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商業オリンピック・パラリンピックから脱却したら、どうなのだろう

2021-07-20 18:05:58 | アラカルト

先週末から、小・中・高時代に行った「いじめ」の問題について、当事者である小山田圭吾氏が「辞任」したコトで、一応この問題は、決着をしたということになった。
決して、納得のいく決着とは言い難いのだが、当事者である小山田氏が「担当を降りる」ということで、JOC組織委会は胸をなでおろしただろう。

今問題?となっているのは、小山田氏がつくった楽曲を使わなくなる事で発生する、開会式の演出に穴があくという点だ。
ネット上では、様々なアイディアが出ているようだ。
その中で「別に華美な演出をしなくてもいいのでは?」という意見がある。
「選手団入場→聖火点灯→天皇陛下の開会宣言」という、本来あるべき姿に戻せば、小山田氏のつくった楽曲は必要ないし、小山田氏の辞任に難色を示した、と言われるヴィジュアルチームの偉い人も必要なくなる、というアイディアだ。

おそらく今のような、華やかな演出の「オリンピック開会式(と閉会式)」になったのは、1984年のロサンゼルス大会からだったのでは?と、記憶している。
この時の演出は、「流石ハリウッド!!」という感想を持つほど、スペクタクルで大掛かりな演出がされていた。
これ以降、花火が打ちあがるのは当たり前、スタジアムが一つの劇場になったかのようなセレモニーが、1時間以上続くようになった(気がしている)。

ご存じのように、1984年のロサンゼルス大会は「商業化したオリンピックの始まり」とも言われている。
聖火ランナーにスポンサー枠を設け、スポンサーが「聖火ランナーになりませんか?」と、自社製品の販促の為に使い募集したり、競技の中継ではスポンサー企業のCMが大量に流れる等、それまでのスポンサー企業との関係にビジネス的要素が強く含まれるようになり、それは大会ごとに強くなっていったような印象を持っている。

それが、今回のゴタゴタ騒動と日本国内での「新型コロナ」の急速な感染拡大により、最高位スポンサーの1社である、トヨタ自動車がCMを放映しない、と昨日発表をしている。
CMを放映しないだけではなく、社長を含めた幹部役員も開会式には出席をしない、という。
朝日新聞:トヨタ、五輪CM放映せず 社長らの開会式出席も見送り

トヨタ自動車側としては、高額な契約料を支払った上CMを放映しない、というのは「トヨタ自動車」という企業のプロモーションとしては、手痛いはずだ。
しかしあえて、CM放映をしない、社長を含めた幹部役員の開会式出席の見送りを選んだことは、ある種の「英断」として世界的に評価される可能性のほうが高いかもしれない。

そのような企業が追従することとなれば、これまでの「商業化されたオリンピック」が、本来あるべき姿に戻る切っ掛けとなる可能性が高い。
特に先進諸国の生活者にとって、競技の邪魔をするCM等は「無用の長物」であり、邪魔なだけなのだ。
そう考えると、今回の「東京オリンピック・パラリンピック」は、「商業化していないオリンピック」に戻る切っ掛けとなるかもしれない。