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女性マーケターから見た日々の出来事

「自由」という自主性を重んじることは、傍若無人な人を育てる事ではない

2021-07-19 12:13:38 | 徒然

今月に入り、新聞やラジオ等の主要メディアは、「東京オリンピックモード」となっているようだ。
元々東京オリンピックのスポンサーとなっている企業が提供している番組等は、世間の「オリンピック開催に疑問」と言われながらも、東京オリンピック開催前提で番組が作られていたので、今更おどろく事ではないが、先日発覚した小山田圭吾氏の「いじめ」という名の犯罪についても、ビックリするほど触れていない。
ネットで見ていても、この問題を大きく取り上げているのはスポーツ紙で、主要新聞社のサイトでは、ほぼ触れられていない。
このことを考えると、主要メディアそのものが「見て見ぬふりをする」、「嵐が過ぎ去るのを待っている」という、事なのだろう。
ここまでケチがついたオリンピック・パラリンピックを、楽しめる人達がどれほどいるのか?疑問なところがあるが、報道する側は、必要以上に「スポーツの素晴らしさ」という感動の安売りをするのだろうな~、と思っている。

今回の小山田圭吾氏の「いじめ」という名の犯罪については、ネット上に上がっているので改めて書く必要はないと思うのだが、一つ疑問がある。
それは「いじめ」という犯罪の現場となった、学校側の対応だ。
小・中・高と12年間という長い年月を、被害者となった障害者は「いじめ」を受けてきた、ということになる。
12年という年月は、決して短い時間ではない。
その間、学校は一体何をしていたのだろうか?

「障害児を普通学級に受け入れる」ということは、とても大変な事だと考えている。
学校側だけではなく、その児童と一緒に学ぶ他の児童父母に対しても、理解と協力を得る必要があると、考えるからだ。
というのも、私が通っていた公立小学校では、身体にハンディを持っている児童、聴覚障害児童、発達障害を抱えた児童を受け入れていた。
当時は「特別支援学級」そのものが少なく、受け入れざる得ないという状況だったのかもしれないのだが、彼ら・彼女らに対する「いじめ」というものは無かった、というのも事実なのだ。
何故なら、小学校の入学式の後、教室で担任の先生が父母のいる前で「ハンディのあるお友達がいます。できる事も沢山ありますが、できないことがあれば、クラスの皆で助け合ってください」と説明をしていたからだ。
まだまだ純真無垢な小学一年生は、元気よく「は~~~い」と返事をしたような記憶が、鮮明にある。
鮮明な記憶として残っているのは、後にも先にもそのような経験が無かったからだろう。

もちろんそれなりの「いじめ」のようなモノはあったし、私自身は相当ないじめられっ子だった。
だが「ハンディがある」という理由で、「いじめ」のターゲットにするような児童・生徒はいなかった記憶がある。
時代が違うとはいえ、公立の小学校ですらそのような準備をし、受け入れていたのだ。
積極的に受け入れをしている私立学校であれば、そのような準備も父母の理解もあって当然だと思う。
にもかかわらず、12年近い年月学校がこの件に積極的に関わっていた、という話が聞こえてこない。
知的障害があるため、学校に訴えることができなかったから、発覚しなかったのか?
元々そのような「いじめ」が起きやすい雰囲気があったのか?

小山田氏が卒業した私立学校のモットーは、「自主的な児童・生徒による自治的活動や体験学習」ということだが、いきなりそのようなことができるはずもなく、場合によっては「自由奔放」という名の「傍若無人」な人間形成の素地となるだけではないだろうか?
ここ数年問題となっている「ブラック校則」のような、管理教育が良いわけではない。
ただ「考え・行動する」というステップの中には、「人の尊厳」であったり「互いに尊重する」ということを、徹底的に教え・指導する必要がある、ということなのだ。

今回の小山田氏の場合、「自由」のはき違えがこのような「いじめ」という名の犯罪を繰り返し、それを自慢するような人になってしまった、という点については学校側も考える必要があるのではないだろうか?
同じ学校の卒業生が、同じようなコトをしているわけではないにしても、筆舌しがたいほどの「いじめ」という名の犯罪を「いじめ」が社会問題となっている頃、自慢げに話すということは、異常さを感じるし、それを修正できなかった学校にも話を聞いてみたいのは、私だけではないと思う。