心の扉 神戸カウンセリング花時計

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上御霊神社

2018年11月11日 | 名所めぐり(京都)

相国寺を出て向かったのが、

相国寺のすぐ北隣りにある上御霊神社で、

応仁の乱の勃発地と言われる場所です。

 

 

 

上御霊神社 南門(四脚門)

 

四脚門は、伏見城の四脚門を

移築したものと伝えられています。

 

車で参拝に来た人は、この四脚門を通って

境内に駐車できるようですが、

そんなに広いスペースがあったように思えないので、

参詣する方は、歩いて訪れた方が良いかと思います。

 

 

 

上御霊神社

 

神社の西側(神社正面)の鳥居には、

金色に輝く菊の御紋がはめ込まれています。

 

 

 

楼門(西門)

 

この大きくて立派な楼門は、江戸時代中期に再建されました。

 

 

 

狛犬

 

楼門の前に鎮座する狛犬に、

とんがりコーンのような見事な角が

生えているのが気になって少し調べてみました。

 

飛鳥時代に日本に伝わった時には、

獅子と言われ左右の像は同じ形でしたが、

平安時代になると、左右が異なる姿の

獅子と狛犬の像が対で置かれるように。

 

朝廷における儀式作法の根源・由来・を究め

古来よりの慣習を後の世代に

残さんとした1221年の『禁秘抄』の記述では、

 

本殿側から観て獅子を左、狛犬を右に置き、

獅子は色黄にして口を開き、

狛犬は色白く口を開かず角ありとなっているようで、

 

鎌倉時代後期には様式が簡略化されたものが出現し始め、

昭和以降のものは左右ともに角が無いものが多く

口の開き方と雄と雌を表す部分以外に

外見上の差異が無くなっているとのことです。

 

 

 

手水舎

 

上御霊神社の手水舎には龍の代わりに、これ何だろう。

 

 

 

舞殿

 

 

 

舞殿・拝殿

 

 

 

拝殿・本殿

 

本日のこの時間(正午)の境内には、

私以外に人の姿は無しでした。

 

今日の朝早くの錦天満宮、午前中の廬山寺はまだしも、

天候も良く参拝の人が増えそうな時間となってきた

相国寺でも参拝する人の姿は少なく、

ここ上御霊神社も私一人。

 

なんだかモーゼになった気分。

 

 

 

福寿稲荷神社

 

 

 

絵馬所

 

 

 

御車社

 

ちょっと確実でないので申し訳ありませんが、

私の記憶では、右の柵の部分に牛車の写真があったので

牛車の車庫かと思われます。

 

 

 

御霊合戦の石碑

 

1467年の1月18日、

この上御霊神社内にあった森の中に陣を敷いた畠山政長と

同族の畠山義就(よしひろ/よしなり)との戦いが始まりました。

 

この御霊合戦と呼ばれる畠山家の家督戦いが発端となり

京都を焼き尽くす応仁の乱へと戦いが拡大していきます。

 

この畠山家の家督争いもまたややこしい流れで、

時の将軍、足利義政が畠山家の家督継承者を

義就と認めたり、政長と認めたりで、

二転三転した挙句の末の御霊合戦です。

 

 

 

本殿 北側

 

畠山家の家督争いは、応仁の乱が終結した後も

なんと10年以上も続いたようです。

 

私の勝手な畠山義就の人物像なんですが、

この人、イギリスのパブで暴れた困った人達と

同じような暴れん坊の印象を持ってしまっています。

 

義就行くところ戦ありで、

応仁の乱を終結するための講和についても

最後まで反対していた一人ですし、

 

応仁の乱が終息した後も義就行くところ戦ありで、

業を煮やした住民や農民が「いい加減にしろ!」と

一揆を起こして追い出した位なんですよね。

 

もしかすると、畠山の家督を得ることに

執念を燃やしていただけなのかもしれませんが。。。

 

現在の上御霊神社は、

その昔に政長が多数の軍勢を率いて

陣を構えた広い敷地は姿を消していて、

ごく普通の神社の敷地程度となっています。

 

 

 

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