日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

伝える難しさ、解釈の違い

2011-09-25 21:14:05 | 徒然
先週あった「福島産花火の打ち上げ中止」については、花火大会を催した市長自らが福島や関係企業に謝罪をするコトで、ひとまず収まったと言うカタチとなった。
このコトだけではなく、福岡であった「福島県産物産の販売中止」の問題などを含め、「フクシマ事故」被害地以外の地域では、「福島」という名前だけで戦々恐々とする事態が続いている様に感じている。

先日ある雑誌を読んでいたら、「フクシマ事故」発生以来、枝野さん(当時官房長官)が繰り返していた「直ちに健康被害はありません」という言葉が要因、だと指摘する内容があった。
「直ちに健康被害はありません」=「いつかは健康被害がある」と受け止められた、と言うのだ。
この記事を読んで「そんな解釈があったのか・・・」と、驚いたのだ。
私は「健康被害はあるかもしれないし、無いかもしれない」と、受け止めていたからだ。
言い換えれば「将来のコトは分からない」と、解釈をしていたのだった。
それが「いつかは健康被害=病気(それも、不治の病・がん)になる」と言うことまで結びつくとは、思いもよらなかった。
しつこく言わせていただくが、「がん」は悲劇的不治の病では無いし、「がん治療」そのものは日進月歩で、早期発見の技術開発やがんそのものの研究も驚くほど進んでいる。

確かに、被害地・福島の子供たちや「フクシマ事故」収束のために作業をしている方々は、「がん」と言う病気のリスクは遙かに高いと思う。
だからこそ、定期的な健康診断=がん検診が必要で、早い対処が望まれると考えている。
だが、その福島県から遠く離れた地域で大騒ぎをするのは、過剰な反応の様に感じていたのだ。
なぜなら、そもそも「放射能」は私たちの生活の場に、たくさんあるからだ。
たとえ「医療被曝が怖い」という理由で、がん検診を受診しなくても、がんになるリスクはあるのだ。

昨年「乳がん」という病気になり、主治医からは「医師としていえるのは、あくまでも統計的なことなだけで、あなた(=私)にがんが再発するのか?と問われれば、分からない」といわれている。
それと同じことが「直ちに健康被害はない」という言葉にも、いえるのではないだろうか?
「がん」という病気だけではなく、人には病気と言うモノがついて回る。
「絶対病気にならない」などという確証は、元々無いはずなのだ。
であれば「直ちに、健康被害が発生する訳では無い」というその言葉の意味を、「いつか健康被害が起きるのだ」と、戦々恐々する様な解釈をし、騒ぎ立てることの方が遙かに社会的ストレスとなっているのではないだろうか。

メディア的には、不安を煽る様な内容の方がセールス的にはよいのかもしれないが、伝える難しさだけではなく、解釈の仕方一つで社会が大きなストレスを溜め、ヒステリックになてしまう・・・そのことに、メディアが気がついているのだろうか。