朝日新聞のWEBサイトに、外食産業の24時間営業の見直しが進んでいる、という趣旨の記事が掲載されている。
朝日新聞:ロイホもマックも・・・外食24時間営業、なぜ縮小
実は、このような「営業時間の縮小」という傾向は、外食産業に限ったことではない。
一部百貨店なども、営業時間を短縮したり定休日を復活させたり、初売りを遅らせるという動きが出てきている。
WWD:三越伊勢丹が3店舗で営業時間を短縮
ワールドビジネスサテライト:百貨店に休業日復活、脱「拡大」へ転換?
確かに、24時間営業していることはユーザー側にとって、便利なのかもしれない。
しかし、本当に「便利」なのだろうか?という、疑問を常々持っていた。
というのも、真夜中にファミリーレストランやファーストフード店で過ごす人、そのものは、昼間の利用者に比べれば圧倒的に少ないと思ったからだ。
「派遣切り」などが社会的問題となった頃、インターネットカフェや24時間営業のファーストフード店で一夜を過ごす人たちの姿が、テレビ等で度々報道された。
インターネットカフェやファーストフード店で一夜を過ごせない場合、駅の通路で段ボールにくるまり過ごし、そこからホームレスになっていく・・・という人の姿もあった。
その意味で、24時間営業のファーストフード店は、彼らの「生活の場」としての受け皿となっていたのかもしれない。
反面、そのために多くの非正規雇用の学生バイトなどが、本分の学業に支障をきたすということも問題になった。
そもそも、上述したような「生活の場所がない」という人達以外で、24時間営業のファミレスやファーストフード店を利用している人達は、どれほどいるのだろう?
「営業をする」ということは、それなりの「経費」が掛かるということだ。
「経費と利益」のバランスを考えた時、本当に24時間営業である必要があるのか?という点を、考え直す時が来たのではないだろうか?
百貨店の休業日の復活や初売り時期を遅らせる、ということにしても、休業日があった頃それほど不便なことがあったのだろうか?と、思うことが多い。
百貨店すべてが、一斉に同じ日に休むわけではないので、買い物に行くにしてもさほどの不便さはなかったはずなのだ。
バブルの頃の「24時間戦えますか」以降、バブルが崩壊しても「営業をしていれば、わずかでも利益が出る」という、「利益神話」のようなモノに、引っ張られ営業時間や休業日が廃止されてきただけなのでは、ないだろうか?
それがいつの間にか「サービスの充実」という、名目にすり替わり、私たち生活者も「サービスの充実」だと、思い込んでしまっていたような部分は、ないだろうか?
常に何かを追い求める生活(や暮らし)は、息がつまる。
「少しは休もうよ」・・・そんな社会的気運が、新しい何かを生み出すような気がするのだ。