上御霊神社の拝観を終えて、
西門から西へと延びる通り(上御霊前通り)を
徒歩で移動して、
応仁の乱のもう一つの激戦地へと向かいます。
妙覚寺
その道中にある妙覚寺の門前に到着。
妙覚寺は、織田信長の常宿でしたが、
歴史的大事件の本能寺の変の際は、
織田信長の嫡男の織田信忠が妙覚寺を宿舎とし、
織田信長は、本能寺を宿舎としていました。
明智光秀謀反の知らせが妙覚寺の信忠の元に届き、
信忠は、少数の軍勢を率いて駆けつけようとしましたが、
時すでに遅しで信長の元に向かうことを諦めて、
妙覚寺から、より強固な二条御所へと入り
明智軍との戦いに備えます。
現在の妙覚寺は、豊臣秀吉の命により、
元あった場所から現在の地に移転しています。
妙覚寺は、普段は非公開となっていて
今年の特別公開は11月1日からなので、
拝観可能となるのは、もう少し先です。
(本日は、10月の終わり頃です。)
ここ妙覚寺にも綺麗な庭園があるようなので
一度位は、拝観してみたいと思っている寺院の一つです。
妙覚寺 大門
非公開のはずなのですが
山門は解放されていたので境内の中へ入ってみます。
境内
広い敷地の正面奥に見える建物まで前進。
「祖師堂」
この後、お目当ての庭園のある建物前まで行ったのですが、
「拝観は出来ません。」の看板が設置されていたので、
今回の探索は、ここまでにして目的地へと向かうことに。
妙覚寺から応仁の乱の激戦地へ向かう道中に、
以前、訪れた名勝庭園を有する本法寺があります。
本法寺
ここも今回の目的地ではないのですが、
時間的にもゆとりがあったので、
予定になかった名勝庭園を再訪問することにしました。
多宝塔(京都府指定有形文化財)
本法寺は、多宝塔だけでなく、
伽藍の多くが京都府指定有形文化財となっています。
光悦翁手植松
拝観受付所
本法寺の霊宝、宝物が常設展示されている
講堂内の部屋は、撮影禁止。
講堂と十の庭(つなしのにわ)
回廊
私は、仁和寺で初めて回廊を歩いた時に気が付いたのですが、
このような回廊を歩くのが好きなようです。
書院
巴の庭(名勝庭園)
私が名勝庭園のある書院に到着した時に、
一人の50代の男性しか拝観していませんでした。
その男性と30分程度だったでしょうか、
目の前の巴の庭のことを忘れて、
応仁の乱の話で盛り上がり楽しい一時を過ごしました。
「秋の日の 巴の庭に いざなわれ。」(作者、私)
本法寺拝観を終えて、少し歩くと、
茶人として有名な千利休の
裏千家と表千家の家元の邸宅があります。
裏千家 家元の邸宅「兜門」
表千家 家元の邸宅の表門
表千家の立派な表門は、
紀州徳川家から拝領したものだそうです。
表千家、裏千家の前の道には、
着物を上品に着こなした方々の姿を見かけました。
町の風景に着物姿の人が加わると
その場の京都感が増すと言うか、
空気が和に染まる感じがします。
表千家の家元の邸宅には、
不審庵と名付けられた茶室と庭園、
裏千家の家元の邸宅には、
今日庵と名付けられた茶室と庭園があり、
共に国指定名勝を受けています。(一般には非公開)
表千家の表門の前で着物姿で記念撮影をしていた
数人の団体の一人の女性の方に尋ねたら、
茶道の免状を頂きに来たと話してくれました。
応仁の乱の激戦地は、この少し先にあります。