朝日新聞に、やや衝撃的な記事が出ていた。
朝日新聞:新品の服、売れずに廃棄「年10億点」 人気ブランドも
バブルの頃、このような話題が頻繁にあったことを思い出した。
シーズンオフとなった商品や、モデルが古くなった商品など、販売するよりも廃棄してしまうほうが、費用が掛からないというのが理由だった。
その後、バブルが崩壊し、社会全体が「買い控え」が当たり前になった。
バブルが崩壊する寸前、ベストセラーになったのは「清貧の思想」だった。
まだまだバブルが続くと思いながらも、どこかでバブルは崩壊する・・・と感じ取っていた、ということかもしれない。
生活者の多くは、数字上の景気感を感じることなく、30年近く経過している。
だからこそ、景気実感があまりない状況で、新品の服が年間10億点も廃棄されている、ということに驚きを感じたのだ。
その一方で、ボランティア団体などが、貧困国への物資支援として「古着」などを集めている。
もちろん、このような支援に多くの人たちが賛同し、古着(といっても、クリーニングをした着られる服)を送っている。
古着が悪いわけではないが、最貧国への支援として多くの衣料品が求められている一方で、新品の服が大量に廃棄されている、という現実はどこかチグハグな気がしてしまうのだ。
もしかしたら、食糧の廃棄処分と似たような構造になっているのでは?という、気がしてくる。
ただ、野菜などは衣料品と違い「計画的な生産」ができない。
悪天候が続けば、野菜は高騰し、スーパーからは一時期であっても姿を消すことがある。
反面、豊作であれば良い、とも限らない。
生産農家さんからすれば、作れば作るほど儲からない、ということになる。
そのような意味で農作物の生産調整というのは、自然相手であるがゆえに、簡単にできるものではない。
しかし、衣料品の場合生産調整というか、計画的な生産が可能なはずだ。
それでもこのような状況に陥ってしまう、というのは何故なのだろう?
一つは、ファストファッションの存在があるのかもしれない。
安価でその時々の流行の服を提供するファストファッションだが、安価で製造するためにはそれなりの大量生産が必要になる。
そしてユニクロだけではなく、H&Mなどでも前シーズンの売れ残りを、シーズンオフ商品として販売をしているが、なかなか売れていないような気がする(あくまでもユニクロやK&Mなどの店舗で見た印象だ)。
いくら前のシーズンの商品だからといって、流行を追い求める人達からすれば、商品の魅力は価格とマッチングしない、ということになる。
そして、これらの商品が年間10億点の廃棄処分となっている、とすれば、商品を買う側として「買い物の在り方」を考えなおす必要があるのかもしれない。
「消費することで経済が動く」ということは確かなことだが、「消費できなかったものは、どうなるのか?それが、将来的な社会的経済にプラスとなるのか?」そこまで考える時代がきているのかもしれない。