事実と自分の意見や解釈は、
必ずしも同じものとは限りません。
その二つを合体させて話す時には
より注意を払う必要があります。
「あの映画は、俳優陣は豪華だけど
その内容に何一つ真新しいものはなく
見るに値しない映画だ。」
「3000円もするカレーを
平気で食べているような人が
庶民の気持ちが分かるわけがない。」
「あの人、
この前、せっかく声をかけてあげたのに
私達との飲み会を断ったじゃない。
なんかあまり気乗りしてなさそうだったし、
今度から誘わなくてもいいんじゃない。」
上のようなものは、
非常に独善的で断定的で聞き苦しさを
人に与えることがあります。
「私にあなたの感想や意見を持つことを押し付けようとするな。」
「私自身の感想や意見や判断をあなたが奪いとろうとするな。」
です。
そして、
親御さんがついついやってしまう
「何々ちゃんには、それはまだ無理(無駄)だから
これをしなさい。」
「何々ちゃん。そんな危ないことをしてはいけません。」
「そんなこと(あんなこと)をする子は、馬鹿な子です。」
このようなアプローチが
過度になると
その子から体験と判断力を養うことを
奪うことになります。
これらは真っ赤なウソとは言えませんが、
純粋なる事実に対する
脚色や誇張や歪曲やねつ造であり
虚構でしかありません。
虚構でしかないものを
頻繁に発信をしていると
発信者への信頼は損なわれていく
危険性があります。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計