1860年 アメリカ大統領選挙の際にエイブラハム・リンカーンは、
11歳の少女から「髭を生やしたらもっと立派に見えるわ。」
と書かれた手紙をもらいました。
少女からもらった手紙のアドバイスを参考にしたのか
それとも前々から考えていたことだったのか
とにかく手紙をもらった後に髭を生やし、
私達が良く目にするリンカーンの写真の姿になりました。
リンカーンは、11歳の少女のアドバイスでさえも
簡単に流してしまわずに吟味して
これはと思えるものは柔軟に取り込める人だったのでしょう。
「我以外皆師」とは言いますが、
リンカーンは、その心構えの持ち主だったのかも知れません。
何を話すしたのかではなく
誰が話したのかと言った人がいるように
同じ意味の話をしても話す人が違うだけで説得力が増したり、
聞く耳を持ってくれる人の数が違ってきたりします。
「あいつが言っているのなら間違いないだろう。」
なんて感じでね。
「親戚に法律家がいて、法律家との交流もある
あいつが言うのだから間違いない。」
なんてのは危険ですね。
何故ならば、あいつと言う人物は何ものでもないのですから。
私と同じ凡人は、数多くの重要な言葉を聞き逃したり、
聞いていたとしても聞き流したり、
チャンスが目の前を両手を振りながら通っても
見えていなかったり。
偉人とは、何かで名を残す人は、
誰か言ったとか言わないとか、肩書が有る無しはなく、
本質をキャッチ。
この違いが生まれるのは、
必死さの違い?本気度の違い?貪欲さの違い?
なのだろうか。