心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

京都バスツアーのメイン

2014年05月08日 | 名所めぐり(京都)




いよいよ今回の私のメイン、

生涯を終える前に一度は拝観したかった場所の一つ、

京都御所に到着しました。







何せ、平安時代から明治まで

歴代の天皇陛下のお住まいであった皇居の

奥深くへ立ち入る事が出来る訳ですから

興奮しないはずがありません。



明治になって、

京都御所の周りに立ち並んでいた

宮家や公家の邸宅の跡地が取り除かれ

京都御苑として公園になっているようで、

まずは、その公園に入ってきました。


京都御所に向かって進みます。









いよいよ入口がそこに、



最後のボディーチェック

そうでしょう、そうでしょうとも。

警備をしている警察官の方に

「御役目御苦労さまです。」



と心で唱えて



宣秋門を入ると



そこはもう京都御所の中、



そこに一般市民のど真ん中の

私が足を踏み入れていることが

有難くもあり、不思議です。



ちょっと前には、

ルーマニアの大統領の豪勢な住まい、

フィリピンのマルコス大統領の住まい、

少し前には、

ウクライナの大統領の豪勢な住まいに

一般市民が足を踏み入れている

ニュース映像が届きました。



そのどれもが怒りの市民によって

権力者が追い出され、

豪華な住居を見ているのは

どれも怒りの目でした。





しかし、

私達を含めて

京都御所一般参賀の皆さんは、

それとは全く違う目で見ている。

それが良いなあと、

それを誇っても良いように思うのです。





そして、直ぐ目に入ってきたのが

御車寄です。

何て言うか、品ある豪華さと言うのでしょうか。

これだけでもう感動ものです。







ネットで下調べをしていたのですが

想像していたより遥かに素晴らしい。



見惚れても留まる訳には行きません。

なにせバスツアーで時間が限られているので

先へと進みます。



次に現れた新御車寄がまた凄かった。



その凄さが写真では伝わらないのが

残念です。



新御車寄に展示されていた

衝立(馬形障子うまがたのしようじ)





もっと見ておきたい気持ちを振り切って

その先へ行くと

朱色に彩られた回廊が続き



回廊の承明門から

遠くに紫宸殿が見えます。

このシーンが一番心が震えました。





これは何門?



次のこれは、建礼門?



順路的には紫宸殿の近くのはずなのですが、

あまりにも広く、撮った写真が多くなり

どれがどれだか分からなくなっていました。


そして、回廊伝いにしばらく進み

左に曲がった先で中に入ると



即位の礼などの重要な儀式を執り行う

最も格式の高い正殿の紫宸殿です。



中に高御座が置かれているのを観ることが出来るのですが、

写真には撮れていないようです。







そして、その先へみんなで前進



京都御所が見どころ満載で、

どんどん写真も撮ってその数50枚超えです。

その中の写真をいくつか掲載させて頂いていますが、

御所のどこの写真なのか

もう分からなくなっていますので御勘弁です。




















































これを表す言葉は何だろうか。

綺麗。華麗。麗美。素晴らしい。美しい。眩い。

豪華絢爛。煌びやか。神々しい。

と考えていたら、「雅。」が浮かんできて

ピッタリのような気がします。



名は体を表すで、雅が付いている

男女共、上品な美しさを備えた人が

多いような気が。。。





私の記憶では

天皇陛下が京都に来られた時に

京都御所でお泊りになったと言う話を

聞いたことが無いので

現在では使われてはいないと思うのですが

まるで、いつでもお泊りになれるように

管理されているような印象を受けます。



特に凄いなと言うか、不思議と言うか、

とんでもないなと思ったのは、

京都御所は平地にありながら

お堀も高い城壁もありません。


御所を囲む壁は、

外敵への防御のためにはあまりにも貧弱で

ただプライベートを確保するためのものでしか

ないように思います。



このような建築様式で

平安時代から明治までの長きに渡り、

日本国に天皇制度が存在し続けて来たことは

歴代の天皇陛下と国民との関係が

どのようなものであったのかを示す

とても分かりやすいものだと思うのです。




人の流れに乗って前進、前進をして

バスの集合時間にピッタリです。



いつものように個人的に京都に来ていたら

おそらく京都御所で3時間以上滞在していたと思うので

時間を臨機応変に使えないのがツアーの難点です。



別の視点から考えると

時間配分が見事で

さすがプロの立てた計画だとも思います。



メインイベントが終わって気の緩みが出たのか

私の足と腰が悲鳴を上げ始めました。



hey,hey,hey

友人二人は笑っています。

でもね。僕は知っているんだ。

君たちも足と腰にきているってことをね。





さあ、ツアーは、残り世界遺産上賀茂神社と

平野神社の二つです。




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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (佐藤)
2014-05-09 23:00:08

