだけになりそうです。

 

それらに喜びややりがいを感じて

行動するのならまだしも

仏罰や神罰が下るかのような

恐怖で行動をしているのなら

それは極端に偏った信念に基づいた

行動であることは明らかです。

 

 

 

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