2004年 オーストラリアで自転車から落ちて
頭を打って死亡した64歳の男の自宅から
自転車435台が発見されました。
男は十数年に渡り自転車を専門に盗みを重ね
転落死も盗みの最中の事故だったとのことです。
前回に続いて
大阪で自転車のサドルを5800個盗んだ男と
オーストラリアでは自転車を435台盗んだ男の話。
どちらの犯人も盗品販売で
お金を得ようとしたのではないようで
大阪の男はフェチズムからの行為だとは思われますが、
オーストラリアの男の自転車まるごとは、
さすがにフェチズムと言うよりマニア的な行為なのかな。
いつか犯行が明るみになって
終焉を迎える覚悟しながらの行動だったのか、
永遠に続くと超楽観的な行動だったのか分かりませんが、
被害数が増え、犯行の痕跡も増えてくると
余程怠慢な警察署でなければ捜査チームが作られたりして
逮捕される確率は犯行の度に高まっていきます。
それを分からないはずがないと思うのですが
かっぱえびせんの如く止められない止まらないで
もう一回、もう一回と犯行を続けてしまうのが
人の常のようです。
現代社会では自転車を盗んでお金に換えると言うより、
フェチズム的行為、マニア的行為、
一時的な交通手段としてのちょいと拝借行為が
大半を占めていると思われますが、
第二次世界大戦後に作られ戦後の貧困にあえぐ
イタリア社会をリアルに映し出し
アカデミー賞の名誉賞を受賞した
イタリア映画【自転車泥棒】で描かれたのは、
仕事に必要な自転車を盗まれた男が、
息子と一緒にローマの街を探しまわる物語で
当時のイタリア社会を感じ取れて
色々なことを考えさせられます。
この映画は、派手さもなく、奇跡もなく、
ドンデン返しもなく
ドキュメンタリー的な内容となっているので
他人に「この映画面白かったよ。」と
お勧めすることには躊躇する映画ではあるのですが
私の記憶に残る映画の一つとなっています。
経済的困窮者が増えると犯罪が増えます。
精神的困窮者が増えても同じです。
一部の成功者に富が集中するだけの社会は乱れます。
利己主義が蔓延し殺伐とした社会は乱れます。
全ての富が平等に分配され格差のない社会をの
共産主義的な考えには賛同も出来ますが、
沢山の個性や価値観と共存する理念はなさそうなので
私としては良い方向とは思えません。
やっぱ、理想ではあるけれども
和を以って貴しとす。情けは人の為ならず。
このような精神性が利己主義を凌駕する社会であり続ければ
社会は自ずと発展し富が行き渡り、
精神も豊になると思うんですよね。