心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

滝行

2009年07月15日 | 雑感・愚見
私は、以前、師である仲山和輝氏に同行し高尾山での滝行の経験があります。
一時期は、毎年のように月に一回のペース10月から2月までの5回、
精神修行と銘打ち滝行を敢行していました。

白装束に身を包み、滝に打たれるのですが、
10月から寒さに身体を慣らしていき、本番は2月。
高尾山に降り積もった雪で辺りが白く染まる中の滝行は、
それはそれは体験した人しか分からない凄まじさです。
終えた時には、身体が熱く感じます。

帰ってから入ったお風呂で湯の温度が身体に伝わってきません。
何か一枚断熱材を着て入っているような感じ。
滝行を終えた時に身体が暖かく感じていたのは、
身体が冷え切っていることのサインです。

冬山で遭難した時に身体が極端に冷えてしまうと、
逆にとても暑く感じてしまい雪が吹雪くなかで、
最終的には熱い熱いと防寒服を脱いでしまう話を聞いたことがあるのですが、
すごく納得ができました。

滝場では、私達以外の人の姿も見かけます。
目的は、人其々なのでしょうが、私達の目的は精神修行でしたが、
残念ながら自分で分かるような変化は感じていないことから、
精神鍛錬としてはあまり効率が良くないような気がしています。

ただ、最中は頭の中が何も考えることが出来ない状態に近くなります。
何せ、寒いのと、不安定な足場の上に立っていますから、
落ちてくる水の圧力に飛ばされないように必死になっている状態です。
その経験を通して思うのですが、

禅とか、宗教で念仏を唱え続けている状態も一種の瞑想状態で、
心を無にする状態を求めているように思います。
写経等もその一つではないかと思いますし、
数ある難行苦行といわれる行為の目的も、邪念を消し、心が無になる
ある種の心の領域を目指したものではないかと思うのです。

こう考えると、私の催眠の領域に近くなってきます。
催眠も思考の働きを鎮め(邪念を消し)、心の働きに任せている状態(無の境地)
そして、今までの信念や固定観念(心の枠)に捉われることなく、
今までとは違うものの見方を発見していく。

これって、前に書かせてもらった発明家達や芸術家達が夢の中で
アイディアを発見するという事にも通じます。
滝行を20回程度しか体験していない私が言うのもなんですが、
方法は違えども、目的は同じような気がします。
ですから、走っても、歩いても、頭を掻く事でも良いのかと、
考えなくて良い状態を保つ事が出来れば発明家効果は、
それなりにあるのではないかと思うのです。

その領域に達した時、これも前に言ったように、
その時、浮かび上がるための準備が一番整っているものを浮かび上がらるので、
インスタント的に結果を求めても都合よくいかない筈です。

しかし、滝行は何とも言えない面白い体験でした。
何のためになるのかと聞かれても答えようがないのですが、
ハッキリと分かるような意味は無いかもしれないけれど、
意味など無くても、良い体験だった。無駄と言われる行為かもしれないけれども、
私にとって良い体験だったと思えます。

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