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総収入よりも可処分所得?

2014-06-01 19:17:02 | ライフスタイル

週末、まとまった時間がありゆっくり本を読むコトができた。
中には既に読んでしまった本もあったのだが、気になって読み返したりしていた。
読んでいた本のテーマはそれぞれに違うのだが、共通項的な内容があるコトに気がついた。
それが「総収入よりも可処分所得を増やす生活」というコト。
「可処分所得」というよりも、「生活のためではない、お金を増やそう」と言った方が良いかも知れない。
仕事のために、時間をお金で買う様なお金の使い方ではなく、自分らしい生活のために使うお金を増やす・・・と言うイメージだろうか?

その分かり易い説明がされているのが、「里山資本主義」かも知れない。
既に読まれた方も多いと思われる「里山資本主義」。
この本を書かれた藻谷さんは、別に東京をはじめとする大都市生活を捨て、里山生活をすべし!と言っている訳では無いと思う。
ただ、今の様な「総収入」と言う尺度だけで、「生活の豊かさ」を計ることは様々なリスクを負っているのでは?と言う指摘をされている様な気がした。

そして「コミュニティーデザインの時代」という本。
「コミュニティーデザインの時代」には「自分たちで町をつくる」と言うサブタイトルが付いている。
「里山資本主義」は、以前からその里山に住んでいる人達のコトを書いているのだが、「コミュニティーデザインの時代」は、以前から住んでいる人と新しく住む人との間で起きる「コミュニケーション摩擦」という視点で、書かれている。
ただ、この2冊に共通するコトは「都市の生活は本当に豊かなのか?」という疑問を投げかけているコトだ。

「コミュニティーデザインの時代」で最初に登場する言葉に、「手間返し」という言葉がある。
「手間返し」というのは、何かをしてもらったお礼に、他のコトをサポートすると言うコト。違う言葉で言うなら「give and take」と言うコトだろうか?
行政などが関わるコトがなく、住民同士の「気持ちのやりとり」によって成り立つ関係のようだ。
その「手間返し」が、広く行われるコトで総収入が減っても、可処分所得が増えるコトで、生活そのものは豊かになる、と言う指摘がされている。
この点においては「里山資本主義」も同じことを指摘している。

この共通点を感じながら読み進めていたら、天野祐吉さんの遺作となった「成長から成熟へーさよなら経済大国ー」を思い出した。
天野さんは、既に日本は「経済大国を目指すのでは無く、生活大国を目指すべき」というコトを、この本では述べている。
天野さんの言う「生活大国」とは、「貧乏暇あり生活」ということ。
「貧乏」というと、戦後直後の「着た切り雀状態で、食うや食わずの生活」というイメージが起きるかも知れない。実際ホームレスの姿を思い浮かべる方もいらっしゃるだろう。
しかし天野さんの言う「貧乏暇あり生活」は、藻谷さんのや山崎さんの言う「地域の豊かなコミュニティーの中で、総収入ではなく可処分所得が高い生活」というコトを指している様な気がしたのだ。

「総収入」が多くても、自由に使えるお金が少なければ「豊かさ」は感じられない。
とすれば「豊かさの尺度」を変える必要があるのでは?