日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

最期の日

2006-02-27 21:50:31 | 徒然
1週間余り、ブログをお休みしていました。
その間、アクセスして頂いたみなさま、ありがとうございました。

実は、18日の夜、実家(鳥取県米子市)の母がくも膜下出血のため救急病院へ搬送され、19日に亡くなりました。
23日が80回目の誕生日だったのですが・・・。
「くも膜下出血で倒れた」と言う連絡を受け、急遽実家へ帰ることになり、ブログの更新もできない状態でした。

18日の夜、父から連絡を受け19日の夕方病院へ駆けつけたときは、まだ母の息があり最期のその時一緒に過ごせたことは、とても良かったと思っている。
何よりも、倒れる前も倒れた後も母が、大好きで一番大切に思っていた父がずっと付き添い、手を握り締めその時まで一緒だったことが、何よりも幸せだったのではないか?と考えている。

母は数年前から老年性認知症の症状が現れ、現在と過去、夢の区別がつかない状態が続いていた。
その状態の母を、父は強く認識しながらも穏やかに一緒に過ごしていたようだ。
認知症という状態を「人格的崩壊」と捉えるのではなく、「老いの症状」というのだろうか?ある種の開き直りのような思いがあったという。
その為、家事全般を積極的にこなしながら、二人で買い物や町内会の行事に参加。
傍で見れば「仲の良い老夫婦」だったようだ。

その後、通夜、葬儀などバタバタと過ごし、落ち着く間もなく様々な手続き。
名古屋へ帰った今、やはり、年老いた父一人残すと言うのは、どこか申し訳ないような気がしている。
おそらく、地方から都市部へと生活の場を変えた人たちが抱える問題なのかも知れない。
そして、それは現実として様々な問題があると言うのが、実感だ。

同時に「地域社会の中で生活をする」と言う、重要性も感じた。
と言うのも、子供と同居している老人世帯は、地方・都市部関係なく増えてくると想像できるからだ。
日本社会の高齢化は現在進行形の問題だが、このとき問題になるのが「誰が、老親の面倒を見るのか?」ということだ。
最終的には、子供が何らかのカタチで面倒を見ることになるのだが、老親が住んでいる地域社会とかかわりを殆どもたない子供が、いきなり老親の地域社会の中へ入って行くのは難しい。
その為、子供が老親の地域社会の中で生活する猶予期間が必要となっていく。
それは、子供の生活圏へ入っていかなくてはいけない老親にとっても、同じことが言える。
それを柔軟に受け入れる猶予期間となる時間と場所を提供してくれるのが、地域社会なのではないだろうか?

考えが上手くまとまらないので、とりあえずここまで。