障子は日本の文化。日本が誇る 『扉』です

そんな障子ですが、元々は絵や柄が描かれる事無く

紙の素材そのものの色で無地のまま使われていたそうです


後醍醐天皇の時代、いたずら好きな皇室の幼子が

障子にイタズラ書きをしました

その絵が 馬 の絵だったのですが

幼子のおやすみである天皇は、その絵を見て

我が愛子(愛する我が子)が描いた絵が

愛らしく、くるおしくて 大切に そのまま障子として使ったそうです

都で、起きた その出来事は 国中に噂でひろがり

それからとゆうもの、障子には絵が描かれる様になったそうです


先日、国の重要文化財にイタズラ書きをした人がいたようですが

そんな方に対して 怒りの気持ちを持つよりも

慈悲の心で許してあげたほうが

その人の為にも 自分の為にも 成るものだと思います

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佐藤さんへ (神戸花時計)
2014-05-10 06:06:06
後醍醐天皇の素敵なお話、ありがとうございます。

重文への悪戯書きについてですが、佐藤さんのように考える人もいるかと思います。

私としては、自分の子供、親戚の子供が自分の家に悪戯書きをしたことを許す事と、他人の家に悪戯書きをしたことを許すことが同じだとは思えないのです。

ゆえに私は、どちらも同じ気持ちではいられません。

そして、それを誰がやったにしても赦すのは、本人がいけないことをしたことを自覚し、謝罪し、心よりの反省があった後の話だと思っています。

ましてや今回のことは善悪の分別がつく大の大人の行為です。「御免なさい。」だけで赦されないだけの社会的責任を負っています。

もちろん罪を憎んで人を憎まずで「御免なさい。」で人は赦せても、その人が賠償金や犯した罪を償う事を求められることは自然なことだと思います。

割れ窓理論から考えても、その方が本人の為にも社会の為ににもなると信じています。

もちろん、ニュースを目にしてから不埒な奴を国家に成り代わって成敗してやらなければ気が済まないなんて気持ちを燃やし続けている訳ではありません。ニュースを目にした時の自分の感情や気持ち、考えをそのまま書かせてもらっています。
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Unknown (佐藤)
2014-05-10 12:05:23

素晴らしいお考えをお持ちですね


治療所の更なる発展を!!
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佐藤さんへ (神戸花時計)
2014-05-10 17:27:19
ありがとうございます。

それぞれの家族間や身内の中においても悪さをしたら叱らなくてはいけないラインがあるとは思いますが、

基本、コメントで紹介して頂いたような愛情溢れる気持ちで親が子に接することは素晴らしいことだと思っています。
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Unknown (Unknown)
2014-05-10 18:33:25


私も其の話し知っています


NHKでみましたが 後醍醐天皇では無く

後鳥羽天皇だったと記憶しております
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後鳥羽天皇 (神戸花時計)
2014-05-11 14:53:51
ありがとうございます。

後醍醐天皇?後鳥羽天皇?正確にはどちらなのか分かりませんが、このような良い話を御紹介して頂いたことに感謝いたします。
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Unknown (Unknown)
2014-05-11 21:33:04


自分も聞いた事ある話しですが、馬の絵では無かったと思います。確か、厩で描いた 鹿 の絵ではなかったでしょうか。記憶が曖昧で申し訳ありません。
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Unknown (ヴィクトリマ)
2014-05-11 21:40:14


その物語は有名ですね!しかし馬を描いた障子ではなく 鹿を描いた屏風だった様な気がします。余計な事かもしれませんが、、、、。
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ヴィクトリマ (神戸花時計)
2014-05-12 11:45:12
ありがとうございます。

幼子の絵を時の天皇が「こりゃ上手いぞ。」(馬いぞ)と思ったのか、その才能を「こりゃ、恐ろしか(鹿)才能だ。」と思ったのは間違いないようですね。

そして、こんなに上手(屏風)に描くなら、今後もその悪戯書きを天皇は、承知(障子)したのかもしれないと思ったのです。
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